もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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黒沢清『スパイの妻』「カメラに映っていない場所では、何が起きていてもおかしくない」という緊張感。

 

 


黒沢清は私が一番好きな映画監督の一人だが、今のところ最新作である『スパイの妻』は中でも特にお勧めしやすいもののひとつかもしれない。

(※ネタバレは序盤まで)

舞台は1940年の神戸。太平洋戦争の開戦が徐々に近づいている。主な登場人物は3人。

  • 聡子蒼井優)貿易商の妻。洋館でぜいたくな暮らしをしている。
  • 優作高橋一生)聡子の夫で貿易商。妻をモデルに趣味で映画を撮影するなど、緊迫した情勢下でも優雅に暮らしている。
  • 泰治東出昌大)陸軍憲兵。聡子の幼馴染。優作の暮らしぶりをあまりよく思っていない。

ある時、優作は仕事で満州に出かける。夫の帰りを待ちわびる聡子だったが、しかし帰って来た夫の様子が何かおかしい。不信感を抱く聡子。追い打ちをかけるように起こる、謎めいた殺人事件。そして憲兵の泰治も、優作をじわじわと追いつめ始める。

優作はスパイなのか? 一体何を隠しているのか? 満州で何があったのか?

 

歴史サスペンスである。美しい戦前の神戸の街を舞台に、戦争が迫り来る緊張の中、先の読めない物語が展開する。予想を何度も裏切られる。想像もしていなかった行動を登場人物が行う。

黒沢清の映画では、何が起こるかわからない。一瞬先に、どんなことが起こっても不思議ではない。何故か。黒沢清は、それが映画だと思っているからだ。

 

以前の監督作品で、印象的なシーンがあった。

森の中を、ある登場人物が追手から逃げている。森から駆け出すと、そこは道路である。路上に立った人物が、カメラの方を見ているショット。その顔がアップになり、ちょっと笑う。次の瞬間、カメラは人物の背後からのショットに切り替わり、正面から走って来ていたトラックが人物に激突する。

すごくびっくりするシーンだが、黒沢清にとってはおそらくこれこそが映画なのだ。

 

映画の画面に映っているのは、カメラが向いている場所だけであり、カメラの向いていない場所のことは一切わからない。一切わからないということは、そこで何が起こっても不思議ではない。つまり、あらゆることが起こりうる。

黒沢清の映画を見る時のドキドキする感じはこれだ。我々が見慣れた映画やドラマのパターンを信じて、安心して見ることはできない。映っている画面の外側では、どんなとんでもない出来事が起こっているかわからないからだ。

だから、黒沢清はよくホラー映画を撮る。黒沢清の考える映画の在り方は、観客を驚かせ、怖がらせるホラーにぴったりだ。

(とはいえ物語が混沌に落ち込むことはない。黒沢清の映画は理路整然と進む。ただ、人の手に負えない運命や偶然や超自然の力が、そこでは映画というものの形式と必然的に結びついている。)

『スパイの妻』でも事情は同じだ。この映画はホラー映画ではないが、何が起こるかわからない。貿易商の夫は、どんな秘密を隠していてもおかしくない。憲兵の泰治は、どんな残酷なことをしてもおかしくない。いま画面に映っているもの以外は何も信じられない。

 

黒沢清は広い空間をうまく使って演出する。この映画でも、優作の勤め先の倉庫のシーンなどが印象的だ。

広い倉庫の奥に、ポツンと置いてある金庫。その中に恐ろしい秘密がある。登場人物が金庫に向かう時、その背後には広い空間が広がっている。そのこと自体が怖い。

黒沢清は、空間の広さと狭さ、距離の遠さと近さを縦横無尽に使って演出する。広さと狭さ、遠さと近さが、まるで鈍器のように我々に殴りかかって来る。

 

『スパイの妻』は、監督の初めての歴史劇である。「何が起こってもおかしくない」という黒沢清の信念は、戦争の時代を描く映画に、ゾッとするような、魅惑的な緊張感を与えている。その緊張の中を生き抜いていく蒼井優高橋一生が美しい。

