もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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松浦理英子『ヒカリ文集』 「恋愛」の定義を増やすための小説形式

6人の視点から語られる、ひとりの女性

 

『ヒカリ文集』は、2017年の『最愛の子ども』に続く、松浦理英子の最新作である

『最愛の子ども』については以前に紹介したので詳しくはそちらの記事を見てほしいが、これは非常に特異な形式を持った小説であり、またその形式自体が小説の本質と言ってもいいような小説であった。この小説は一人称視点でも三人称視点でもない「わたしたち」視点によって語られ、その視点の主体、さらにはそこで語られることの真偽までもが曖昧なままで進むのだ。

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そして今回の『ヒカリ文集』はというと、前作ほど前衛的ではないものの、やはり非常に凝った形式の小説となっている。

今回の物語はある学生劇団に所属していた賀集ヒカリという女性を巡って展開するのだが、この小説そのものが、他の劇団員たちがヒカリのことを回想して書いた文章を集めた「文集」の形を取っているのだ。ヒカリについて書かれた文章を集めた文集、ゆえに『ヒカリ文集』というわけである。

賀集ヒカリのことを回想する人物は、男性3名と女性3名の計6名。この6名全員が、かつてヒカリとある種の恋愛関係にあったという設定である。大学を卒業し、劇団からも去っていった彼ら6名がある時集まり、長く会っていないヒカリのことを懐かしんだことをきっかけに、彼らはそれぞれのヒカリとの思い出を綴って文集を作ることを思い立つ。この小説は、この6名が書いたそれぞれの視点の物語の集合なのだ。

 

松浦理英子の「恋愛小説」

 

前作『最愛の子ども』には恋愛要素も確かにあったものの、決して恋愛がメインテーマではなかった。むしろ恋愛なのかそうでないのか、仮に恋愛であるように書かれていたとしてもそれが事実なのか妄想なのか、それすらわからないという小説だった。それに比べると、今作はかなり正面から恋愛を描いた小説と言える。もともと松浦理英子はそのキャリアにおいて多くの印象的な恋愛小説を書いてきたが、今作は、前作における形式の実験を経て、それを踏襲しつつ恋愛小説に回帰した作品なのかもしれない。

さきほど、語り手となる6名全員が、賀集ヒカリと「ある種の恋愛関係」にあると書いたが、松浦理英子の読者であれば、この「ある種の」という限定の部分にこそ重点があるのがわかるだろう。

この作家の小説では、恋愛というものがはっきりと形の定まった自明の何かであったことはおそらくない。今作もまた、6名の語り手がひとりの人物をそれぞれに恋愛の相手として語る、という形式によって、「恋愛」の定義は幾通りにも変化していく。恋愛小説と言っても、この小説において「恋愛」は少なくとも6通りの概念として登場するのだ。そのような豊かさを味わうことは、つねに松浦理英子の小説を読むことの喜びである。

 

恋人として過ごした最後の日、うちの近所の小さなレストランでディナーを取った後、近くの公園で別れようという時に、予想通りあたしは号泣してしまった。ヒカリもあたしの手を取って泣いた。でも、ヒカリの涙は演技の涙だったと思う。食事中からヒカリは3か月の約束を無事果たせたことにほっとしている様子で、あたしに背を向けたとたんに解放感で会心の笑みを浮かべて走り出しそうだったからだ。それでも泣いて嘘の恋をきれいに締めてくれたのだから何の文句もなかった。

ヒカリはほんとうに恋のできない人だったのだろうか。あたしの身近には30歳を越えてからようやく恋愛感情を知りそめた人もいるから、ヒカリだってあれからの長い歳月で恋に繋がる出会いがあったかもしれない。恋をしてほしいともしないでほしいとも思わないけど、ただ知りたい。(「小滝朝奈」より)

 

キラキラ文庫

 

ところで余談だが、以下のくだりは爆笑してしまった。

才気煥発なメンバーたちの間では、単色のグラデーションの表紙に金色か銀色で作品名を箔押しした、見るからに高尚そうで高価そうな文庫本がやりとりされていた。そのシリーズの文庫本は、角度によって金箔や銀箔がキラリときらめくので、劇団内ではキラキラ文庫とかキラ文庫とか呼ばれていて、値段が張るせいでそうそう買えないため、持っている者が読みたい者に貸す風習があった。(「小滝朝奈」より)

キラキラ文庫、高いですよね。

 

次の一冊

 

さっきも貼りましたが、他の松浦作品についてもこちらを参照ください。

pikabia.hatenablog.com

 

そのうち読みたい

 

まだ読んだことないのがこちら。代表作と言われることもありますね。

 

 

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ポストコロニアル/熱帯クィアSF

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