もう本でも読むしかない

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檜垣立哉『ドゥル-ズ 解けない問いを生きる』 生きて変化することの肯定

生命哲学としてのドゥルーズ

 

10年ほど前、震災とそれに続く原発事故を遠くから経験した頃に、私はドゥルーズの哲学に出会った。ドゥルーズの哲学には、その時の私が必要としていたもの、すなわち生物・生命体である自分や家族がこの不確かな世界で生きていくことについての肯定があった。

それを私に教えてくれた本のうち一冊が、檜垣立哉『ドゥル-ズ 解けない問いを生きる』NHK出版→現在はちくま学芸文庫)だった。

 

ドゥルーズの哲学には様々な側面があるが、檜垣立哉のこの本は生命哲学としてのドゥルーズに注目している。

ドゥルーズの哲学にとって、世界の基本的な姿は「卵(ラン)」であるという。「卵」は生命がまだ形を持たない段階であり、そこからいかなる形にも変化できる。そしてまた、その変化の方向は必ずしもプログラムされたものではない。「多様なかたちをとるために、それ自身はまだかたちをなしていない力のかたまり(本文より)」それが「卵」であり生命である。

次に著者はこの概念を理解するための二つの要点を挙げる。まずひとつは、卵が様々な形に分化していく流れを、否定性によってではなく、ポジティヴに描くこと。もうひとつは、あらかじめ変化の方向が定められた「可能性」の論理ではなく、いかようにも変化しうる「潜在性」の論理によってそれをとらえること。

このような哲学のあり方を、著者は過去の様々な哲学者との比較、そしてドゥルーズによる著作の読解を通して、具体的かつ平易に語っていく。

このイメージは、ドゥルーズにとって、世界の原型といえるものである。世界とは卵である。そこで世界を記述するとは、未分化な卵とその分化のシステムを描き出すことである。そして世界を生きるとは、卵の未決定性を生き抜いていくことである。何にでもなりうるが、しかし安住すべき拠点もすっかり定められた目的もない、そうした生成でありつづけることである。(第一部・Ⅱより)

「賭け」としての生命

 

賭博/偶然の哲学』『哲学者、競馬場へ行くなどの著書もある檜垣立哉にとって、ひとつの重要なキーワードが「賭け」であり、ドゥルーズ哲学の中からもその要素を掬い出す。

つまり、生物として生きることは「賭け」なのだ。

いかようにも変化しうる「卵」から生まれ、不可避的に周囲の影響を受け、その影響によってまた変化する生命として生きること。確かにそれは賭けでしかない。ゆえに、賭けであることが肯定されなければならない。

この本では、生命の「変化する力」そのものが肯定される。生命は状況に応じて様々に変化し、その結果として病や奇形の発生もある。しかしここでは、その「変化する力」こそが、生命が生き延びるための力そのものだとされる。生きるから変化するのであり、変化するから生きられるのだ。

揺らぎであり、不純であり、偏っていて、幾分かは奇形であること。だからこそ、世界という問いを担う実質であるもの。それをはじめから、そのままに肯定する倫理を描くことが要求されている。(第一部・Ⅲより)

副題の「解けない問いを生きる」も、このことと関係している。

世界には解けない問いが無数にあるが、今ここにある生命というものは、あらゆる解けない問いに対して出された答えの形である。生命は出された問いに対して、その場でできる限りの答えとして、自分自身を賭けのようにして形作る。

我々はみな、解けない問いに対して賭けのように差し出された答えなのであり、そのこと自体が生きているということなのである。

 

この本は現在ちくま学芸文庫から増補新版として出ているが、実はその後半部分は全て書き下ろしである。(よって新版の前半だけ読んでもよい)

後半部分は、ドゥルーズがフェリックス・ガタリとの共同作業で書いた本の内容に即している。前半の「生命」に対し、後半のテーマは「政治」だ。ここでは主に二人の共著である『千のプラトー』を引きながら、マイノリティーとテクノロジーの関係、そこから導かれる「マイノリティーの政治」の哲学について語られる。

 

次の一冊

この本で語られたテーマを、著者が本格的に展開したのがヴィータ・テクニカ 生命と技術の哲学』青土社)である。この本では、もはやテクノロジーと不可分の関係にある我々の生命についてどう考えればいいのかということが、特にドゥルーズフーコーを中心に参照しながら探求される。

 

檜垣立哉は軽めの本も多く出しているが、やはり生命哲学に関するものではこの『食べることの哲学』世界思想社)がある。この本では我々の食文化と生命の関係という、古く困難な問題について丁寧に語られている。実際に行われた、小学校で食用の豚を飼育するという実験授業の話などは忘れられない。(今年の大学入試共通テストの問題に使用されたそうです)