もう本でも読むしかない

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台湾日記:台北近代建築めぐり、そして台湾総督府。

台湾に到着してから初めての休日、私はさっそく観光に出かけた。といっても近場である。私が向かったのは台北市の中心地、臺北車站タイペイチャージャン台北駅)の周辺地区だ。私は特に詳しくはないのだが近代初期の建築が好きで、台湾にはそのような建築が多く残っていると聞いていたので楽しみにしていたのである。

 

まずMRTに乗って臺北車站に向かい、そこから西門シーメン 駅の方向に向けて歩き始めた。臺北車站の周囲には、西門だけでなく北門、東門、南門もある(あともう一つ小南門という門もある)。これはかつて台北城、または台北府城と呼ばれていた地区の四方の門の跡なのだ。台北城は19世紀に清朝によって作られ、当初は実際に四方を城壁が囲んでいたという。その後、日本統治時代に城壁は撤去され、それぞれの門だけが残された──と思いきや、現在残っている門の多くは後に建て替えられたもので、当時のままに残っているのは北門のみである。また西門には門が無い。また、かつて城壁があった部分は、現在では主要道路となっている。


この旧台北城エリアは日本による統治の中心だったため、多くの政府関連施設や銀行などが建てられた。それらのいくつかが、現在もその姿をとどめているというわけだ。台湾では、古い建築物をリノベーションによってなるべく往時の形で活かそうという動きが盛んである。

特に、二二八和平公園から中華民国総督府に至る地域には、迫力のある建物が多かった。その時撮った写真とともに紹介してみる。

二二八公園北側の襄陽路。左手に国立台北博物館。この先の交差点を左折して進むと、右手に中華民国総統府がある。

 

 

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国立台湾博物館(1908)。当初は児玉総督後藤民政長官記念館という建物だった。

 

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国立台湾博物館古生物館(1933年)。当初は日本勧業銀行台北支店。

 

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台湾銀行(1938年)。

 

これらの建物を経て、私はついに台湾総督府(現・中華民国総統府)にたどり着いた。1919年に完成した、日本による台湾統治の中心だった建物である。赤煉瓦と花崗岩で作られた、赤と白の新古典主義建築だ。

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中華民国総統府(1919年)。当初は台湾総督府
中華民国歴106年(2017年)の新年を祝う垂れ幕が下がっている。


うすうす予感していたが、私はその威容に畏れを抱いた。それは、例えば日本の国会議事堂などとは全く違う意味合いの建造物だった。

台湾は、帝国主義時代の日本の最初の植民地である。台湾総督府庁舎は、台湾の、そして世界の人々に、西洋列強と肩を並べようとする帝国日本の力を示すものでなければならない。それは、日本が建てた建築の中でも、ある意味で最も顕著に、権力を誇示するために建てられたもののひとつであろう。

広大でまっすぐに伸びた凱達格蘭大道カイダーグーランダーダオの先に屹立する赤煉瓦の高い塔を見ながら、私はゾッとするような力の感触と、それを表現するために磨かれた美学をともに感じた。

 

 

ちなみにこの観光散歩をしたのは12月の末だったが、南国の日差しを甘く見ていた私は見事に熱中症となった。

 

 

 

台湾の建築とその歴史を手早く知るには、この「ふくろうの本」シリーズ『図説 台湾都市物語』河出書房新社)が図版も多く便利。