卵から孵って最初に見たのが『ニューロマンサー』
私はウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』が大好きというか、現在に至るまでに読んでいるSF、あるいは文学、あるいは小説に関しての私の好みを決定づけた作品であると言える。卵から孵って最初に見た生き物のようなものだ。私は卵から孵って最初に『ニューロマンサー』を読んだので、以後、小説というものは『ニューロマンサー』みたいであってほしいと思い続けて今まで生きている。
もちろんこれは生まれて初めて読んだ小説という意味ではなくて、現在に至るまでの小説の好みに連なる最初の作品ということだ。だから今回の文章はとても私的なものになるだろう。
ところでウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』と言われれば、知っている人はだいたい「ああ、サイバーパンクね」となるだろうと思う。
確かにこの小説はサイバーパンクと呼ばれるジャンルを代表する作品だ。しかしここからが面倒な話なのだが、私はサイバーパンク自体にはそこまで思い入れはないのである。
サイバーパンクというのは1980年代にかなり流行したSF概念で、サイバースペース、人体改造、退廃的なムード、近未来都市なんかのイメージで知られるジャンルだ。
『ニューロマンサー』が好きと聞けば、聞いた人は「ああ、サイバーパンクが好きなんですね」と返すのが当然だ。しかし私はそこで、「いや、別にそういうわけでもないんですよね……もちろん嫌いじゃないですが……」と返してしまう面倒な人間なのである
(なお私はサイバーパンクの文脈でよく出てくる映画『ブレードランナー』と『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』も大好きだが、それも単にリドリー・スコットと押井守が好きなだけである。本当に申し訳ない)
『ニューロマンサー』のどこが好きか
さて、では私は『ニューロマンサー』のどういうところが好きなのか。以下、箇条書きにしてみる
- ハードボイルドな感じの、突き放した文体で書かれている
- 都市の物語である
- フェティッシュである
- スペクタクルがある
- よく意味の分からない固有名詞がバンバン出てくる
- 全ての登場人物は主人公にとって他者であり、基本的に何を考えているのかわからない
- 登場人物たちのもつ動機はごく個人的なものである
- 伝統的な価値はだいたい崩壊している
- 説明が少なく、何が起こっているのかわかりづらい
- 本筋に直接関係のない事物がたくさん描写される
- 新しいものと古いもの・現在のものと歴史を形成するものが両方出てくる
- 具体的なものと抽象的なものが両方重視される
- 寂しくてメランコリックである
ざっとこんなところだろうか。
こうして並べてみると、私が『ニューロマンサー』が好きなことと、それがサイバーパンクであること、さらにはSFであることとは、あまり関係がない気がしてくる。実際、ウィリアム・ギブスンのその後の作品は、年を追うごとにサイバーパンクでもSFでもなくなっていくのだ。(この辺、やはり私の好きな作家であるJ.G.バラードの場合にも似ている)
『ニューロマンサー』に始まる「スプロール」三部作あるいは「電脳」三部作はいわゆるサイバーパンク小説なのだが、その後の『ヴァーチャル・ライト』に始まる「橋」三部作の舞台はぐっと現在に近づき、その後の『パターン・レコグニション』『スプーク・カントリー』に至ってはほとんどSF要素がない。
結局、私はギブスンという作家の小説の書き方に惚れ込んだということなのだと思う。ギブスンの小説はその後の私にとっての範例となり、私にとって面白い小説とはギブスンが書くような小説だということになった。
どんな小説か?つまり、あまり説明しすぎない突き放した文体の、フェティッシュでスペクタクルな、よく意味のわからない固有名詞と本筋に関係ない事物がバンバン出てくる、伝統的な価値が崩壊した後の孤独でメランコリックな都市の物語である。そういう小説こそが、面白い小説なのだ。
これは小説のある傾向を評価するとかしないとか、あるいはこういう小説が「いい小説」だとかいう話ではない。たぶん、単に私はこういうタイプの小説を読むと条件反射的に快楽を感じるのだ。
これがつまり、卵から孵って最初に見たものが『ニューロマンサー』だった人間の有様である。とくと御覧ください。
『ニューロマンサー』の具体的な内容