(ちなみに現在、監督作『ドライブ・マイ・カー』が世界で旋風を巻き起こしている濱口竜介黒沢清の教え子でもある)が共同脚本として参加しています。)

 

 

 

 

黒沢清の映画の中で最も多くの人が傑作と呼ぶのは、おそらく『CURE』だろう。

役所広司演じる刑事と、萩原聖人演じる謎の男との戦いは、他の映画では見たことがないような迫力がある。

それは力を駆使した戦いでもなければ、言葉を交わす戦いでもなく、なんというか、言葉と身振りによって映し出される、存在VS存在の戦いという感じだ。空虚な広い空間で起こるあっけない殺人の連鎖が、底冷えのするような美学を醸し出す。

そして舞台を謎の山中に移して続く『カリスマ』においては、『CURE』での戦いを経た役所広司が一本の木をめぐる秘教的な勢力争いに参加し、その存在そのものの強度をどんどん上げていって、ついには神の如き無敵の存在と化していく様が映される。(続編みたいに言いましたが続編ではないです)

 

 

映画とは何か、映画とはどういうものか(特にホラー映画)について黒沢清が語りに語ったのがこの『映画はおそろしい』青土社である。2001年に出たものが、2018年に新装復刊された。

この本にはキラーフレーズが満載で、「暴力シーンでは動作が少なければ少ないほど強い。よってノーモーションで銃を打つ北野武が最強」「映画に出てくる人間の中で最強の存在はイーストウッド」「『エイリアン』は、作中でエイリアンが倒せないと判明した時点からホラー映画に変わる」「恐怖の対象を撃退できる映画はホラー映画ではない」など忘れられない言葉が多数。

台湾日記:中山北路をYOUバイクで下る

台北の街角にはYOUバイクというレンタル自転車のスタンドがあちこちに設置されており、携帯電話の番号で登録すれば、交通機関用のプリペイドカードで利用できる。ある場所のスタンドで借り、別のスタンドで返せばいい。スタンドの場所は専用のアプリでも調べられる。料金は4時間以内であれば30分で10元(40円くらい)。 台北に住み始めてから、このYOUバイクを仕えるようになって以来、台北市内での行動範囲は飛躍的に拡大した。台北は京都のように通りが縦横に走る街で、坂もそこまで多くないので自転車での行動に向いている。

 

私が好きだったのは中山北路チョンシャンベイルーを南下するコースだ。住んでいた中山國小チョンシャングオシャオから民權東路ミンチェンドンルーを西に1ブロック進むと中山北路に出る。この通りは台北の中心を南北に通る大通りだ。そもそもなぜ「中山」なのかというと、この名前は中華民国の国父である孫文の字(あざな)が「中山」であったことに由来する。また東西に走る通りはこの中山路を境に「東路ドンルー」と「西路シールー」に分けられる。

中山北路を南に向かう

 

この美しい目抜き通りを1キロほど南下すると南京路ナンジンルーに着く。ここを西に曲がって1ブロックでMRTの中山站チョンシャンジャン中山駅)があるのだが、このゾーンが東京で言えば銀座の中央通りのような華やかな場所なのだ。別に何を買うというわけでもないが、私はそういう場所が好きである。中山路から南京路との交差点にかけては五つ星の台北老爺大酒店タイペイラオイェダージョウディエン(ホテルロイヤルニッコー台北)や、クラシックで荘重な感じの警察署が続き、駅前は二館に分かれた新光三越シンゴンサンユエ、そして誠品生活チョンピンシャンホアといったデパートに囲まれている(この誠品生活、そして誠品書店という奇妙な商業施設についてはまたいずれ書こうと思う)。中山駅から南北には広く長い緑道が伸びていて、散歩にもぴったりである。

中山站の駅前

 

