もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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飛浩隆『ラギッド・ガール』 緻密で官能的に描かれた、不可避の暴力についてのSF

「廃園の天使」シリーズの短編集(この本から読んでOK)

 

飛浩隆について書くのは難しい。飛浩隆を読むという体験をどのように書けばいいのか、ちょっとよくわからない。

飛浩隆の小説はSFである。そしてこのSFは、我々を無傷のままにはしておかない。我々はこのSFによって傷つけられる。しかも、それは我々自身の暴力性によってである。

 

ここでは、短編集『ラギッド・ガール』に収録された、同名の表題短編について話をしてみる。2006年に刊行されたこの短編集は2002年の長編『グラン・ヴァカンス』とともに「廃園の天使」シリーズを成しており、この「ラギッド・ガール」は長編の前日譚でもあるが、これ単独で読んでも全く問題ない。(また、どちらを先に読んでも、それぞれ違った感慨が味わえるだろう。こちらを先に読んでみたかった気もする)

 

長編『グラン・ヴァカンス』は「数値海岸」と呼ばれる一種の仮想空間を舞台とした物語なのだが、短編「ラギッド・ガール」では、その仮想空間を人間が体験するための技術(「情報的似姿」と呼ばれる)が開発されるまでが描かれる。人間が仮想空間で活動するSFは多いが、ここでは「でも、どうやって人間は仮想空間で起こったことを感覚し、記憶するのか?」ということが題材となっているわけだ。

義肢の研究者である主人公アンナ・カスキは、ドラホーシュ教授率いる上記技術の開発チームに加わり、そこで阿形渓という女性と出会う。阿形渓は身長170センチ体重150キロの体躯を持ち、全身を先天性の皮膚疾患に覆われ、「ラギッド・ガール(ざらざら女)」と呼ばれていた。彼女は「直感像的全身感覚」という特殊な知覚を持ち、自分の感覚が経験したことを全て正確に記憶することができる。開発チームは、彼女のその感覚を、人間が仮想空間を経験する技術の手がかりとするのだ。

また一方で、阿形渓はネット上に出現する架空の少女「阿雅沙」の制作者でもあった(その作品名もまた「ラギッド・ガール」である)。偶然によって「阿雅沙」と出会ったものは彼女と会話することができ、そして彼女が負った傷の秘密と、この作品が表現する暴力性について知ることになる。主人公アンナ・カスキはこの「阿雅沙」とそっくりな容姿を持ち、彼女にある執着を持っている。

 

以上が全体のあらましだが、この短編にはいくつかの軸がある。

まずひとつは、仮想空間の体験システムである「情報的似姿」の設定と、阿形渓が持つ「直感像的全身感覚」との関係。

そして、研究開発の中で出会った主人公アンナ・カスキと阿形渓との関係。

さらには、阿形渓が制作した作品「ラギッド・ガール/阿雅沙」と主人公との関係である。

この短編では、上記のようないくつもの軸が相互に絡み合いながら進展する。この短編は感覚と認識についての技術開発SFであり、立場の違う二人の女性の関係にまつわるドラマであり、そして人間の暴力性に深く関わる作品「ラギッド・ガール」をめぐる物語なのだが、これらの要素は緊密に関係し、それぞれを別々に語ることができない。

短編「ラギッド・ガール」は、このような種類も次元も違う複数のテーマを、複雑に、しかし自然に関連させながら、短い分量で語り切る。恐ろしい密度と完成度だと思う。

 

官能的な文章と、暴力についての物語

 

このように緻密に構成されているのが飛浩隆の小説だが、しかし、一読して印象に残るのは、むしろその文章の官能的な手触りである。

豊かなイメージを喚起し、五感に訴える作者の文章に、我々読者は熱さや冷たさ、心地よさや痛み、滑らかさやざらざら(ラギッド)さなどの感覚を受け取り、溺れるようにその物語を体験することになるだろう。

そして、そのようなSF的なアイディア、緻密な構成、美麗で官能的な文章によって我々が体験させられるのは、暴力にまつわる物語なのである。

長編『グラン・ヴァカンス』と短編集『ラギッド・ガール』という「廃園の天使」シリーズにおいて作者が描いているのは、究極的には暴力のテーマだと言って差し支えはないと思う。そして飛浩隆において恐ろしいのは、そこで明るみに出される暴力の主体は我々自身だということだ。

飛浩隆の小説は暴力にまつわる小説だが、しかしそれは暴力の告発や、暴力に対する抵抗や、暴力にさらされる弱者を描いたものではない。それは、我々自身が主体となる暴力、我々自身が加害者となる暴力についての小説である。そしてここでは、それが不可避なものとして描かれる。SFというものが仮に人間と文明の関係を問うものだとすれば、飛浩隆にとってのSFとは、我々と暴力との不可分の関係を、科学と文明を通して探ることなのだと思う。

科学的な考察と、緻密な論理と、官能的な文章で書き出された、我々の中にある暴力の形象。「廃園の天使」シリーズとはそのようなものだと思う。

 

床一面が古毛糸の海だ。渓が居室に持ち込んだ大量の荷物の中身が、古着のセーターだと知ったときには驚いたものだ。それを片っ端からほどかされた。ほどいた毛糸はもちろん行儀よくない。最初に編まれたとき、編み手が投入したエネルギーが糸のねじれとして、まだ保存されている。それをなだめながら、いやむしろ楽しむように、渓は編み物をしていた。
「ねえ、何をはじめるの」
「編みものよ」
「なにを編むの」
「いろんな糸を混ぜあわせて──なにがいいかな。編みながら考えるわ。まずは手を動かすところからはじめないとね」
そこに居あわせたのは大変な幸運だとあなたは思うだろう。なにしろ阿形渓がひさびさの新作にとりかかっていたのだから。
渓の手を見ると、編み棒のあたる場所で、かさぶたが剥がれかかり、にじんだように濡れていた。
「痛くないの?」
「痛いよ。あたりまえじゃない」渓は手を止めない。「ここだけじゃない。この身体はね、まるごと不快感のかたまりなの。そうだね、二日酔いの頭痛と吐き気を皮膚感覚に置き換えて、全身に貼りつけたと想像してごらんよ。それがわたしなの。ぜったい慣れることないんだな。この生きごこち、だれにもわかんないだろうね」
さらりとした調子でそう言うのを聞いて、なにか切迫した感情がわきあがり、私は思わず渓の頬にふれようとした。そしてためらった。ここは診察室ではない。医師としてではなく個人的に渓にふれることには、まだ覚悟がいった。
飛浩隆『ラギッド・ガール』表題作)

