もう本でも読むしかない

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藤野可織『ピエタとトランジ』 無敵の二人は変化に抵抗する

無敵の存在に関する小説

あなたはもう藤野可織ピエタとトランジ<完全版>』(文庫版では『ピエタとトランジ』)を読んだだろうか? もし読んでいるなら良かった。あなたはすでに無敵の存在に一歩近づいていると言える。もしまだ読んでいないなら、あなたには無敵の存在に一歩近づく機会がひとつ残されているということだ。

もちろんピエタとトランジ<完全版>』を読んだとしても無敵の存在になれるわけではない。ただこの小説の中には、無敵の存在とは何かという、切実な、しかしひょっとしたら不可能な、それでも祈りのように問わずにはいられない問いについてのひとつのイメージが描かれていると思う。この小説を読んだとしても、我々はまだ弱く不完全で何の力もないままかもしれないが、それでもここに「力」のイメージを見出すことはできるのではないか。

 

いきなり大袈裟な感じで始めてしまった。とりあえずこの小説がどんなものかを説明する。

もともとこの小説は一篇の短編小説だった。爪と目によって2013年に芥川賞を受賞した藤野可織が、そのすぐ後に刊行した短編集おはなしして子ちゃんに収録されていたのが、原型となる短編ピエタとトランジ』である。そしてそれを全く同じ設定で長編化したのがこのピエタとトランジ<完全版>』というわけだ。

※追記 文庫版ではタイトルが『ピエタとトランジ』だけになったので、記事タイトルを変更しました。(2022年10月)

 

女子高校生探偵コンビ、そして未来世界へ

 

主人公は、ピエタトランジと呼ばれる二人の女子高校生。トランジは天才的な頭脳を持つ名探偵なのだが、身の回りで死を引き起こすという特異体質の持ち主で、何もしていないのに周囲でどんどん人が死んでしまう。ピエタは助手としてそんなトランジとコンビを組み、数々の難事件の解決に乗り出すのだ。

こうして名探偵とその助手のコンビが誕生したのだが、とはいえこの小説はミステリではない。序盤はミステリ風のエピソードもあるものの、徐々に物語は予想もつかない方向へと進んでいく。そしてさらに予想外なのは時間の経過だ。この小説は個々の短いエピソードの積み重ねなのだが、エピソードとエピソードの間に驚くほどの時間が流れ、舞台は未来に、主人公の二人はやがて老婆になる。女子高校生のコンビとして始まったピエタとトランジの物語は、周囲を取り巻く世界の有様と本人たちの年齢をどんどん変化させながら進んでいく。

 

変化に対する抵抗の物語

 

そこで語られるのは一体何か? まずは大量の死。トランジの特異体質は、周囲の人間にどんどん死をもたらし、そしてその影響は世界的に広がっていく。そんな異常な事態の中で、ピエタとトランジはなるべく変わらぬ暮らしを続けようとし続ける。

では、変わらぬ暮らしとは? おそらくそれは、二人が出会ったころのままの二人でいつづけることだ。二人が出会った時、すでに二人は無敵だった。トランジと出会ったピエタは、彼女と自分がコンビを組めば無敵だと確信した。この小説は、その確信に最後まで忠実でいようとする。

しかし、人が変わらずにいることは難しい。世界は人に変化を強いる。変化を強いるのは小説ならではの異常な出来事だったりもするし、ごくありふれた世間的な常識だったりもする。人が死にまくる異常な世界も、一見平和に見える日常の世界も、どちらも二人を最初の二人のままではいさせないように変化の圧をかけてくる。

この小説は、エキセントリックで、かつ現実的な、変化に対する抵抗の物語だ。 それは成長の否定ではない。むしろ、成長の物語として押し付けられるあらゆる順応に対しての抵抗だ。この小説はそれを、単に日常的・常識的なものへの抵抗としてでも、逆に異常な世界への抵抗としてでもなく、その両方への抵抗として描く。「人並み」の日常の中にも、死と暴力の中にもゴールはない。二人はただ、あらゆる変化の圧を跳ね除けて最初の二人のままであることによってのみ無敵なのだ。

そして、あらゆる変化の圧を経験し、それを跳ね除けた後の人間は、最初と同じであって同じではなく、変わらぬまま進化した何かになれるのかもしれない。

 

ピエタとトランジ<完全版>』は、そのような、微妙なバランスの上にしか成立しない強さを描こうとした小説だと思う。そこに、我々が祈りのように思い描かずにはいられない強さのイメージ、無敵の存在であることのイメージがある。

 

高校二年生の春に、私の人生ははじまった。もちろんその前から生まれてたしいろいろあったけど、書いて残すほどのことは特にない。
私が通う地方都市の郊外の高校にトランジが転校してきたその日には、私はまだぴんと来ていなかった。退屈なこのあたりにぴったりな、地味な子だなと思っただけ。あと、これなら私のほうが断然かわいい、勝ってるな、うんうんって思ったんだった。
でも、翌日からなにもかもが変わった。
学校をサボって、当時つきあってた十歳くらい年上の男の家に遊びに行こうとして、やっぱり学校をサボってふらふらしてたトランジに偶然会って、トランジを連れて彼氏の家に行ったら彼氏が殺されてて、トランジが推理して、あとで犯人が捕まってみたらぜんぶ彼女の言うとおりで、私はトランジがすごく頭がいいってことを知った。それから、高校でもたくさん事件が起こりはじめて、人がそこそこたくさん死んで、ほとんどを二人で捜査して解決して、何回か臨時休校を挟みながらやっと卒業したときには、全校生徒数は半分以下に減っていた。トランジはものすごく頭がいい代わりに、周囲で事件を多発させる体質なのだ。
「意外と減んなかったね」と私は言った。「あーあ、全滅するかと期待してたのに」

(「1 メロンソーダ殺人事件」より)

 

 

この長編の原型となった短編小説、ピエタとトランジの出会いの物語は、ちょっと意外な形でこの長編の中に組み込まれている。その見事な配置のされ方、この長編における二人の出会いの語られ方もまた、ここに書いたようなことを鮮やかに表現しているように思う。二人は最初から無敵で、しかしそれは試練に晒され、それでも最初の地点に回帰するのだ。

 

 

次の一冊

 

上記3冊はいずれも短編集。『おはなしして子ちゃん』には、『ピエタとトランジ<完全版>』の原型となる短編ピエタとトランジ」が収録されている。どの短編集でも、日常を舞台とした小説から、SF、ホラー、ファンタジーまでの幅広い作風を楽しめる。どの作品にも独特の距離感とユーモア、同時に怖さと残酷さがあり、そこには作者の、世界に対する一貫した倫理的な態度も感じられる。

 

藤野可織の小説を読んでなんとなく連想するのがケリー・リンク。SFはSFでも「ストレンジ・フィクション」などと呼ばれることもあるリンクの小説は、藤野可織の世界観と通じる部分もある気がする。ファンタジー児童文学っぽい雰囲気も良い。

 

こちらも女性SF作家による短編集。ドキリとさせられるテーマの短編がいろいろ収録されており、油断がならない。そんな中、表題作「霧に橋を架ける」はびっくりするほどストレートな(そして繊細な)出会いと恋と成長の物語だった。

 

 

 

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2023年9月に開催された「第三回かぐやSFコンテスト」に投稿した短編SF小説が、選外佳作に選ばれました。近未来のパリを舞台としたクィア・スポーツSFです。

pikabia.hatenablog.com

こちらはカクヨム公式企画「百合小説」に投稿した、ポストコロニアル/熱帯クィアSF。

kakuyomu.jp

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