台北老爺大酒店の斜向かいには公園のようなちょっとした緑地があり、その中に建っているのが光點台北ゴンディエンタイペイ、別名を台北之家タイペイジージャーである。これは1925年に建設された旧アメリカ大使館邸を改装し、ミニシアターとその併設ショップ、ギャラリー、レストランなどを含む複合施設としたものだ。リノベーションのプロデュースは映画監督の侯孝賢ホウシャオシェンらしい。真っ白な洋館とその庭園を利用したこの施設は大変に心地よく、何度か映画も見に行った。台湾ではこういう古い建築のリノベーションが盛んで、多くの近代建築が美術館やカフェなどとして復活している。

光點台北台北之家)

 

このような施設、ミニシアターとおしゃれなショップが合体しているような施設を見ると、私はどうしても90年代末の渋谷を思い出してしまう。私はおしゃれな人間では全く無かったが、当時は渋谷のミニシアターでフランス映画とかを見ていた。光點台北ではフランス映画「トリコロール」三部作やジム・ジャームッシュ監督作の台湾版ブルーレイ/DVDが大々的に陳列されており、私は20年以上前の東京に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 

 

台北のちょっと気の利いたガイドブックが見たいと思ったらこちらがお勧め。私も台湾人の知り合いに勧められて買いました。

 

『超人X』『東京喰種』 石田スイが描く生命の不可逆的な変化

石田スイは肉体の変形を描く

 

『東京喰種』石田スイの新作、『超人X』ヤングジャンプコミックス)が1・2巻同時発売したのでさっそく買った。

私は石田スイの絵がすごく好きである。特に、肉体の変形の描写が好きだ。『東京喰種』も今回の『超人X』も、主人公たちの肉体の変形が苦悶とともに描かれ、そしてその変形により物語が始まる。

石田スイの描く変形した肉体の特徴は、それがどんなに異形であっても自律した生命体に見えるということだ。

『東京喰種』の金木研などは物語が進めば進むほど肉体が激しく変形するが、それでもそれは単に突拍子もない形なのではなく、その変形した異形の肉体が確かに生きている、ということを読者に感じさせる。その曲線、そのフォルム、その表面のテクスチャーが、自律した生命のエネルギーを感じさせるのだ。それは単なる無秩序な形ではない、何らかの秩序に従った異形なのだ。

そこでは、変形して異形になろうとする力と、生命体としての自律を維持しようとする力が拮抗している。その二つの力の間の激しい緊張関係が、石田スイの漫画には漲っている。

 

石田スイのエモーションと、「取り返しのつかなさ」

 

そして、石田スイの漫画は非常にエモーショナルだが、主人公たちにおいてはそのエモーションの激しさが肉体の変形に対応しているようにも見える。どちらの漫画でも、登場人物たちは取り返しのつかない変化を蒙る。その変化は彼らの運命の変化であり、そして同時に肉体の変化なのだ。

石田スイの漫画には常に、何か取り返しのつかない事が起こるのではないかという不安がつきまとっている。読んでいて安心できない。それは、登場人物たちの運命と肉体の双方に取り返しのつかない変化が起きるという予感だ。

ただし、この取り返しのつかなさは決して絶望を意味しない。石田スイにとっては、その不可逆的な変化こそ生命の力そのものなのだと思う。取り返しのつかない変化と、それでもその変化の中で生き続ける人間たちを、石田スイはいつも描いている。

 

ところで『超人X』は、少なくとも現時点では、『東京喰種』と比べるとシンプルな物語のようだ。シンプルな分だけ、導入に多くのページ数が使われて丁寧に描かれている。また今回はキャラデザインや設定にもコミカルな要素が現れ、ギャグ的な展開も多い。『東京喰種』では試せなかったことを試しているんだろうと思うので、今後が楽しみだ。

そして冒頭の、デビルマンに対するストレートなオマージュには盛り上がってしまう。「これ不動明飛鳥了じゃん!!」と叫んでしまった。

 

次の一冊

 