 

次の一冊

 

こちらが「廃園の天使」シリーズ第一作にして、今のところ唯一の長編。「夏の区界」と呼ばれる仮想空間のリゾートには、すでに1000年の間、一人の人間も訪れることはなく、人間のために用意されていたAIたちだけが残されていた。終わりのない仮想の夏を過ごすAIたちだったが、ある時どこからか現れた侵略者たちが彼らの世界を破壊し始める。衝撃的な構想とビジョンと描写でSFファンを震撼させた飛浩隆の代表作。

 

今回は「ラギッド・ガール」を紹介したが、実を言うと私の飛浩隆との出会いは短編「自生の夢」であった。人類を脅かす情報の怪物〈忌字禍(イマジカ)〉と、言葉によって73人を殺害した殺人鬼・間宮潤堂の戦いを描く言語SFである。私はこの短編で、ひたすらスタイリッシュで同時に残酷なこの作家を知った。この同名の短編集に収録。

 

そのうち読みたい

 

発表時に大きな話題となった大作SF。すごい話らしいです。ハードカバーの方を積んであるのでそのうち読みます。


 
 

奈落の新刊チェック 2022年11月 海外文学・SF・現代思想・グレイスイヤー・時ありて・探偵の不在・フランシスベーコン・贈与論ほか

さて今月も月初に昨月分の新刊チェックなわけですが、なんとこの新刊チェックも今回で12回目。というわけでこのブログもめでたく一周年というわけであります。自己満足でやっているブログではあるものの、閲覧数がゼロだったらあまりやる気が出ないと思われますので、みなさま日頃のご愛顧どうもありがとうございます。この新刊チェックもいつまで続けるのかわかりませんが、まあ当面はやります。では11月の新刊です。

 

 

16歳になった少女は全員が森のキャンプに送り込まれ、それをサバイブすると決められた男性の妻になれる、という設定のディストピア小説。作者キム・リゲットの小説はこれが5冊目にあたるが初邦訳で、訳者の堀江里美は他にエマ・クライン『ザ・ガールズ』、ケイト・パンクハ-スト『すてきで偉大な女性たちが歴史をつくった』などを手掛ける。

 

今年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの中編二編を収録した文庫が折よく登場。自伝的小説で知られる著者ということだが、「嫉妬」は元恋人が一緒に住むという女性をあらゆる手段で特定する話らしい。「事件」は「あのこと」というタイトルで映画化されており、昨年のベネチア映画祭で金獅子賞を獲っている。

 

侍女の物語』でおなじみマーガレット・アトウッドの短編集。原著は1983年発表、日本では1993年に出ていたものが30年ぶりの文庫化。訳者の小川芳範は翻訳家兼ソーシャルワーカーとのこと。

 

火星夜想曲』『サイバラバード・デイズ』などの作品がある英国SF作家イアン・マクドナルドの2018年作が登場。古い詩集に挟まれていた手紙の謎を調べるうちに迷宮的な世界に入り込むという話らしい。訳者の下楠昌哉は同作者の各作品の翻訳のほか、東雅夫と組んで『幻想と怪奇の英文学』シリーズを編纂している。

 

国書刊行会「奇想天外の本棚」シリーズより、ブラックユーモアたっぷりのクライムコメディとのこと。作者のパミラ・ブランチはこれが初邦訳で、1960年代に若くして逝去したが近年再評価が進んでいる作家らしい。訳者の小林晋はレオ・ブルースやマージェリー・アリンガムなど探偵小説の翻訳が多い。

 

WATCHMEN ウォッチメン』のアラン・ムーアクトゥルー神話を題材に描くグラフィック・ノベル「ネオノミコン」シリーズ第二弾。翻訳は同作者の『フロム・ヘル』なども手掛けた柳下毅一郎

 

活きる』『兄弟』などの訳書がある、現代中国を代表する作家と言われる余華の2021年作が早くも邦訳。翻訳はほかに閻連科なども手掛ける飯塚容。

 

このブログでも『ピエタとトランジ』を紹介した藤野可織の最新作。「きらら」という名を持つ別々の人物たちが登場する連作短編集とのこと。

 

猛烈な執筆ペースで活躍の場をどんどん広げている斜線堂有紀、その2020年の特殊設定SFミステリが文庫化。2人以上の人を殺すと即座に地獄行きとなる世界で、不可能なはずの連続殺人が起こるという孤島&館もの。

 

うつくしい繭』でデビューしたゲンロン大森望SF創作講座出身作家の第三作。抑圧された状況にある二人の女性の物語とのこと。

 

笠井潔がデビュー作から書き続けている矢吹駆シリーズの2002年作が創元推理文庫から復刊。駆とナディアのおなじみコンビが、エーゲ海ミノタウロス島の館でギリシア神話になぞらえられた連続殺人事件を解決します。

 

金井美恵子が文章を、金井久美子が絵を担当する姉妹エッセイ第二弾。雑誌「天然生活」の連載をまとめたものです。第一弾はこちら。『たのしい暮しの断片

 

吉田健一による読書論と、1970年代に書かれた文芸時評を集めたものが平凡社ライブラリーから。

 

ドゥルーズが画家フランシス・ベーコンについて論じた大著の新装版(旧版は2016年刊)。翻訳はドゥルーズと言えばの宇野邦一

 

福岡市美術館で開催中の、コラージュ作家・岡上淑子と幻想画家・藤野一友の二人展の公式図録。藤野一友の絵はフィリップ・K・ディックヴァリス』の表紙で見たことがある人も多いのでは。

 

バタイユの翻訳やシュルレアリスム関連の著書で知られる酒井健による本格モーツァルト論。

 

廣松、大森、田辺から中井久夫木村敏吉本隆明まで、近代日本の思想を「技術・科学・生命」という観点で総ざらいした大著。それにしても檜垣立哉は6月にも『バロックの哲学』を出しているし、共著などもいろいろあって仕事量がすごい。

 

マルセル・モース『贈与論』の訳者その人である森山工による本格モース論。なお著者は昨年にもモース論『贈与と聖物: マルセル・モース「贈与論」とマダガスカルの社会的実践』を出しています。

 

吉川浩満による進化論講義、2018年の単行本を増補文庫化。稲葉振一郎大澤真幸橘玲、千葉雅也、山本貴光との対談・鼎談も収録という豪華仕様。

 

病気や医療の観点からの人類学的研究で知られる波平恵美子の1984年のデビュー作が文庫化。「医療人類学」の先駆的名著と言われる本。

 

