もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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中谷礼仁『実況・近代建築史講義』は、美しい構成を持った理想的な講義の本だ

近代建築について知りたい!

 

私は建築に関してど素人なのだが、でも芸術の本を読んでいると建築のことがよく出てくるし、ちょっと建築、特に私は近代に関する本をよく読むので近代建築のことが知りたいなあと思っていた際にたまたま新刊で出ていたのがこの中谷礼仁『実況・近代建築史講義』だった。なんとも読みやすそうな体裁で、装丁もあまり大仰ではなく、実に手に取りやすい雰囲気の本であった。

この本は、実際に大学で行われた講義がもとになっている。ゆえに本文もですます調で、学生からの質問とそれに対する返答が組み込まれていたりもする。この形式も読みやすさの理由のひとつだ。2017年にLIXIL出版から刊行され、その後LIXILが出版活動を停止したため(残念……)、インスクリプトから復刊された。

 

本書を構成する三つの章


まずは構成を確認しよう。この本は三章からなるのだが、それぞれの章は単に連続しているというよりは、やや違った役割を持っている。

第一章「西洋近代―ルネサンスから産業革命へ」では、まずどのようにして西洋の近代建築が成立したいったかが簡潔に述べられることになるが、そこで大きなテーマとなるのは「様式」の発見だ。著者は中世末期、都市間の交通の発達によって人の移動が生じ、各地方の建築を比較するという見方を通じて初めて様式というものが発見されたとする。そしてルネサンスの時代、様々な意匠を様式として抽象化することによって初めて、人為的なデザインの選択が行われるようになった。中世までの建築は技術の自然的な成長によって変化してきたが、様式の発見によってその成長は止まり、その後現在に至るまでの「時間の宙づり」、つまり進化の終わりと人為的な〈モード(流行)〉の移り変わりが生じるのである。そしてその最初の〈モード〉こそが、ルネサンスにおけるギリシア・ローマの再興(古典主義)だったのだ。

その後、建築様式の変化は、問題の発見とその解決による様式の発見、そしてその様式が飽きられることによる新たな問題の発見──というサイクルを現在に至るまで繰り返すことになる。この第一章では以上の前提に従い、ルネサンスバロックマニエリスム新古典主義、折衷主義という各種の様式、そして産業革命万国博覧会という出来事を見ていく。

 

つづく第二章「モダニズムの極北―20世紀芸術運動と建築」ではいよいよ20世紀のモダニズム近代主義)建築について語られるのだが、ここで著者はやや大胆な方法を採る。モダニズムを包括的に紹介するのではなく、その実践の最も極端な形を抽出するのだ。モダニズムという運動の、いわば飛距離の最大値を示してくれるこの章はとてもダイナミックで、運動の一番面白いところを堪能できる。ミース・ファン・デル・ローエアドルフ・ロースル・コルビュジェ未来派、ロシア構成主義などの人名とキーワードがここでは登場するだろう。

またこの章では20世紀の建築が、同時代の様々な前衛芸術運動と関連付けられるのも面白い。ミース・ファン・デル・ローエによる、モダニズムの極北と呼ばれる究極の均質空間としての高層ビル〈フリードリヒ街のオフィスビル案〉が、同じくモダンアートにおける極北といえるカジミール・マレーヴィチのシュプレマティズム絵画と結び付けられる部分などは大変盛り上がる。

 

そして第三章「近代+日本+建築」は、前二章の内容を踏まえた上で、ではそれが日本でどのように展開されたのかを豊富な実例とともに紹介する。日本にとって近代建築とは、明治政府が「日本」という国家の主体を成立させるための方法のひとつであった。「近代」と「日本」という概念を同時に形としてまとめあげる方法として、西洋から建築という技術を取り入れたのである。この章では幕末から明治の建築、60年代の丹下健三、そして70年代以降、安藤忠雄から藤森昭信へと至る現代の日本建築を概観する。

 

駆け足で見て来たが、このように本書は、全体を構成する三章がそれぞれ「基本」「応用(それも極端な)」「日本でのローカライズについて語っており、この構成そのものが実に美しい。近代建築という大きな分野を語る際の、要素の整理の仕方としてとても理にかなっているし、なおかつ、なんというかエンターテインメント性がある。「これは理想的な『講義』の本だな~」と、読みながら幸せな気分になった。

このような構成を生み出すに至った、著者の基本姿勢を本の冒頭より引用しよう。

 

残念ながら私の講義では流れるような通史をお伝えすることはしません。それよりも、各時代のピークを表すような、問題提起的、あるいは象徴的な建造物とその背景をトピックとして説明していきます。点としての優れた建築的事象を、空間に置いていくようにお伝えします。
するとその点と点とがつながり、意味が生まれ、さらに点が増えると平面が出来、時には立体にもなる。その空間は次第に新しい事象を配置できる場となっていきます。それは建築の星座をつくることであり、私はそのためのガイドとなる基準点、ようはいくつかの印象的な点と粗い座標軸を提供しようとしています。(「歴史とは何か、近代とは何か」より)

 

SFファンはニヤリ

 

ところで余談なのだが、この本を読んでいると、ところどころで「この人、SFファンだな……」とニヤリとさせられる部分がある。この本では上記のように建築以外の分野との関連や照応関係についても触れられるのだが、そこで妙に頻繁にSFが登場するのだ。

特にすごいのはイギリスの折衷主義を紹介する部分で、折衷主義の美学の例としてフィリップ・K・ディック原作、リドリー・スコット監督の映画ブレードランナーが取り上げられるところだ。ここでは『ブレードランナー』のあの有名なビジュアルにおける文化と時間の混淆性が折衷主義の様式と関連付けて説明され、それは非常に納得のいく話なのだが、それにしても章のラストに敵キャラクターであるロイの、「いろいろな景色を見てきた お前たち人間には信じられまい」から始まる最後のセリフをまるまる引用するのは完全にやりすぎではないだろうか。

「いやこれ単にこのセリフを引用したいだけだろ!」と爆笑したが、私もそのセリフは大好きなので深く共感してしまった。(どんなセリフかご存じない方は、ぜひ『ブレードランナー』を見て確かめてください)

 

そのうち読みたい

 

かようにこの本を楽しみつつ、いざブログを書こうと調べた時に初めて、この姉妹編が出ているのに気づいてしまった。こちらでは古代ギリシアからルネサンスまでを扱っているということなので、今回紹介した近代編の前史ということになるだろう。当然読むしかない。

 

次の一冊

 

20世紀のモダニズム建築と、同時代の前衛芸術運動に深い関係があることは今回の記事でも触れた通りなのだが、そのような同時代の思想については例えばこの本などが面白かった。著者の塚原史はダダやシュルレアリスムなどのアヴァンギャルド芸術に関する本を多く書いている。この本では、全体主義ファシズム、無意味、未開、無意識といったキーワードと、20世紀の様々な芸術運動との関わりが論じられる。

 

 

近代、そして建築と言えばこのブログでも二度紹介した多木浩二。下記の記事も併せてごらんください。

pikabia.hatenablog.com

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