もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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前島賢『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』を読んで真のセカイ系を知るべし

セカイ系」を再定義する必読本


シン・エヴァンゲリオンが公開されて皆がエヴァの話をしていた頃、ふと思い出して前島賢セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』ソフトバンク新書)を読み返した。

 

 

2010年に出たこの本は、当時よく言われていたセカイ系の定義について、実際の作品とそれらが現れた経緯に基づいて異論を唱えている

当時よく言われていたセカイ系の定義とは、「『君と僕』という個人的な関係が『世界の運命』のような出来事と短絡的に接続される作品」というようなものであった。

この定義は非常にキャッチーで、多くの人がこの定義に基づいて喋ったり議論していたりしていたと思う。しかし著者はこれはごく一部の作品にのみ当てはまることであり、セカイ系の実態は異なると主張する。

簡単にまとめると、著者によるセカイ系の定義は、「TV版エヴァンゲリオンの後半に影響を受けた、内省的な・自己言及的な・自意識語り多めの作品群」である。

代表的なものとして挙げられているのは「最終兵器彼女」、「イリヤの空、UFOの夏」、KEYのノベルゲームなど。このように定義されるセカイ系の作品が前述のような内容を持っていることはありうるが、それ自体が本質なのではないというのが本書の主張だ。

 

ポスト・エヴァの時代


著者によればセカイ系とは、エヴァンゲリオンの衝撃によって生まれた、オタク文化と青少年の自意識が出会ったいびつなジャンルであり、そしてそれらは短命に終わったという。

なぜなら、それらの作品群はジャンルそのものに対して自己言及的な性格を持つため、商売になりにくいのだ。確かに、受け手の没入に自ら水を差すような作品が大きなヒットになりにくい、というのはわかる気がする。

私自身はここで挙げられた作品は知ってはいてもあまりなじみが無いのだが、エヴァンゲリオンに影響を受けた当時の時代の空気はよく覚えており、もちろん自分も何かしら影響を受けていたと思う。

また、青少年のこじれた自意識を強く反映した物語というものが、それぞれの時代にどこにあるのかというのは常に気になる問題である。折にふれて立ち返ることになるような気がする本だ。

 

筆者のこの問題意識は、非常に限られたものにしか見えず、読者の関心を早くも失いつつあるかもしれない。だが、ページを閉じるのは少しだけ待っていただきたい。

(中略)

本書の結論をやや先取りして述べるならば、セカイ系とは、00年代後半に大ヒットしたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』と、その影響とは何だったのか、というオタクたちの問いかけから生まれたものと言える。
社会現象とまで言われたこの大ヒット作は、オタク文化のビジネスモデルから、作品の内容、あるいはオタクたちの趣味嗜好、作品需要の態度にいたる、ほぼ、あらゆるすべてに、決定的な変化をもたらした。セカイ系という名で呼ばれていたのは、実はこの変化そのものなのである、というのが筆者の考え方だ。
ゆえにセカイ系を問うことは、『エヴァ』とは何だったのかを問うことになる。『エヴァ』後のオタクの歴史を語ることにも繋がる。

(中略)

地味かもしれないが、オタク文化をまるで地下水脈のように流れた重要なテーマがセカイ系なのである。(「序章 セカイ系という亡霊」より)

 

本書は著者の人生における重要な経験と、その経験に対する批評的な観点とが真摯に絡み合った魅力的な本でもある。

そしてまた、現代のセカイ系に相当するものがどこにあるのかも、ぜひ知りたいと思う。

 

 

次の一冊


セカイ系とも縁の深いライトノベルというジャンルだが、私のようにライトノベルに全然詳しくなく、しかしなんとなくその周辺ジャンルをうろうろしている者にとって非常にありがたい本がこの飯田一史『ライトノベル・クロニクル』(Pヴァイン)だ。2010年から2021年の間にアニメ化された作品を中心に、ここ10年のライトノベルの傾向を門外漢に向けてちょうどいい感じで解説してくれる。ここに至る前史や周辺ジャンルについてのコラムも充実。

 

 

今回の内容で自分語りをしないのはフェアじゃない気がするのだが、かつて私が入れ込んだ「内省的な・自己言及的な・自意識語り多めの」ジャンルは当時の日本・海外のロックだったと思う。ロッキング・オンとかジャパンとか熟読してたし。当時そういう意味で一番入れ込んでいたバンドはスーパーカーだった。その証拠に、今はまったく聴く気がしない。特定の時期の自分に、あまりに強くリアルタイムで結びついていたからであろう。(後追いで聴いていた昔のバンドなどはその後もよく聴いている)