19世紀から現在に至るまでの証言から、英国社会の特徴とされた「社会的流動性」の実像を探る。著者セリーナ・トッドは他に『ザ・ピープル――イギリス労働者階級の盛衰』の邦訳あり。訳者の近藤康裕には『読むことの系譜学 ロレンス、ウィリアムズ、レッシング、ファウルズ』の著書もあり。

 

映画史研究者の鷲谷花による初の単著である、フェミニズム映画批評。著者はジル・ルポール『ワンダーウーマンの秘密の歴史』の翻訳も手掛ける。

 

ベストセラーとなった『有職装束大全』のシリーズから植物編が登場。古来からの日本の文献や絵巻に登場する植物がこれ一冊に。

 

五十嵐太郎による、通常の建築史からは除外された近代日本の宗教建築の研究が増補版で。原著2001年。

 

古代ケルト史を専門とする著者による初の著書。我々の持つケルトのイメージと、その実像はわりと違うそうです。

 

タイトルと目次からはよくわからないのだが、どうもニューヨーク・パンクから80年代くらいまでのUSロックを中心に、その後の「US型ニュー・スタンダード・ロック」まで網羅したディスクガイドらしい。とりあえずトーキング・ヘッズの表紙はかっこいいですね。

 

ではまた来月。

野町啓『学術都市アレクサンドリア』 ギリシアの知識を伝えたエジプトの古代都市

アレクサンドリア図書館の伝説


古代ギリシア古代ローマ、そして古代地中海世界の歴史に興味がある方であれば、アレクサンドリア図書館の名前を聞いたことがあるのではないだろうか。エジプトの古代都市、アレクサンドリアにあったと言われる、古今東西の書物を収蔵した、古代世界最大の図書館……そういうイメージである。

あるいは、古代七不思議のひとつである大灯台や、女王クレオパトラが統治したエジプトの王都としてアレクサンドリアを知っている人もいるかもしれない。

野町啓『学術都市アレクサンドリアは、そのような神話的なイメージを持つ古代都市の、特に学術都市としての側面を詳しく紹介した本だ。

 

エジプトの地中海沿岸に位置するアレクサンドリアは、その名の通りアレクサンドロス大王が建設した植民都市である。マケドニアから出発し、当時の人々にとっての「全世界」、つまりヨーロッパとアジアとアフリカの全てを手中に収めた大王が、エジプトを征服した際に起工したものだ(前331年)。

大王の死後、その帝国は配下の将軍たちによって分割されるのだが、エジプトを支配したのは大王とともにアリストテレスの下で学んだプトレマイオスであった。ここにプトレマイオス朝エジプトが誕生し(前305年)、アレクサンドリアはその首都として後の世に知られる繁栄を謳歌することになる。

 

さて、そのようなアレクサンドリアを象徴する施設が先に述べたアレクサンドリア図書館なのだが、実はその詳細についてはあまりよくわかっていない。言われてみれば、そもそも2000年以上前に存在したという施設である。はっきりしたことがわからないのは当然だ。遺跡もないし。

ではどうするか? ここでこの本は、一体いかなる資料によってアレクサンドリア図書館の存在が伝えられてきたのか、そしてその資料にはどの程度の信憑性があるのか、といったことを詳細に教えてくれるのだ。

ここで手がかりとして登場するのは、かの有名なウィトルウィウス『建築書』である。著者はこの古代の文献に登場する図書館の記述を紹介し、さらにウィトルウィウスの記述の間違いまでも指摘しつつ、しかしどうやらこの図書館がプトレマイオス朝のどこかの時点で建設されたことは間違いなさそうだと見る。

このような、いわゆる文献学の要素は、実はこの本の隠れたテーマでもある。なぜなら、当の古代アレクサンドリアの学術の中心を成すものこそ、まさに文献学だからだ。

ウィトルウィウスは、先人たちが残した記録(覚書)が後世の人々にとっていかに重要な意義を持つかを述べた後、大略以下のようなことを述べているという。

 

アッタロス王朝がペルガモンに設立した図書館に対抗するため、プトレマイオスアレクサンドリアにそれに匹敵する図書館の建設を思い立った。そしてそれが完成した時、その記念と今後の繁栄を祈念して学芸の神ムーサイとアポロンに詩文のコンテストを奉献することにした。この競技の七人の審判を選定するにあたって、その一人として図書館の上席にいた人々の推薦を容れ、連日あらゆる書物の読破に努めているというアリストファネスを指名する。そして詩文のコンテストが開催された際、アリストファネスは他の六人とは異なり、いちばん不興をかった作品を第一席に指名した。そこで理由を尋ねられると、彼は、他の審判員が一等に選定した作品が他人のものの剽窃であることを、図書館から多数の文献を取り出し、照合することにより証明したという。

(「第一章 ムーセイオンと大図書館」より)

 

ホメロスと文献学

 

この本で取り上げられる、アレクサンドリアの学問におけるいくつかの重要なトピックのひとつが、イリアス』『オデュッセイアでおなじみホメロスである。

なんでもアレクサンドロス大王はとてもホメロスが好きで、自分の覇道を『イリアス』に登場するギリシアの名将アキレウスになぞらえていたという。そして彼が建設したアレクサンドリアにおいてもホメロスの人気は絶大で、信仰の対象ですらあり、「ホメレイオン」と呼ばれるホメロスを祀る聖域まであったそうだ。

イリアス』も『オデュッセイア』も、今では本屋に行けば普通に売っているわけだが、では現在『イリアス』『オデュッセイア』として流通しているテキストは一体どのように成立したのか? そもそも紀元前に書かれたものであり、著者による原稿が残っているわけでもない。ここで大きな役割を果たしたのがアレクサンドリアに集まった文献学者たちなのだ。

もともとホメロスの物語は、多くは吟遊詩人によって語り伝えられてきたものだという。しかも当時はホメロスを口誦するコンテストがあり、詩人たちはコンテストに勝つためにテキストを我流でアレンジすることもあったらしい。このような経緯で無数に伝えられているホメロスの各テキストを比較・検討し、その内容の正統性を吟味して、できるだけ原典と呼べる形にしようと努力したのがアレクサンドリアの学者たちだったのだ。前二世紀のサモトラケアリスタルコスという人物が、当地におけるホメロス研究の完成者と見なされている。

 