さすがにここで終わるのも申し訳ないので、『ニューロマンサー』の具体的な内容を多少は紹介しておく。
舞台は近未来。凄腕ハッカーだったケイスは、仕事のヘマにより神経毒を盛られ、
(この、まだインターネットが存在しなかった時代に書かれた電脳空間というアイディアが、『ニューロマンサー』を史上最も有名なSFのひとつにしている)
そんなケイスの前に、身体能力を強化した女性戦闘員・モリイが現れる。ケイスはモリイを通じて謎の男アーミテジの危険な依頼を受け、その見返りとして、再びハッカーとして電脳空間に入り込む能力を回復する。
アーミテジの背後には、あるAIの存在があった。
終盤、宇宙コロニー内にあらゆるアンティークとがらくたを寄せ集めて作られたかのような(そこにはデュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」も置いてある)構造物、
ふたりは完全に真四角な部屋の中央に浮いていた。壁と天井は、四辺形の黒ずんだ木で、板張りになっている。床は一枚の鮮やかな正方形カーペットで敷きつめてあり、
模様 が微細素子 。回路が青や紅のウールで記されている。部屋の中央には、カーペットの模様 とぴったり合った位置に、つや消しの白ガラスの台座がある。
その台座の上の、宝石をちりばめたものが、音楽のような声を出し、
「ヴィラ迷光 は内に向けて増殖する個体、擬ゴシック風の阿房宮です。迷光 の中の各空間は、なんらかの意味で秘密であり、この果てしない部屋の連続をつなぐ形で、通路や、腸のように彎曲した階段があり、眼は極端な曲線に捕われ、華麗な幕や空虚な小部屋を通り抜けて運ばれ──」(「第四部迷光仕掛け 」より)
あらゆるシークエンスを、古くて新しい無数のガジェット、文明の進歩と退化をともに示すような人やモノたちが埋めつくす。ギブスンの描き出す未来世界(あるいは現代世界)は、技術によって人が決定的に変わってしまい、しかしそのこと自体が人類の歴史で繰り返されてきたことだということを冷徹に語っている。その、夢想的でありながらメランコリックな視線がギブスンの魅力だと思う。
次の一冊
『ニューロマンサー』と同じくらい好きなのが、この第二作『カウント・ゼロ』。この小説から、その後のギブスン作品ではおなじみとなる、複数人の主人公の視点から順番に物語を語っていくスタイルが現れる。前作に見られる魅力はそのままに、今作では前作よりもだいぶ親しみやすい人物たちが主人公になるので比較的感情移入がしやすくなっております。ちなみに私はこの本を読んで、箱作り作家ジョセフ・コーネルのことを知りました。
こちらの『クローム襲撃』は『ニューロマンサー』と前後して書かれた短編を集めた短編集。なにしろクセの強い文章なので、短編を試してみてから長編に進むという手もありかと。「記憶屋ジョニイ」「ニュー・ローズ・ホテル」「クローム襲撃」の三作は『ニューロマンサー』と同じ世界を舞台としたシリーズで、登場人物も一部共通してたりする。
サイバーパンク以降の作品で特に好きなのがこの『パターン・レコグニション』。2003に発表されたこの小説は、9.11へのリアクションとして書かれた最初期の小説でもある。ネット上に散在する、「フッテージ」と呼ばれる断片的な映像作品の謎を追う話。文庫化復刊してほしい。
ウィリアム・ギブスンに深く影響を受けて読書人生を始めた私が、その後出会うべくして出会ったと思うのがヴァルター・ベンヤミンである。ベンヤミンの都市論・文明批評を読んでいると、「いや、これギブスンの話じゃん」と思うことが多々ある。特に、現在的なものと古代的なものがひとつの形象の中に同時に現れるというアレゴリーの理論、そして打ち捨てられた瓦礫のような断片の集積こそを「歴史」と見る歴史哲学は、自分がギブスンのどこに魅せられたのかを説明してくれるように思えた。
ところでサイバーパンク以外に私が好きなSFのサブジャンルがあるとすれば60~70年代のニューウェーブSFになるのだが、そういう意味では私はギブスンをニューウェーブSFの後継者として好きなのだという言い方はできるかもしれない。
ニューウェーブSFに関しては以下の過去記事もご覧ください。
それにしても、近年めっきりギブスンの新作が翻訳されなくなってしまったのは寂しい限りである。
原書で読むしかないのだろうか……
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2023年9月に開催された「第三回かぐやSFコンテスト」に投稿した短編SF小説が、選外佳作に選ばれました。近未来のパリを舞台としたクィア・スポーツSFです。