石田スイの絵を見ると、いつもフランシス・ベーコンの絵を思い出す。千葉雅也はそのベーコン論「思考停止についての試論──フランシス・ベーコンについて」(河出書房新社『意味がない無意味』所収)の冒頭を以下のように始めている。とりあえず、まずここだけ読んでください。

フランシス・ベーコンの絵画は、何をしているのか。モデルを参照した具象性を全廃はせずに、回し歪められ、ぼかされた身体は、生(そして性)のお決まりのパターンから逃れ出さんとするエネルギーの過剰を示しているようでもある。しかし彼の絵画は、脱出のテーマを言わんとしているのではないと私は思う。むしろ、その反対ではないだろうか。重要なのは、硬化したフレームへの引きこもり、パッケージ、圧縮である。いわば〈閉域〉の問題だ。それこそが、ベーコンと私たちの間にある共感の本質ではないだろうか。

(なおこの文章はこの後さらにこの問題に深く潜っていって、意外なところまで連れていかれる)
 
ともあれ、石田スイが好きな人はぜひフランシス・ベーコンの絵も見てみてください。
Bacon

Bacon

Amazon

 

 

 

 

高山羽根子『暗闇にレンズ』を読んで震えあがった。

女性たちの偽史SF

 

高山羽根子という作家の名前はSF方面でちょくちょく目にしていて、読んでみたいなーと思っているうちに時は過ぎゆき(最近は少し油断するとすぐに5年くらい経つ)、そうこうしているうちに芥川賞を受賞し、前後してこの『暗闇にレンズ』東京創元社)が出た。

映像がテーマのSFのようだし、表紙も可愛いので読んでみよう!と軽い気持ちで手に取った結果、私は恐ろしさに震え上がることになる。

この『暗闇にレンズ』は、歴史と戦争、技術と兵器、そしてそれに関わる三世代にわたる女性たちの物語だ。そして「歴史」「女性」の話である以上、気楽な話であるわけはなかった。

 

血縁ではない継承の物語


明治時代から始まるこの小説は歴史改変SFでもある。この世界では映像が兵器として使用されるよう進化しているのだ。主人公となる女性たちは、様々な形で映像に関わり、波乱万丈の人生を歩んでいく(そこには痛ましい悲劇もある)。

重要だと思う点は、世代を超えて継承されていくものの物語でありながら、この小説は決して血縁の物語ではないのだ。主人公たちはある時、様々な方法で次の世代の子供と出会い、様々な事情で家族となる。私たちは子を産むのとは違う形で何かを残していくことがある、ということが、さりげなく、しかし繰り返し描かれている。

戦争や暴力的な出来事が繰り返し描かれながら、この小説は終始、抑えた筆致で淡々と語られる。それぞれの時代に生きた主人公たちのささやかな日々や幸福もまた丹念に描かれる。時間をかけて読み終え、「すごい小説を読んでしまった……」と嘆息した。

 

Side A
「トウキョウが戦場になったら、きっと戦場カメラマンはいらないよね」
っていう感じのことをもうちょっと品のない言い方でつぶやいてから、彼女は体格のわりに細くて未発達な顎を上げた。皮肉めいた視線の先にある天井には、私たちの手のひらの丸みにも収まってしまうほどの小さな半球体が並んでいる。ぴったり等間隔で、天井の模様として風景に溶け込むことが大切な仕事の一部なのだとでも主張するように、それでいて黒く艶やかな存在感をあたりに知らしめて、ささやかな威嚇もときには必要なのだとでもいうように。


Side B  一八九六年・神戸
瀬戸内海の平坦な空に向かって、雲の入道はちょうど万歳の恰好で立っている。入道の足元にすんなりとした稜線を描いて広がる六甲尾根の斜面は、海岸線の直前で急に鋭い傾斜でもって海に差し入って姿を消す。それが天然の良港と名高いこのあたりの特色であった。
雲の入道は身体を反らしていっぱいに胸を膨らませ、詰まった空気を一息、六甲の斜面伝いに冷たい風にして吹きおろす。湾に広がる港の、小さな大きな船たちの帆先が一斉に揺れる。船乗りたちは心得たものだった。いざ出帆のだんになると、幾人もでじっと帆先を見つめ、揺れを見極めて吹きおろしのちょうどいい角度を見計らう。それからせいので綱の張り具合を調節し帆で風をとらまえ、つい、と船を滑り出させる。
高山羽根子『暗闇にレンズ』、「1」の「Side A」「Side B」それぞれの冒頭部分)