さらに面白いのは、このようなアレクサンドリアにおけるホメロスの研究過程が、どのように現在まで伝えられているかだ。アレクサンドリアがやがて凋落した後、その学問を継承したのはヨーロッパの都市ではなく、東方はビザンツ帝国コンスタンティノープル(現イスタンブール)だった。コンスタンティノープルギリシア正教の中心地としてギリシアの文献の保存に努めたが、アレクサンドリアで育まれた知識もまたその地で受け継がれ、そしてその写本が15世紀にルネサンス期のイタリアへと渡っていく。古代ギリシアで生まれたホメロスは、1000年あまりの時間をかけてエジプト→トルコ→イタリアと地中海をぐるっと回ってからヨーロッパの古典となったということだ。そしてこのような出来事についても、この本では一体どのような文献によってそれが明らかになったのかを詳細に教えてくれる(これにも実に複雑な経緯がある)。

 

ムーセイオンに集う古代地中海の学人たち

 

ホメロスの話だけで長くなってしまったが、この本では他にも様々な興味深い話題が登場する。

地中海世界の各地から学者や文人を招聘し、学問の振興につとめたプトレマイオス朝の歴代王たち。彼らは自らも学問を愛し、またアレクサンドロスの帝国を継ぐものとしての権威を打ち立てるという目的もあった。

そして、そのようにして集められた、数多くの学人たち。その中にはユークリッド幾何学で知られるエウクレイデスなども含まれる。彼らは学芸の神ムーサイを祀る神域ムーセイオンに集い、研究に勤しんだ(名高い図書館はこの施設の一部だったと考えられている)

また彼らの中には、古代ギリシアプラトンの教えを受け継ぎ、秘教的に発展させたプラトン主義者たちもいた。彼らの思想もまた、後のヨーロッパに大きな影響を与えている。

プラトン主義が影響を与えた後の神秘主義にも大きく関連するものして、アレクサンドリアでは占星術錬金術の研究も行われている。宮廷占星術師だったコノンという人物は、占星術発祥の地であるバビロニアの神官から占星術を学んだそうだ。もちろん、当時の占星術錬金術は、後の天文学や化学と不可分の学問である。

 

女王クレオパトラの謎多き自害とともにプトレマイオス朝は滅亡し(前30年)、アレクサンドリアローマ帝国の属州となるのだが、その後のこの都市は諸思想の混在する哲学都市となっていく。

中でも本書の後半で大きな紙幅を割かれているのが、ユダヤ人哲学者フィロンの存在だ。当時のアレクサンドリアには故郷を追われたユダヤ人もまた多く住んでいたのだが、その頃の世界においては異端だった一神教を信仰していたこともあり、迫害されることも多かったという。そのような中でもフィロンプラトン等のギリシア哲学とユダヤ聖典である聖書の解釈を結びつけ、後のキリスト教世界に大きな影響を与えたという。

最後にこの本は、紀元後一世紀頃のアレクサンドリアにおいて、ユダヤ教キリスト教プトレマイオス朝の国家神であるセラピス信仰、上記の新プラトン主義や、ヘルメス主義やグノーシス主義といった神秘思想など、様々な宗教と思想が、それぞれに混じり合いながら共存していたことを描写し、それをシンクレティズム(諸宗教・思想の混交)の都市と呼ぶ。

 

 

印象的な話題をとりとめなく拾って来たが、この本には他にもここで触れられなかった様々な話題と膨大な登場人物が現れ、ものすごい情報量が詰め込まれている。ぼんやり読んでいると迷子になりそうになるが(いや正直に言うとかなり迷子になったが)、どの話題も非常に興味深く、この古代の学術都市の濃密な世界に魅せられる。

 

次の一冊

 

古代地中海世界を魅力的に描いた漫画と言えば、このヤマザキマリとり・みきの合作『プリニウス』である。『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリによる生き生きとした人物たちと、背景を担当するとり・みきによる古代都市や自然の圧倒的描写により、臨場感たっぷりの古代世界を味わえる。『博物誌』で知られる主人公プリニウスらは地中海世界の各地を旅するのだが、アレクサンドリアは8巻で登場。

 

古代の地中海世界でどのような神々が信仰されていたのかをコンパクトにまとめてくれる新書。よく知られたギリシアやローマ、エジプトの神々から、ディオニュソス信仰やオルペウス教などの秘教を辿り、やがて一神教が生まれ……

YOMUSHIKA MAGAZINE vol.3 NOVEMBER 2022 特集:幻想のアメリカ

自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。彼は、やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間幸せを味わったものの、目が覚めたときは、身体中に鳥の糞を浴びた気がした。

「あの子は、樹の夢ばかり見てましたよ」と、彼の母親、プラシダ・リネロは、二十七年後、あの忌わしい月曜日のことをあれこれ想い出しながら、わたしに言った。「その前の週は、銀紙の飛行機にただひとり乗って、アーモンドの樹の間をすいすい飛ぶ夢を見たんですよ」

ガブリエル・ガルシア=マルケス予告された殺人の記録』書き出し)

 

 

 

「YOMUSHIKA MAGAZINE」とは?

 

執筆者が楽しく気軽に更新できることを主目的とした雑誌風コンテンツ。今のところ隔月ペースだが不定期刊。

 

もくじ

 

What's New

 

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ボーカル/ギター担当エイミー・ラヴとベースほか担当ジョージア・サウスからなるロンドンの二人組Nova Twinsの、今年出たセカンドアルバムからのシングル。音圧がすごくて頭をぶんぶん振ってしまう。

 

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少女革命ウテナ』への明確なオマージュから始まって初回から話題沸騰の新作ガンダム、もはや何をか言わんやの注目作となっております。私もわりと長年ガンダムを見ていますが、今回は新しい世代・新しい層に向けてガンダムを作るんだという意気込みが強く伝わって来て嬉しいです。(『閃光のハサウェイ』の時にもそれは感じていました)

 

物語の立ち上がりがゆっくりしているこの漫画、第4巻にしてようやく、「あっ、この漫画ってこういう話なんだ!」ということがわかりました。ぜひ4巻までは読んでみてください。(SNSでバズることを狙った漫画が人気を博す昨今、このような時間をかけたスタートはとても贅沢にも思えます)

石田スイの漫画についてはこちらの過去記事をどうぞ。

『超人X』『東京喰種』 石田スイが描く生命の不可逆的な変化 - もう本でも読むしかない

 

 

特集:幻想のアメリ

 

今回は「幻想のアメリカ」特集なのですが、というのも「アメリカ」というものはあまりに巨大な存在で、しかも様々な幻想やイデオロギーに彩られて我々の前に現れ続けているので、果たして我々はいまだかつてアメリカというものを知っていたことがあったのだろうか、仮に多少知っていたとしても、それは一体どのアメリカなのだろうか、誰にとってのアメリカなのだろうか、それと実際のアメリカとはどこが同じでどこが違うのだろうか──などと考え始めるとキリがなく、そのような不確かなイメージの中で我々は「アメリカ」に魅了されてきたのだな、というようなニュアンスでやっているわけです。みなさんのアメリカはどんなアメリカですか?

