百年戦争と近代国家のはじまり
私は歴史書をメインに読むタイプの人間ではなく、芸術の本や現代思想の本を読んでついでに歴史を学んでいる程度の歴史好きなのだが、たまにいわゆる「歴史の本」を読むのは新鮮な体験である。
そして最近の私の興味は、近代における国民国家の成立というのはどういうことだったのか、という部分にわりとある。
今回読んだ佐藤猛『百年戦争 中世ヨ-ロッパ最後の戦い』(中公新書)も、そのような興味にも非常によく答えてくれる本だった。
百年戦争は、諸説あるものの1337年から1453年にフランスとイギリスの間に起こった戦争とされ、副題にもある通り「中世ヨーロッパ最後の戦い」という面がある。つまりこの戦争が起こっている時代はいまだ中世であり、その時代と現在との違いを見れば、おのずと近代そして現代のことが新たな方向からわかってくる。
そもそもフランスとイギリスの戦争と言いつつ、中世の封建社会では「国」というものがまだ固まっていない。国境の概念すらない。我々の知っている「フランス」と「イギリス」の戦争ではないのだ。
歴史好きには自明のことも多いだろうが、今回はそのような観点から印象に残った部分を挙げてみたい。
(なお私は同テーマの関連書籍を読み比べたわけではないので、ここに書いてあることは飽くまでも同書の記述だけに基づいている)
- フランスとイギリスの戦争と言いつつ、実際には各地にいる貴族や諸侯がイングランド王側についたりフランス王側についたりして勢力争いをしている。特にフランス側の内輪もめがすごい。
- そもそも当時のイングランド王家もフランス出身で、フランスにわりと領地があり、フランスの王位継承権もわりとある。言葉もフランス語を話していた。
- フランス側の貴族も、フランス王と利害が一致しないとすぐにイングランド王に臣従礼を行って鞍替えする。
- 南仏にいる貴族たちにとっては、パリもロンドンも同じくらい距離が遠いのでイングランド王もフランス王も同程度の存在感しかない。
- ピレネー山脈のあたりにナヴァール王というのがおり、こいつもフランス王位継承権を持っている。
- ウェールズやスコットランドはフランス王と同盟を結んでイングランドを挟み撃ちにしがち。
- ローマ教皇が「キリスト教世界の平和」を維持するため、両王家に対して和平交渉を促し続ける。(なかなかうまくいかない)
- 途中いろいろあって教皇がローマとアヴィニョンに二人出現。教会大分裂(シスマ)の時代へ。双方の支持派は互いに対して十字軍を差し向けたりする。
- 税金というのはつねに徴収するものではなく、戦争で必要になった時に徴収する。その場合も貴族たちにお伺いを立てないといけない。無理に徴収し続けると不満が溜まって離反される。
- 当時は正規軍というものがなく、戦争の時は傭兵を雇うのだが、傭兵はちょっと放っておくと収入がなくなるのですぐにその辺を略奪する。略奪された地方は王に離反する。
- 14世紀後半くらいにようやく英語とフランス語が別々に成立し始め、それぞれの言葉を話す人々の一体感が生まれ始める。
ざっとこんなものである。このような種々の事情から、現在の我々にとってなじみのある「国」というものは、ほんの500年くらい前にはぜんぜん違う姿をしていることがわかるだろう。
我々が知るような「国家」が成立するに至る道筋は以下のような感じだ。ヨーロッパは長い間ずっと経済成長をしていたのだが、13世紀頃にいったんそれがストップする。そのため領主たちは限られた土地と人工を最大限に活用する必要が生じ、ここに「国境」の概念が生まれる。百年戦争は、イングランド側が国境に区切られた近代国家を作ろうとして始めた面があったという。
また百年戦争の間、戦費の必要から、特にフランスで税制が発達する。それまで臨時に徴収されるだけだった税が、国王の領地に住む者から一律に集められるようになり、税を国王に納める者は「国民」と呼ばれるようになった。そして集められた税は王個人のものではなく、公共的なものとされるようになった。これも「国家」の誕生の一面である。
そして百年戦争はもともとは王家同士の領地と継承権の争いであり、それに両地域の諸侯たちが複雑な利害関係をもって関係していただけだったが、長く続く戦いの中で民衆がそれに巻き込まれ、戦費の納税を通じて「国家」という「想像の共同体」が徐々に形をなしていった。もともと戦争にあまり関係なかった民衆が、大規模化する戦争に巻き込まれるうちに「国家」に束ねられていくということだ。そして英語・フランス語という言語の成立も、この共同体の観念に関わって来る。
このように、長く続く戦争の中から、我々が知るような「国」の姿が徐々に現れてくるのである。
「救国の英雄」? ジャンヌ・ダルク
さて、百年戦争における最も著名な人物といえばもちろんジャンヌ・ダルクであるが、この本を読んでいて実に興味深かったのは、よく「フランスを勝利に導いた」「救国の英雄」とされるこの人物を取り上げる段になると、筆致がたいへん抑制的になるのである。
ジャンヌ・ダルクに関してよく言われていることと、史実として実際に確認されていることをバランスよく語りつつ、いわゆる伝説的な英雄としての部分には慎重に踏み込まない。かといって否定もしない。この辺りの雰囲気は、世に流布するジャンヌ・ダルク神話というものの磁場の強さを窺わせ、「そうか~」としみじみした。
ジャンヌ・ダルクという存在は、フランスという近代の国民国家が成立していく中で、国民統合の象徴(それは同時にイギリスという外敵との敵対の象徴でもある)としてイデオロギー的に活用された部分もあるという。この多面的な人物については、別の書物を読んでみる必要があるのだろう。
次の一冊
『百年戦争』がヨーロッパの西側の話とすれば、岩﨑周一『ハプスブルク帝国』(講談社現代新書2442)はちょうど隣の地域、中央から東ヨーロッパの歴史を書いた新書だ。ただこちらの扱う範囲は百年ではなく千年。
この本でも、多民族の集まりであり、各地の諸侯の力関係の上で成立していたハプスブルク帝国の歴史を通して、現代のヨーロッパ世界がどのような紆余曲折を経て成立したのかを教えてくれる。
追記:記事で紹介しました!