この小説はまず、現代のシーンと明治時代のシーンを交互に描きながら始まり、徐々にその間の歴史が埋まっていくという構成で書かれる。といっても最後に全てのピースがぴったり嵌まるというよりは、断片の集積から世界が浮かび上がるようなタイプの長編だ。しっかり根を下ろすような読後感である。

 

次の一冊


歴史改変SFということで思い出すのはキース・ロバーツパヴァーヌちくま文庫・    越智道雄訳)だ。これはかつてサンリオSF文庫から刊行されていたものの復刊。16世紀にエリザベス女王が暗殺され、カトリック教会が欧州を支配し、科学技術が発達せず蒸気機関が進化した架空の二十世紀を舞台にした、いわゆるスチームパンクSFである。
奇抜な設定を使いながら、しかし「歴史」、そして「技術」というのは一体どういうものなのかということを真摯に、批評的に描こうとしているのが『暗闇にレンズ』にも通じる。あとすごく良い執事が出てくるので執事好きの人にもお勧め。

 

そのうち読みたい

 

高山羽根子の芥川受賞作がこの首里の馬』(新潮社)。2020年の受賞で、沖縄を舞台にした小説。

なお高山羽根子は、現在すっかりSF界の登竜門となった創元SF短編賞の、第一回の佳作受賞者である(2010年)。こちらがその受賞作をタイトルに冠したデビュー作品集『うどん キツネつきの』(創元SF文庫)。

 

千葉雅也・山内朋樹・読書猿・瀬下翔太『ライティングの哲学』は、「クォリティを諦めろ」と力強く背中を押す。

この本のおかげでブログを始められました。

 

千葉雅也・山内朋樹・読書猿・瀬下翔太による『ライティングの哲学』星海社新書)。

執筆の悩みを抱えた四人の著者が何とかして書けるようになる方法を切実に模索した本だが、何を隠そう私がこのブログを立ち上げることができたのもこの本のおかげだと思う。

 

この本で語られていることはシンプルに言ってしまえばたった一つ、執筆のハードルを下げることである。 別の言い方をすると、つまり出来上がった文章のクオリティを諦めることだ。

執筆という行為を実現するために文章のクオリティを諦める、この事を徹底的に肯定して推奨したのが、この本の革命的な価値転倒である。

 


そう、書ければいいのである。

私はもともと文章を書くのがわりと好きだったが、趣味で書いて発表するのはハードルが高いと思っていた。どうしても、一定のクォリティを満たす文章を書かねばならないと思っていたのだ。

しかしこの本を読んで、執筆という目的のために能動的に諦めるということを学んだ。攻めの諦め、オフェンシブな諦めである。

そしてこの本は一人の著者の単著ではなく、四人の著者の、対談を中心とした共著だということが重要だ。四人もの人間が、みんなで互いに「諦めよう」と言い合っているこの説得力。これがこの本の、読者をエンカレッジする力の源なのだ。

そうやって私は背中を押され、このブログに載せる文章を書き始めることができたような気がしている。

(もちろん、クォリティが不要という話ではなく、文章を完成させるには一旦クォリティを脇に置いてみよう、という話かと思います。完成しないと世に出せませんし)

 

読書猿:文章の書き方の本ってマナー本なんですよね。行儀作法の本。いまマナー講師ってありもしない規範をつくってお金を稼いでると批判されてますけど、文章のマナー本って基本的に「●●してはいけない」というべからず集なんですよ。正しい「文章」があるものとして、それを規範の形で説明するもの。でも、その規範に則ったものだけが文章ではないはずなんです。いろんな書き方や文章がある。(略)ただ、ぼくらのこの本は「●●してもいいよ」と促す、マナー本とは違うものにできつつあるのかなと感じています。(『ライティングの哲学』座談会その2 快方と解放への執筆論)