 

 

アメリカそのものをテーマとした作家、として思いつくのはスティーヴ・エリクソン。この壮大で幻想的な小説は、アメリカ初代大統領トマス・ジェファソンと、その愛人となる黒人奴隷サリーの物語だ。革命前夜のパリに渡った二人は恋人として過ごすが、もしアメリカに帰ればサリーは再び奴隷となる。サリーが愛と自由との二者択一を前にした時、世界そのものが二つに分かれていく。
手に入りやすいところでは『黒い時計の旅』もお勧め。

 

 

アメリカ映画というものの神話的な原型のひとつはオーソン・ウェルズだろう。『市民ケーン』の方が代表作だろうが、リタ・ヘイワースの象徴的な存在感とラストのミラーハウスの場面のインパクトでこれを挙げたい。

 

 

「最も偉大なアメリカ文学」と言われることもあるが、この、成り上がり大富豪の放埓の日々とナイーブなすれ違いの恋の物語がアメリカ文学を代表するものなのか……という驚きがある。バズ・ラーマン監督の映画版も好きです。

フィッツジェラルドの小説についてはこちらの過去記事をどうぞ。

フィッツジェラルド『若者はみな悲しい』 消費社会の魅惑と呪い - もう本でも読むしかない

 

 

至上の愛

至上の愛

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ジャズについては全然知らないが、コルトレーンのこのアルバムの異様な雰囲気はなんだか凄いなと思う。タイトルも含めて、何かただ事ではない、ほとんど宗教的なことが起こっているというのはわかる。

 

 

ジェイムズ・エルロイ「暗黒のLA」四部作の、実際の殺人事件をもとにした一作目。歴史的な繁栄を謳歌した40~50年代のアメリカの暗黒面をこれでもかと描くエルロイの執念に当てられる。デ・パルマによる映画版もあるが、映画なら同じく「暗黒のLA」四部作に含まれる『L.A.コンフィデンシャル』の方が良かったような気もする。

 

 

The Smile Sessions

The Smile Sessions

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ザ・ビーチ・ボーイズの伝説的な未完成アルバム。「サーフィンUSA」など初期のサーフィン・ソングはアメリカの光の面を象徴する音楽だと思うが、この「スマイル」期の音楽はそれが異様な方向に進化しており、神々しさと怖さの両方を感じる。この『Smile Sessions』は残された音源を集めたセットで、最初の20曲は計画されていたアルバムの全貌をできるだけ再現してみた感じになっている。

 

 

LAとサーフィン繋がりでこの映画。地震で本土から切り離され監獄島となったLAに潜入した主人公スネークが、アメリカン・ニューシネマの象徴的人物であるピーター・フォンダと出会い、なんだかんだで大波が来て一緒にサーフィンをする(物語上は無意味な)シーンのカタルシスは忘れがたい。ディストピアSFの中に凝集する、アメリカ史と映画史の光と闇。

 

 

アメリカ史とアメコミヒーローの関係というのもディープな題材だが、それを極端に突出した形で見せてくれるのがアラン・ムーア原作のこのコミック。ザック・スナイダーによる映画もあるけど私は原作の方が好きです。

 

 

近年はアフロフューチャリズムの観点から取り上げられることも多いアフリカ系SF作家ディレイニーのベストセラーにして代表作にして怪作。めくるめく長い物語を読んでいるうちに、半ば廃墟となり、異形のものたちが跋扈し、時間の流れすら混乱する架空の都市ベローナがアメリカそのもののように思えてきてしまう。

 

 

ここらで日本から見たアメリカを。ソロでははっぴいえんどよりもアメリカのポップスを直接参照した感じの多く曲を作っていた大瀧詠一の、誰でも知ってる代表作。ジャケットも含めてアメリカ幻想の集大成という感じ。(その分ラスト曲がシベリア鉄道なのが驚く)

 

 

フィッツジェラルドやチャンドラー、カーヴァーなどの翻訳でも知られる村上春樹だが、春樹がアメリ現代文学の深い影響下にある作家だということは初期作の方がわかりやすい。(というか初期作しか読んでいないのですが)作中に登場するアイテムやファンタジックな雰囲気に、アメリカへ向けて日本から遠ざかるベクトルがある。

 

 

この後『ピストルズ』『オーガ(ニ)ズム』へと続く神町サーガ三部作の第一作だが、三部作を貫くテーマがまさに「アメリカ」であった。重厚な物語の中に、戦後日本とアメリカの関係が、さりげなく、しかし重要な縦軸として埋め込まれている。(なお三作目ではさりげなさが放り出されてオバマ大統領本人が登場)

 

 

間違いなくアメリカそのものを代表する映画監督の一人であろうスピルバーグだが、この映画、およびそこに登場するトム・クルーズを見た時に、このイメージが現代のアメリカなんだなと強く印象に残ったのを覚えている。即物性としてのアメリカ。

 

 

美と悪徳を必ずセットで映す映画監督がフィッシャーだと思うが、Facebook誕生秘話を映画化したこれも溜息がでるほど美しい映像と溜息が出るほどしょうもない人々の姿を同じくらいビビッドに見せつけられ、「そうですか~~」とならずにはいられない。たぶん実際のザッカーバーグとはだいぶ違うんだろうなと思いつつ間違いない傑作。

 

 

いまだにブローティガンという作家が一体なんなのかわからないのだが、時々ブローティガンを読まなきゃという気分になって、断片的な物語を何篇か読んではあまりに悲しい気分になって本を閉じる。一体ここに書いてあるものはなんなんだろうか。

 

 

Random Pick Up:ガブリエル・ガルシア=マルケス予告された殺人の記録

 

初めて読んだガルシア=マルケスはこの本だった。薄い文庫本(150ページくらい)で、読みやすそうだったからだ。時々、買った時の状況を覚えている本というのがあるものだが、この本を買った日は晴れた休日で、ちょっとした面倒な用事の後、知り合いに会うために初めて降りた駅のショッピングモールの本屋で買ったのだった。知り合いに会った後、そのモールのカフェか何かでこの本を読み始めたんだと思う。

