もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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『超人X』『東京喰種』 石田スイが描く生命の不可逆的な変化

石田スイは肉体の変形を描く

 

『東京喰種』石田スイの新作、『超人X』ヤングジャンプコミックス)が1・2巻同時発売したのでさっそく買った。

私は石田スイの絵がすごく好きである。特に、肉体の変形の描写が好きだ。『東京喰種』も今回の『超人X』も、主人公たちの肉体の変形が苦悶とともに描かれ、そしてその変形により物語が始まる。

石田スイの描く変形した肉体の特徴は、それがどんなに異形であっても自律した生命体に見えるということだ。

『東京喰種』の金木研などは物語が進めば進むほど肉体が激しく変形するが、それでもそれは単に突拍子もない形なのではなく、その変形した異形の肉体が確かに生きている、ということを読者に感じさせる。その曲線、そのフォルム、その表面のテクスチャーが、自律した生命のエネルギーを感じさせるのだ。それは単なる無秩序な形ではない、何らかの秩序に従った異形なのだ。

そこでは、変形して異形になろうとする力と、生命体としての自律を維持しようとする力が拮抗している。その二つの力の間の激しい緊張関係が、石田スイの漫画には漲っている。

 

石田スイのエモーションと、「取り返しのつかなさ」

 

そして、石田スイの漫画は非常にエモーショナルだが、主人公たちにおいてはそのエモーションの激しさが肉体の変形に対応しているようにも見える。どちらの漫画でも、登場人物たちは取り返しのつかない変化を蒙る。その変化は彼らの運命の変化であり、そして同時に肉体の変化なのだ。

石田スイの漫画には常に、何か取り返しのつかない事が起こるのではないかという不安がつきまとっている。読んでいて安心できない。それは、登場人物たちの運命と肉体の双方に取り返しのつかない変化が起きるという予感だ。

ただし、この取り返しのつかなさは決して絶望を意味しない。石田スイにとっては、その不可逆的な変化こそ生命の力そのものなのだと思う。取り返しのつかない変化と、それでもその変化の中で生き続ける人間たちを、石田スイはいつも描いている。

 

ところで『超人X』は、少なくとも現時点では、『東京喰種』と比べるとシンプルな物語のようだ。シンプルな分だけ、導入に多くのページ数が使われて丁寧に描かれている。また今回はキャラデザインや設定にもコミカルな要素が現れ、ギャグ的な展開も多い。『東京喰種』では試せなかったことを試しているんだろうと思うので、今後が楽しみだ。

そして冒頭の、デビルマンに対するストレートなオマージュには盛り上がってしまう。「これ不動明飛鳥了じゃん!!」と叫んでしまった。

 

次の一冊

 

石田スイの絵を見ると、いつもフランシス・ベーコンの絵を思い出す。千葉雅也はそのベーコン論「思考停止についての試論──フランシス・ベーコンについて」(河出書房新社『意味がない無意味』所収)の冒頭を以下のように始めている。とりあえず、まずここだけ読んでください。

フランシス・ベーコンの絵画は、何をしているのか。モデルを参照した具象性を全廃はせずに、回し歪められ、ぼかされた身体は、生(そして性)のお決まりのパターンから逃れ出さんとするエネルギーの過剰を示しているようでもある。しかし彼の絵画は、脱出のテーマを言わんとしているのではないと私は思う。むしろ、その反対ではないだろうか。重要なのは、硬化したフレームへの引きこもり、パッケージ、圧縮である。いわば〈閉域〉の問題だ。それこそが、ベーコンと私たちの間にある共感の本質ではないだろうか。

(なおこの文章はこの後さらにこの問題に深く潜っていって、意外なところまで連れていかれる)
 
ともあれ、石田スイが好きな人はぜひフランシス・ベーコンの絵も見てみてください。
Bacon

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