 

もちろんこの本の中には、様々な具体的なテクニックも同時に紹介されている。

どのようなマインドセットを行うことで「書けない」状況を突破するか、四人の著者それぞれがアイディアを出し合っている。

またアウトライナーに代表される、執筆に使用するツールの情報もいろいろある。(私はworkflowyを愛用しています)

手を動かす仕事や趣味全般に応用できることが書いてある本なので、特にものを書く予定が無い人もぜひ読んでみてほしい。

 

次の一冊

 

著者の一人である哲学者・批評家・小説家の千葉雅也によるもうひとつの実用書(?)が『勉強の哲学』(文春文庫)だ。

これは著者が「勉強とは何なのか」を説く本だが、そもそも勉強とはどういうことなのかについてあっと驚くような分析がされており、読み進めるうちに勉強のイメージが変わるだろう。そして同時に現代思想入門にもなっているという一石二鳥の本だ。面白い本なので改めて記事にしようと思う。

姉妹編の『メイキング・オブ・勉強の哲学』は著者がメモやアウトライナーを使って執筆を行う過程を具体的に収録したもので、『ライティングの哲学』の実践編としても読める。(そして人の手書きノートを見るのは楽しい)

 

 

 

 

 

そのうち読みたい

本書の著者のうち一人、読書猿が刊行した、独学の方法を網羅した本が『独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』ダイヤモンド社)である。

なんと788ページ。同時期に発売されてよく売れていた同じように分厚い本と合わせて「鈍器本」として有名になった。

といっても通読するための本ではなく、様々な独学の方法を拾い読みできる事典のような本のはずだ。手元に置いておきたいですねえ。

 

 

 

『呪術廻戦0』再読 「里香ちゃん」はなぜすでに死んでいるのか、あるいは少年バトル漫画の原罪

 

呪術廻戦の新しさは語りづらい

 

映画公開をきっかけに芥見下々『呪術廻戦』第0巻を再読してみた。

この漫画の新しさというのはけっこう説明がしづらくて、少年バトル漫画として何かすごく斬新な要素があるというわけでもないのだが、それでもこの漫画を読んだ後は他の漫画が少し古く感じてしまうような、そういう容赦のない新しさを持っていると思う。

それは例えばキャラクターの描写に関するちょっとしたニュアンスの問題であったり、物語を語る上でのちょっとした心構えであったりして、細かく分析しようと思えばたぶんできるんだけど、そういう話は探せばいろんなところに書いてありそうなのでそちらに任せることにする。

 

「里香ちゃん」はなぜすでに死んでいるのか

 

ここでは話を一点に絞ろうと思うが、この0巻の内容で一番重要なのはたぶん「里香ちゃん」の造形と描写だと思う。

歴史の話ができるほど網羅的な知識があるわけではないのだが、「里香ちゃん」のようなヒロイン、そしてこのような主人公とヒロインの関係性はこれまでのメジャーな少年バトル漫画にはあまり無かったと思う。

そもそも「少年バトル漫画のヒロイン」というものは難しい。今日の感覚からすると、その基本的な構造自体の問題が目につかざるを得ない。

とりあえず掲載媒体の要求として主人公が「少年」である必要があるとして、主人公とは別の特権的なキャラクターとしての「ヒロイン」を成立させることの困難は改めて繰り返すまでもないと思う。

現代の少年バトル漫画は、なんとかそれを成立させようと努力したり、いっそヒロインというポジションを捨てたり、あるいは昔ながらの定型を繰り返すなどしてそれぞれにいろいろやっている。

「里香ちゃん」からは、生命も年齢も人間的な容姿も排除されている。生前の姿はあるが、穿った見方をすれば、本来は生前の容姿すら無しで済ませたかったのではないかと思う。