物語は、語り手である「わたし」が、町の人々への聞き取りによって、27年前の婚礼の日の翌日に起こった殺人事件のあらましを再構成するというものだ(実際の事件がもとになっているらしい)。殺人事件が起こるまでの過程と、その背景、そしてその運命的な一日の詳細な出来事が、いかにも南米文学という感じの濃密な雰囲気の中で語られる。作者はこれを自分の最高傑作と呼んでいるそうだ。これを読んだ後、しばらく私は『百年の孤独』を始めとしたガルシア=マルケス作品を読みふけることになった。

 

 

あとがき

 

このYOMUSHIKA MAGAZINEも3号目だが、この雑誌風記事を作っている動機としては、やはり雑誌というものへのノスタルジーがある。いや、別にこの世から雑誌が消滅したわけでは全くないのだが、自分が好んで読んでいた雑誌がなくなってしまい、その後雑誌自体をあまり読まなくなってしまったということである。

雑誌というものの、雑多な内容の短い記事が載っていて、しかし全体としてなんとなく統一感がある、そういうところが好きだった。

またそういう雑誌を買う生活がしたいと思う。

 

(2022.11.20)

 

高山羽根子『オブジェクタム/如何様』 解けない謎、として描かれる世界

こういう小説が読みたかった

 

高山羽根子『オブジェクタム/如何様』最高の作品集である。私はこれを読みながら何度も「うわーっ!最高だ!」と叫びたくなってしまい、とはいえ実際に叫ぶことはせず一人で拳を握りしめたり部屋をうろうろ歩き回ったりするにとどめたのだが、しかし、いざどのように最高なのか人に説明しようとしてもなかなか難しい。

私はこの本に入っている、特に表題作である「オブジェクタム」「如何様(イカサマ)」の二編を読んで、「こういう小説こそが、自分が読みたいと思っている小説なんだよな」としみじみ感動してしまった。

 

とりあえず事実関係から紹介していこう。高山羽根子「うどん、キツネつきの」で2009年に創元SF短編賞の佳作を受賞してデビュー、そして2020年に首里の馬』芥川賞を受賞している。つまりSFから出てきて、純文学も書き、芥川賞を獲った作家というわけだ。(同じくSF出身で芥川賞を受賞している作家に円城塔がいる)

今回紹介する短編集は、2018年刊の『オブジェクタム』と2019年刊の『如何様』に単行本未収録作を加えた合本文庫化である。(どちらも刊行時わりと話題になっていたのを覚えているので、その時に読んでおけばよかったと後悔しきり……)

 

「オブジェクタム」──壁新聞と祖父の謎

 

続いて内容を見てみる。まず「オブジェクタム」だが、この小説は語り手である主人公が小学生時代を回想する形で語られる。

主人公が住む町には、誰が作ったのかわからない壁新聞が張られている。手作りの、他愛のない内容のその壁新聞は、いつしか町の人々にもなじみ深いメディアになっていたのだが、ある時主人公は、その壁新聞を作っているのが祖父の静吉であることに気づく。静吉は、俳句教室に行くと偽って家を出てから、複雑な経路を通って秘密の隠れ家──ススキの生える野原に隠されたテント──に向かい、そこでガリ版刷りの新聞を作っていたのだ。秘密を共有した主人公は、その作業を手伝うことになる。

まずこの秘密基地と、そこへの経路の描写がとてもいい。主人公たちは行き先を悟られないようにいくつもの迂回路を通り、団地とブロック塀の隙間を抜け、橋の下でロッカーに隠した道具を回収し、背の高いススキに覆われた野原を方角と距離を頼りに進む。それは自分たちの住む町が迷路へと変わる瞬間だ。区画整理された町の隙間に発生する抜け道や空隙に、子供と老人が通路を見出していく。その先で密かに作られているのがゲリラ的に掲示される壁新聞だ。

この壁新聞作りを中心に、謎めいた様々な出来事が引き寄せられる。家庭環境が複雑そうな同級生のハナ。迷い込んだ神社で出会った奇妙な手品師。かつて町を訪れたという移動遊園地の話。白紙の壁新聞に使われた古いコンピューターのためのパンチカード。そして静吉が石を集めて行う謎の行動…… 隠れ家と壁新聞を中心にして、主人公はこのような様々な謎と出会い、不思議に思いつつ、しかしそれはそれとして祖父につき合い続ける。そして最後に、まるで全ての謎が集積したような、しかし全然関係ないような、ある光景が出現して小説はぷつりと終わる。

このように説明すると、これは幻想的な小説なのかなと思われるかもしれない。確かに幻想的ではあるが、それぞれの描写は飽くまでもリアリスティックで、決して現実的なものから離れることはない。幻想に身を委ねるのではなく、いくつもの謎がゴロッと転がっている感じというか……

 

「如何様」──帰還兵と戦争の謎

 

次に「如何様」だが、舞台は一転して終戦直後の東京だ。女性記者である語り手は、ある編集者の依頼を受け、平泉貫一という水彩画家の調査を始める。依頼主によれば、この貫一は戦争から帰ってきた後、まるで別人のような見た目になっているというのだ。語り手である主人公は、この貫一が果たして戦前の貫一と同一人物なのかどうか調べることになる。

とはいえ肝心の貫一本人は姿をくらましているので、主人公は周辺の人物に話を聞いていく。まずは妻であるタエ。タエは見合い結婚で嫁いで来ると同時に貫一が出征したため、戦前の貫一をほとんど知らない。また貫一の両親は、最初帰ってきた貫一を別人だと思ったが、やがてそれを本人だと認めて泣き崩れたと語られる。他にも貫一の妾とされる女性、仕事相手だった画商、従軍時の関係者など、主人公は貫一と関わりのあった者に次々と話を聞いていく。調査を進めるほどに、主人公は単に依頼された仕事の範囲を超えて貫一に興味を抱いていく。やがて、一度は身体を壊して前線を退いた貫一が、その後従事していた秘密の任務が明らかになる。

このように、主人公が謎を追っていく探偵小説的な構造を持った小説ではあるが、しかしこの小説の目的は──前述の「オブジェクタム」と同じように──謎を解くことそのものではない。姿を変えた帰還兵の謎を追ううちに、主人公の前には戦争に翻弄された様々な人々の姿と、それでも続いていく生活の有様と、そして本物/偽物をめぐるいくつもの問いが浮かび上がってくる。歴史と、生活と、そして唯一ではない世界の捉え方が、貫一という謎の人物の周辺に凝集するのだ。読者は主人公とともにそれを目撃する。

 

謎と抑制の倫理

 

「オブジェクタム」と「如何様」のどちらもが、あるひとつの謎が中心にあり、その周りに他の様々な謎が浮かび上がり、それらがばらばらに漂ったり絡み合ったりしながら、やがて最初に見えていたのとは別の世界が見えてくる、という小説である。そこに謎の解決は無い。というより、この謎は解決などない種類の謎なのだ、ということをどちらの小説も告げている。

