もう本でも読むしかない

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圀府寺司『ユダヤ人と近代美術』 決して単純化できない、ユダヤ人と美術の関係

これは何についての本か?

 

圀府寺司『ユダヤ人と近代美術』光文社新書)だが、一言では説明しづらい本である。 これはユダヤ人に特有の美術」の本ではない。この本によればユダヤ人に特有の表現というものは存在しない。つまりユダヤ美術」というものがあるわけではないのだ。

この本に書かれているのは、近代のヨーロッパ諸国に現れたユダヤ系の美術家や、美術家を支えたパトロンたちがどのようにどのように生き、考え、芸術活動をしたかということだ。

 

美術史におけるユダヤ

 

まず初めに重要なことが書かれている。 そもそも正統派ユダヤ教において偶像を作ることは禁じられている。すなわち絵を描くこと自体が禁じられているのだ。これこそが、ユダヤ人の美術家が近代以前にはほとんど存在しなかった理由である。

またユダヤ人として名声を得ることは難しく、17世紀のスペインの巨匠ベラスケスユダヤ人であることを隠し続けた。

 

ユダヤ人の美術家の登場は啓蒙主義の時代を待たなければならない。 啓蒙主義の影響を受けて世俗化の道を歩んだユダヤ人たち、特にドイツで確立された「教養(ビルドゥング)」という理想を目指してギムナジウムで学んだユダヤ人たちによって、初めてユダヤ人による美術が歴史の表舞台に現れるのである。

やがてフランスが多くの移民を受け入れるようになると、20世紀初頭のパリにおいてピサロシャガールなど多くのユダヤ系美術家が活躍した。 そしてオーストリアのウィーンでは多くの裕福なユダヤ人たちが前衛的な芸術家のパトロンとなってウィーン分離派などの活動を支えた。

 

しかし1930年代になると、徐々に情勢はユダヤ人たちにとって厳しいものとなっていく。フランスのドレフュス事件に代表される反ユダヤ主義の高まりは社会不安に乗じて各国で高まり、その最悪の帰結としてナチス政権が誕生する。

もとより反ユダヤ主義はロシアや東欧におけるポグロムに見られるように、長い間続いてきた。国を持たない民族であるユダヤ人は、いかにそれぞれの国の中に入り込み溶け込もうとも、しばしば社会不安のはけ口として利用され、迫害されてきた。

ドイツとオーストリアでは1938年のクリスタルナハト以降、ユダヤ人への迫害が本格化し、それはホロコーストへと続いていく。

ナチス・ドイツユダヤ人も多く関わっていたモダンアートを退廃芸術とし、多くの作品が没収された。 ウィーンではユダヤパトロンたちのコレクションも没収された。それらの作品は焼却されるかあるいは戦費のために海外に売却され、多くの芸術作品がスイスやアメリカに渡ったと言う。

ヨーロッパにいられなくなったユダヤ人の芸術家やコレクターたちのうち、運よく脱出に成功したものたちは、外国、特にアメリカに亡命した。人も作品も、ヨーロッパはモダンアートの財産の多くを失うことになった。

アメリカには特に多くのユダヤ人たちが亡命し、その中には多くの美術家や美術批評家も含まれ、彼らは20世紀半ばのアメリカで活躍することになる。美術家としてはマーク・ロスコバーネット・ニューマン、批評家としてはクレメント・グリーンバーグなどがいる。

 

一様ではない美術家たち

 

ここまで駆け足で見てきたようにユダヤ系美術家たちの運命は過酷なものである。しかし、それぞれの態度や考えは決して一様ではない。この本はむしろ近代ヨーロッパ、そしてアメリカに生きた彼らが、いかにそれぞれ違っていたかをこそ書いているように思える。

絵を描くためにはまず、正統的なユダヤ教の教義を捨てなければならない。しかし例えそれを捨てたとしても、伝統的なユダヤの価値観との距離の取り方はそれぞれに違う。

また世俗化しヨーロッパ諸国に溶け込もうとしたユダヤ人たちは「同化ユダヤ人」と呼ばれるが、その生き方や態度ももちろん多様である。

 

著者は終章において、この研究テーマそのものの困難さについて語っている。ユダヤ人と美術の関係を紐解くことは、当のユダヤ人にとっても歓迎すべきこととは限らないのだ。

例えばモダンアートを手掛けた美術家はコスモポリタン的で普遍的な価値を目指した。それはユダヤ人であるかどうかと関係なく受け入れられる価値である。そのような芸術家にとって、自分の作品が「ユダヤ美術」として捉えられることは必ずしも良いことではない。

また「ユダヤ美術」というカテゴリーは、新たなナショナリズムと結びつきもする。著者によれば、「美術史」の「著者」は常に国家である。故に「ユダヤ美術史」とは、イスラエルの誕生あるいはそれに先立つシオニズム運動があって初めて成立した概念だという。これこそが、この本が必ずしも「ユダヤ美術」についての本ではないということの意味なのである。

 

オーストリアからアメリカに亡命した批評家エルンスト・ゴンブリッチは、1997年に「ウィーンのユダヤ文化」についての講演を依頼され、厳しい調子でこのように語ったという。「ユダヤ文化という概念は、昔も、今も、ヒトラーと、その前身者たちと、その後継者たちによってでっちあげられたものだと私は考えています」オーストリア人の中からユダヤ人という集団を選別すること自体の乱暴さと危険性について、ゴンブリッチは語っているのだ。

 

揺れ動き続けたマルク・シャガール

 

この本で特に印象に残るのは、マルク・シャガールについてのエピソードだ。

シャガールは現ベラルーシのヴィデブスクに生まれ、ユダヤの伝統的な言語であるイディッシュ語とロシア語を話して育った(なおイディッシュ語は歴史上一度も「国語」になったことがない言語である)。やがてサンクト・ペテルブルグでレオン・バクストの画塾で学び、師を追うようにパリに出て名を成した。

シャガールは多くのユダヤ人美術家のような、教養があり裕福な「同化ユダヤ人」ではない。彼は東欧の下層ユダヤ人でありながら、前衛美術の世界だけでなく大衆的な人気も獲得した。

しかしシャガール自身は、フランス/ロシア/ユダヤ、あるいは資本主義と社会主義、これらのうちのどのアイデンティティをも選ぶことができず、その狭間で自分を抑えながら生き続けたという。彼の生きた時代、ソ連ではスターリンユダヤ人の粛清を行っていた。

シャガールの絵は広く受け入れられていたが、彼はしばしば絵の中に、イディッシュ語ユダヤ文化を解する者にだけ理解できる要素を描き込んでいた。それらの要素は、ユダヤ文化に通じた批評家の不在のため、近年まで発見されなかったという。

 

次の一冊

 

イコノロジーの基礎を築いたと言われる美術史家のアビ・ヴァールブルクもまた、19~20世紀のドイツに生きた同化ユダヤ人だった。田中純『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』では、ユダヤ人であることにまつわるヴァールブルクの葛藤と、その研究内容についての深い関わりが追及される。

 

時ならぬベストセラーとなってしまった黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』中公新書)だが、ウクライナベラルーシポーランドリトアニアなど東欧諸地域とロシアにいかにして多くのユダヤ人が住むことになったかについて詳しく書かれており、合わせて読むと背景の理解が深まるだろう。