「里香ちゃん」を見て思うのは、「少年バトル漫画のヒロイン」なんてもう無理だ、という感覚である。「少年バトル漫画のヒロイン」の人格と人生と生命を、作者にとって納得のいく形で成立させるのが無理なので、もういっそ、すでに死んでしまった異形の存在にしてしまったのではないかと思う。

そしてその代わりに、その存在は世界で最も祝福された存在とする。別に乙骨少年に愛されているからと言って全てがOKになることなどはないのだが、少なくともこの漫画において最大限に可能な祝福は、主人公の少年の無償の愛を受けることくらいではないかと思う。しかしもちろんそんなことは、死なせてしまったことの償いにはならない。

「里香ちゃん」は最初から死んでいるがゆえに、少年バトル漫画世界におけるあらゆる不正から守られる。そして作者は、「里香ちゃん」を死なせてしまったことの償いのために漫画を描かなければならない贖罪である。

そしてまた、「里香ちゃん」は作中において最強の存在となる。少年バトル漫画という、戦いによって秩序づけられた世界において、最強であることもまたかろうじて可能な祝福とされるのかもしれない。(そしてそれも、償いにはならない)

だいたいこのようなことが、私が0巻を読んで感じることである。これをどう判断すればいいのか、まだよくわからない。

 

少年バトル漫画の原罪?

この0巻に限らず、呪術廻戦という漫画には全体的に罪悪感のようなものが漂っている。そして私個人は、少年バトル漫画がそのような罪悪感を抱え込むことは自然だと思っているし、なんならその罪悪感こそがこの漫画の新しさの本質なのではないかとすら思っている。

その罪悪感はたぶん、それぞれの登場人物が個別に抱えるものではなく、少年バトル漫画そのものが抱える原罪に関わるものなのではないかと思う。

奈落の新刊チェック 2021年12月 海外文学・現代思想・歴史・芸術・韓国SF・きのこ文学・装飾と犯罪・X線・忍者・ゼウスほか

気になる、面白そうな、読みたい本が無数に刊行されるのに対し、実際に読める本のなんと少ないことか……そんな悲しみに枕を濡らす日々であるが、せめて他の誰かが読んでくれれば少しは報われるのではないだろうか。そうでもないだろうか。

そんなわけで、2021年12月前後に刊行された気になる新刊いろいろを手早く紹介してみます。面白そうな本の表紙が並んでると嬉しいですし。

 

作品社より台湾文学の新しいシリーズが登場。まずは女性作家アンソロジーで、この後どんどん続く模様。楽しみですね。国書刊行会の「新しい台湾の文学」シリーズもよろしく。

 

こちらは韓国SFアンソロジー。しかもパンデミックSFに特化している。韓国の小説やエッセイの人気はすっかり日本でも定着したが、SFも続いてほしい。

 

『ずっとお城で暮らしてる』、短編『くじ』などで有名なシャーリイ・ジャクスンの初期長編が文遊社から登場。1948年の作。

 

ゴシック・カルチャー関連書の執筆でもおなじみの作家、高原英理によるきのこ小説。「新たなる「きのこ文学」の傑作」って書いてあるんだけどそんなジャンルありましたっけ?

 

最近何かと名前を聞く斜線堂有紀の恋愛小説集。気になってるんですがどれから読もうか迷ってます。

 

先日『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞した台湾出身作家・李琴峰の受賞後第一作。胎児の意志を確認しないと子供が生まれないという設定の物語らしい。デビュー作の『独り舞』はすごい迫力でした(キツいシーンがあるので注意)。

 

現代最強のSF作家・飛浩隆の初期作品集&評論随筆集だった単行本『ポリフォニック・イリュージョン』を、小説部分と評論随筆部分に分けて文庫化。追加収録もあります。

 

日下三蔵編による山田風太郎推理小説短編集。

 

最近、SFとマニアックな復刊もので絶好調の竹書房文庫より、新井素子のかっこいい短編集登場。これも日下三蔵編。

 