そして私は、それが作者の倫理的な態度なのだと思う。高山羽根子は、これらの物語を決して煽情的にも、脅迫的にも、センセーショナルにも書かない。筆致は常に淡々とし、出来事と語り手の間には一定の距離があり、感情の大きな高ぶりはなく、そして謎の解決は無い。そのような抑制的な語りでありながら、これらの小説はとても豊潤な内容を持っており、そして抑制的であるがゆえに、読者はその内容を自分の意志で──押し付けられることなく──選び取ることができる。このような抑制とバランス感覚が、私がこの小説集に深く魅せられた理由だと思う。

 

上記の話とは直接は関係ないのだが(でも関係ないこともないのだが)、「如何様」の中盤、貫一の妻タエと主人公が付け髭を付けて急に踊りだすシーンは本当に素晴らしい。ので、そこを引用して終わりにする。

タエの住むアトリエを訪ねた主人公は、どこかの部屋から流れている音楽に、戦争が終わってから時間が経ちつつあることを感じる。タエは貫一が残していった謎の付け髭を見せ、二人は冗談まじりにそれを付けてみる。

 

私たちはお互いの顔のあまりの様子にたまらなくおかしくなって噴き出し、ふたりでしばらく笑い転げる。顔からこんなふうに毛が生えているなんて! そうしてこの毛を、こんなヘンテコな形に整えて顔に残しておくなんて! 疲れるまで笑って、そのあと域を弾ませながらタエに言った。

「ヴィヴァルディですね」

音楽はずっと、同じものがくり返し流れていた。タエは小さい声で答える。

「わたくしはまったくわからないのです」

「私もほとんどわかりません。たまたま、たぶん、そうじゃないかなと。でも、まちがっていたらごめんなさい。知ったふりで恥さらしになってしまったかも」

と言って、そのあと長持の椅子から立ち上がり、紳士風に腰を折って、

「踊りましょうか」

と提案をしたのは私のほうだったのに、実際にふたりで動いてみると、彼女のほうがずっと滑らかな動きで私をリードしたので、タエは以前も、ひょっとすると貫一からこんなふうに踊りに誘われていたのではないかと想像した。私のほうは何度かこんな踊りの経験があったのに、変に緊張したためか、また男の側だと思って動いてみたためか、どうもぎこちない動きになってしまう。

髭面をした女がふたり、飾りのひとつもない灰色のアトリエの一室で踊っている。回りながら私たちは引き離されそうな力にあらがって振り乱れ、足がもつれて長持を蹴飛ばしてよろけたり、狭いあちこちに体をぶつけたりした。

(「如何様」より)

 

次の一冊

 

私が初めて読んだ高山羽根子の小説は2020年の長編『暗闇にレンズ』で、これについては以前にこのブログで紹介した。

pikabia.hatenablog.com

こうして『オブジェクタム/如何様』を読んでから振り返ると、この『暗闇にレンズ』は作者が今まで書いてきた手法を継続しながら、その物語の時間を拡張し、ひとつの偽史をまるごと描こうとしたものなのだとわかる。今回の記事で書いたような、作者の倫理的な態度はこの長編にも通底している。

 

そのうち読みたい

 

他の作品もがぜん読みたくなりましたので、今後読むのが楽しみです。

 


 

Dream Wifeの新曲「Leech」の怒りのパワーがすごい

「お前は彼女に値しない」

 

ロンドンの3人組バンド、ドリーム・ワイフの2年ぶりの新曲「Leech」がすごい迫力なので盛り上がってしまった。

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ボーカルのラケル・ミョル、ギターのアリス・ゴー、ベースのベラ・ポドパデックからなるドリーム・ワイフは2016年にデビューした、シンプルで勢いのあるインディー・ロックもしくはパンクロックを演奏するバンド。2018年にファーストアルバム「Dream Wife」を、2020年にセカンドアルバム「So When You Gonna...」を発表している。今回はセカンドアルバム以来の新曲というわけだ。

ロンドンの3人組Dream Wife

ちなみに私はこのバンドのTシャツをネットで注文して買ったのだが、いざ届いてみてから、一体どんな顔をしてでかでかと「DREAM WIFE」と書いてあるTシャツを着ればいいのかという問題に気づき、結局まだ一度も着ていない。いつかライブを見られることになったら着ていきたい。

 

さて11/9に発表されたばかりの新曲「Leech」だが、Leechというのはヒルのこと。あの、血を吸うヒルである。

低く抑えめだが緊張感のある演奏と歌で始まり、徐々に切羽詰まった感じになって、コーラスでいきなり激しい演奏とものすごいシャウトに突入、ボーカルのラケルはバンド史上最高の金切り声で「The leech is out for blood(ヒルが血を吸いに来る)」と絶叫する。

歌詞の内容は、疑いようもなく、立場の弱い者を食い物にする人々に対する怒りの言葉だ。詩的な言葉と、リアルなエピソードと、畳みかけるような問いかけによってそれが語られる。

 

かなり意訳だが、1コーラス目の歌詞を訳してみた。

(誤訳だなと思った箇所は教えてください!)
 

ヒルが血を吸いに来る
ヒルはみんなのことを知ってるし、どうやらみんなもヒルのことを知っている
やつらはにっこり笑って手を振って、偽物の歯を見せて、
頭と尻を撫でられて、ワインが注がれ、終わらないおしゃべりが貪られ、
いわゆるゲートキーパー、まさにレジェンドって感じの
そう、男の子たちは女の子たちと遊んであげる
でもそれは、見せびらかすためのただの飾りでは?
お前は何か特別なことを成し遂げたつもり?
お前は特別なつもり? お前がヒルじゃなくて?
 
どのツラさげて彼女をハグするつもり? お前は彼女を愛するに値しない
彼女の言葉にも、彼女が支えるものにも、
彼女が生み出すものにも、彼女の強さにも値しない お前は彼女に値しない
 
ほら、ヒルが来る 愛を知っている人たちから血を吸うために
愛を知っている人たちから血を吸うために
 
ちょっとは想像してみろよ
ちょっとは想像してみろよ
ちょっとは想像してみろよ
ちょっとは想像してみろよ
 
ヒルが血を吸いに来る
ヒルが血を吸いに来る
ヒルが血を吸いに来る
やつらは止まらない、最後の一滴を吸い尽くすまで
(Dream Wife 「Leech」)

 
実際の英詞は検索などして読んでもらいたいが、この後にも

Do you use and abuse your power to the young women that listen to what you say?

