もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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佐藤亜紀『ミノタウロス』 容赦のない「歴史」の手触り、そして機関銃付き馬車。

祝・復刊!佐藤亜紀ミノタウロス

 

 

 

長らく品切れ状態だった佐藤亜紀ミノタウロスが、角川文庫から復刊された。めでたい。『スウィングしなけりゃ意味がない』が出て以来、入手困難だった佐藤亜紀の本がどんどんKADOKAWAから復刊されているのでありがたい限りである。どんどん読まれてほしい。
この小説は雑誌「本の雑誌」による2007年に出た本のベスト1に選出され、また第29回吉川英治文学新人賞受賞も受賞している。私が読んだのは話題になってからずいぶん後、講談社文庫版が出た頃だったと思う。

 

20世紀初頭のウクライナ、内戦サバイバル小説


物語の舞台はロシアの帝政が崩壊した直後のウクライナ。主人公は地主の息子ヴァシリ。地主の息子なので要するに田舎のボンボンという感じなのだが、このボンボンが内戦のただ中に放り出され、手段を問わずサバイブしていくという小説だ。
佐藤亜紀の小説は容赦がない。とは言っても、露悪的だったり、エロスや暴力がことさら強調されていたり、「人間の……暗黒面!」などがこれ見よがしに強調されているとかいうことではない。容赦がないというのは、「歴史」というものがどういうものなのかを、上記のようなロマンを排して淡々と語るところだ。淡々と語るだけで、歴史は必然的に容赦がなくなる。なぜなら、ロマンや理念を排した歴史は、権力と暴力の連鎖でしかないのだから。

 

生々しい「歴史」の手触り


ミノタウロス』はフィクションだが、私たちが好き勝手にロマンを投影した歴史、英雄や偉人のものではない歴史の手触りを感じることができる、気がする。それはひょっとすると、多くの歴史書を読むよりも生々しい手触りなのではないかと思う。そしてそれを読む読者は、私たちが歴史について語ることの難しさを知るだろう。
個人的な小説のハイライトは、主人公が機関銃付き馬車を手に入れるくだりだ。機関銃付き馬車というものの身も蓋もない威力をこれほど教えてくれる小説は他にはないのではないだろうか。

 

 ぼくは時々、地主に成り上がる瞬間に親父が感じた眩暈を想像してみる。親父がまだヴォズネセンスクにいて、農機具店で働いていた頃のことだ。ぼくが生まれるより二十年も前の話だ。

 独学で身に付けた簿記と、腰の低さと、お愛想笑いが生活の手段だった。三十を過ぎても独り身だった。爪に火を灯すようにして僅かばかりの給金を貯め込む小男に嫁ごうという女はいない。日の当らない店の奥で青白く面窶れはしていても病気一つしなかったし、重い鉄床をちょっと踏ん張るだけで抱え上げるくらい頑丈だったが、女たちは親父を宦官か何かのように考えていたらしい。(佐藤亜紀ミノタウロス』冒頭)

 

佐藤亜紀の小説には生活が書かれている。そして生活の中にしか歴史はないのだと思う。

 

次の一冊


ミノタウロス』を読んだらきっと他の小説も読みたくなると思うが、勧めやすいのは前述の『スウィングしなけりゃ意味がない』だろう。ナチス政権下のハンブルクで、禁じられた音楽であるスウィング・ジャズに熱狂する悪ガキたちの物語だ。この小説でも同じような「歴史」の手触りを感じることができる。

 

 

 

かつて講談社から出ていた『吸血鬼』がすごく好きなのだが、こちらは現在電子書籍でしか手に入らない。Kindleで読んでください。

吸血鬼

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追記:復刊されました!!

pikabia.hatenablog.com

 

そのうち読みたい

 

最近は角川文庫がどんどん佐藤亜紀作品を復刊してくれており、ありがたい。この『天使・雲雀』も復刊した初期作品で、第一次世界大戦前夜を舞台にした、心が読める青年のスパイ小説とのこと。