『赤色エレジー』でおなじみガロ作家・林静一の短編漫画を、なんと又吉直樹が選んでまとめた文庫。10編収録とのこと。

 

講談社選書メチエから派生した新シリーズ「講談社選書メチエ LE LIVRE」の一冊。中世哲学を専門としつつ近年はいろんな本を書いている山内志朗によるドゥルーズ入門。

 

ジュディス・バトラー(『ジェンダー・トラブル』など)の翻訳でも知られるフェミニズムの思想家・竹村和子の2002年の著作が岩波現代文庫より復刊。

 

『永続敗戦論』『武器としての「資本論」』などですっかり有名になった政治学者・白井聡の2007年のデビュー作がついに文庫化。文庫版解説は國分功一郎

 

最近名著復刊の勢いがすごいちくま学芸文庫より、アドルフ・ロースの『装飾と犯罪』が登場。「装飾は犯罪だ」と主張する有名な本なので、とりあえず買って本棚に置いておきたい。表紙のロースハウスもかっこいい。この本については田中純の『建築のエロティシズム』(平凡社新書)で読んだ。

 

『正義論』で知られるリベラリズムの大物ロールズの入門書が中公新書で登場。『正義論』の9分の1くらいの金額で買えます。

 

急逝したデイヴィッド・グレーバーの話題書『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』の入門書が、翻訳者である酒井隆史の手により登場。クソどうでもいい仕事についてぜひ知りたい。

 

著者はイメージにまつわる問題を扱う哲学者で、この本が初の邦訳。世の中に流通するイメージと暴力の関係について詳細に論じた本のようで気になります。

 

アメリカの歴史研究者による2014年の本が人文書院より翻訳刊行。「資本主義や共産主義にも勝る第三の道として構想されたテクノファシズム」「先進技術と国民精神を結びつける思想」など強いフレーズがいろいろ。

 

『江戸の料理史』『歴史のなかの米と肉』などの著書がある原田信男による、和食文化の歴史的研究。

 

原書房より、一家に一冊は置いておきたい本が登場。呪具のことで困った時に最適。

 

民俗学者による本格的な忍者本。

 

ゼウスがいかにしてギリシア神話最高神になったのかを追う研究。ゼウスも別に最初から一番偉かったわけではないのだ。京大出版より。

 

華人社会についての多くの著書をもつ山下清海による、横浜中華街の本。筑摩選書。

 

映画に現れる都市像の研究のようだ。著者はこれが初の著書でドイツ文学・ドイツ思想が専門とのこと。新曜社

 

『文化系のためのヒップホップ入門』なども書いている大和田俊之による、アメリカのポップミュージック研究の最新版。テイラー・スウィフトからBTSまで。

 

青弓社の視覚文化叢書シリーズより。原題は「SCREENING THE BODY」で、科学技術による視覚がどのように身体を管理しようとして来たかという研究のようだ。著者はこれが初の邦訳。ジョン・バージャーを継承する仕事をしていると英文wikiにあるので、制度論的な視覚文化研究だろう。

 

ジェームズ・キャメロン自身によるコンセプトアートを集めた初の書籍とのこと。タイトルになっている「テック・ノワール」という言葉は、ターミネーターブレードランナーに代表される暗めのSF映画を総称するジャンル名としても使われるらしい。

 

アングラ演劇を代表する一人、唐十郎の本格的な批評集。著者は日本の近現代詩が専門とのこと。幻戯書房

 

ベストセラーを連発しているエクスナレッジの解剖図鑑シリーズからの宝塚編・第二弾。今回は作品の題材となる世界史にフォーカス。

 

トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンによる、映画化もされたミュージカルのビジュアルブック。

 

なんとここへきてカルティエブレッソンのインタビュー集が刊行。読書人より。

 

Pヴァインから重要パンク本が2冊ほぼ同時刊行。どっちも必読だが2冊買うのキツい!選べない!

 

 

以上、気になる新刊チェックでした。気が向いたらまた来月やります。