(お前は話を聞いてくれる若い女にその力を濫用するか?)

Do you hide behind the illusions of power

(力の幻影の後ろに隠れるのか?)

Fuck those you call themselves a friend and don't lift a finger

(友達面をしながら何もしてくれない奴らはクソくらえ)

Fuck those who say be patient wait for your turn

(辛抱強く君のターンが来るのを待てと言ってくる奴らもクソくらえ)

……などなど印象的なフレーズが満載である。

 

そしてメインコーラスと同じように連呼される重要なフレーズが、「Just have some fucking empathy」だ。empathyは共感や感情移入、他者の気持ちを理解することなどを意味する。

特にSNSなどを見ているとそう思うが、現在は何か納得いかないことがあっても、どの立場から誰を批判すべきかがとても難しい。誰もが被害者にも加害者にもなりうるし、そう考えると何も言えなくなる。

しかしどこかで怒りの声は上げなければいけない。少なくともロックバンドはそれをするのに適した形態かもしれない。ここにある怒りに、無条件に同一化はしなくとも、しかし自分のこととして聴くこと。あるいは、自分に向けられた怒りとして聴くこと?

 

www.nme.com

NMEによるインタビュー記事。

 

ついでに過去の曲も紹介しよう

 

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ファーストアルバム「Dream Wife」にも収録されているが、その前のデビューEPにも入っている最初期の曲。メロディアスでペナペナのギターも可愛い、たぶんバンド史上一番ポップな曲。癖がありすぎて「ナバー、アン」としか聞こえない「Never ends」の発音もいい。

 

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こちらもデビューEPとファーストアルバムの両方に収録されている初期の曲。おそらく「これぞドリーム・ワイフ」というバンドのイメージを決めた1曲。

 

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ミドルテンポのファーストアルバム収録曲。フォーマルに決めたメンバーがかっこいい。繰り返される、「I am not my body, I am somebody(私は「誰か」であって、単なる身体じゃない)」というフレーズが印象的。

 

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トンチキなPVで第2章の幕開けを告げた、セカンドアルバム「So When You Gonna...」

からの先行シングル。サビで「Sports!」と連呼する軽快で楽しい曲になってます。

 

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セカンドアルバムからの可愛らしい曲。でも歌詞は様々な別れの言葉を並べる物悲しい雰囲気。このアルバムは曲調の幅が広がり、ラスト曲はしっとりピアノバラードだったりします。(そこからの今回の新曲だったので驚きも大きかった……)

台湾日記:古都台南で古跡を見たり麺を食べたり

台湾南部にある台南の街に降り立って、まず驚いたのは計程車ジーチェンチャー(タクシー)が走る速度の遅さだった。

台北のタクシーは運転が荒く、とにかく飛ばす。運転手によってはわりと怖い。ちなみに交通事故も多い。ところが台南の駅で鉄道を降り、最初に乗ったタクシーは実にエレガントな運転ぶりでとても驚いた。台北はせわしない街なのだ。

確かに台南には、のんびりとした雰囲気がある。この街は台湾の京都などとも呼ばれる、台湾の古都だ。早くから漢人が入植して港を作り、17世紀にはオランダがゼーランディア城を建てて貿易の拠点とし、後に明の将軍、鄭成功ジェンチェンゴンがそれを攻め落とす。清朝が台湾を平定すると台南に「台湾府」が置かれ、ここが台湾の首府となった。

台北から高鐡ガオティエ(新幹線)で台南まで南下し、そこから台湾鉄路タイワンティエルー沙崙シャールン線に乗り換えて市中の臺南車站タイナンチャージァン(台南駅)へ移動する。1936年に建てられた駅舎は瀟洒な建築で、かつてはこの建物の中にホテルとレストランがあったらしい。ぜひこの建物に泊まってみたかった。

臺南車站(台南駅)のホーム。警察署と一体化しており、奥にパトカーが見える。

臺南車站駅舎(1936年)。この時工事中だった。

 

古都なので、古跡をいろいろ見て回ることになる。前述のゼーランディア城は、鄭成功によってオランダが掃討されてからは安平城と名が変わり、現在は安平古堡 アンピングーバオと呼ばれている。城自体は残っていないが、小高い丘に城壁が張り巡らされた、いかにも城という感じの場所だ。

ゼーランディア城、後に安平古堡。

鄭成功の時代には台湾全体の最高行政府だった赤崁楼チーカンロウもオランダが建てた城だが、こちらは中国風の意匠になっている。

赤崁楼。別名プロヴィンティア。

他にも台湾最古の孔廟コンミャオ孔子廟)や、19世紀に建てられたイギリス公館である徳記洋行ダージーヤンハンなどいろいろ見て回ったが、中でも異彩を放つのは安平樹屋アンピンシューウーと呼ばれる倉庫跡だ。ここは19世紀から20世紀初頭に建てられた倉庫群なのだが、使用されなくなった後、その全体がガジュマルの樹によって浸食され、さながら鉄と煉瓦と樹木が一体となったかのような異様な空間となっている。

安平樹屋。広大な領域がこの状態になっている。

 

 

台湾最初の百貨店・林百貨リンバイフォ。この周辺は台南市街の中心部だ。

 

 

台南は食べ物も美味しい。全体的に、台北よりも優しい味のものが多いような気がする。台南名物として有名なのは牛肉湯ニョウロウタンという牛肉スープで、新鮮な牛肉をシンプルなスープで茹で、ショウガと一緒に食べる。これは当地では朝ごはんらしい。

牛肉湯。

ところで別に、いわゆる名物を食べなくても美味しいものはいくらでもあるわけで、まあだいたい何を食べても旨いのだが、台湾で美味しい店を見つける方法は簡単だ。単に、客がいっぱいいる店に入ればいい。台湾は圧倒的に外食文化なので、住民が日常的に外で食事をする。彼らが普段食べているものが、一番美味しいものというわけだ。また、台湾の人は並んで待つのが苦にならないようで、人気の店はいつも並んでいる。時間があればその列に加わるのがいい。

台南で食べて印象に残ったのは、そのような感じで通りかかった店で食べた意麺イーミェンだ。台南の意麺は、小麦粉と卵で作られた麺で、なんても茹でる前に揚げているらしい。この麺と簡単な具をあっさりしたスープに入れただけの麺だが、これが異様に美味で二日連続で食べてしまった。

意麺。

 

 

こちらは台南についての、イラスト主体の異色ガイドブック。数年前からの台湾ブームで、ガイドブックに限ってもかなり多彩なものが出ている。