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中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来』 三人のモダニズム作家から読む、「歴史」の書かれかた

コンラッド、ウルフ、C・L・R・ジェームスを読む

 

中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来』は、主に三人の作家についての文芸批評である。 その三人はいずれも20世紀初頭のモダニズムの時代に活動し、英語で作品を発表した作家たちだ。

 

まず一人は映画『地獄の黙示録』の原作『闇の奥』を書いたポーランド人作家、ジョゼフ・コンラッド。 二人目はイギリスのモダニズムを代表する作家であるヴァージニア・ウルフ。 そして三人目はイギリス領トリニダードに生まれ、ハイチ革命についての舞台「ブラック・ジャコバン」を書いたC・L・R・ジェームスである。

(なお私は、この三人ともその作品をほとんど読んだことがない。それでも面白く読めるのが優れた文芸批評のいいところだ)

この三人は出自も立場も作品のスタイルも異なる作家たちだが、著者はこの三人の間にゆるやかな繋がりを見い出し 、三人の作品を並べ比べることによって、20世紀初頭のモダニズムの時代において彼らが共通して持っていた問題を抽出する。それは乱暴に一言で言えば、「いかに歴史を書くか」ということである。

誰もが知るとおり、歴史を書くというのは困難な行いである。それはたやすくそれを書く者にとっての歴史 、書き手にとって都合のよい歴史になったり、何かを隠蔽することによって語られた物語になりうる。アカデミックな文芸批評であるこの本は、まずは歴史を語ることについての批評的言説の概観から文章を始め、その後これらの作家たちの個別の表現に移っていく。

そこで分析されるのは、三者三様の社会的・歴史的な立ち位置であり、その場所での生き方であり、そして歴史というものとの向き合い方だ。

ポーランド人としてウクライナに生まれ、父の逮捕によってシベリアに送られ、やがて船乗りとなって世界中の植民地を巡ったコンラッド。「教育を受けた男性の娘」として生まれ、モダニズム文学を代表する作家となりながら、後の第二波フェミニズムの源流ともなったウルフ。そしてジェームスは英領トリニダードから作家を志して英国に渡り、そこで左翼政治活動にのめりこみ、そして二次大戦前後の30年間に渡ってハイチ革命の物語を書き直し続けた。

 

文芸批評の楽しみ

 

著者の読解と分析は詳細で濃密であり、また著書全体を通じて非常に多岐にわたる内容を含み、簡単な要約を許すものではない。著者はそれぞれの作品を読み込み、そこに書かれたもの、作者の人生、歴史的社会的状況、そして種々の批評理論との突き合わせを通じて、これら作家たちの作品からある共通のテーマ──しかし、それは決して一言で言い現わせるテーマではない──を浮かび上がらせていく。

上記のような、愚直とも言える手続きによって作品を読み、その中から細やかなものをいくつも拾い上げ、その微妙に関係し合った総体の中から何かが見えてくる、というのが文芸批評というものの醍醐味なのだと知ることができる。

 

先に挙げた三者とは別に、この本の隠れた主役を二人挙げておこう。一人はオリエンタリズムの著者であり、ポストコロニアル批評を代表する論者であるエドワード・サイードである。この本では多くの局面でこの著名な批評家の理論を参照することになる。

そしてもう一人は、ひょっとしたらこの本で最も重要かもしれない登場人物、セルマ・ジェームズだ。C・L・R・ジェームズのパートナーであり、70年代英国の「家事労働に賃金を」運動の中心人物であり、80年代のセックス・ワーカーの権利運動に関わった人物である。彼女は20世紀初頭のハイ・カルチャーの中にいたヴァージニア・ウルフが遺したものを継承し、より広い人々に向けての活動へと広げていった人物として書かれる。この本の題名にある「〈わたしたち〉」とは、「民衆」とも「大衆」とも違った、新たな歴史の主体、歴史を語り、作り出していく主体が現れることを願って選ばれている言葉であり、この三人のモダニズム作家を経てセルマ・ジェームスに流れ込んでいくものにそれが託されている。

ウルフは『三ギニー』のなかで、『共産党宣言』の一節「労働者に国はない」をもじって、次のように述べている。「実際、女性であるわたしに国はありません。女性であるわたしは国などほしくありません。女性であるわたしにとって、全世界がわたしの国なのです」。このように宣言するとき──少なくともこの発話の瞬間においては──ウルフの射程は「教育のある男性の娘たち」という限定された階級から「全世界」の女性たちへと開かれている。セルマ・ジェームズらの女性運動は、ウルフがマニフェストのかたちで託した夢を現実世界で実現し、未来の歴史をつくりだそうという試みだった。(「時間、主体、物質」より)

そして現在、その試みはさらに多くの少数者へと開かれていくべきだろう。

 

次の一冊

 

『〈わたしたち〉の到来』は本格的な文芸批評の本だが、ここで用いられているような批評理論について簡潔に教えてくれるのが廣野由美子『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』だ。様々な批評理論の基本を解説しながら、それを使って誰もが知る古典フランケンシュタインを実際に読んでみる、という実践的な一冊。『フランケンシュタイン』を読んでなくても問題なく読めるが、ネタバレは容赦なくあります。

 

そのうち読みたい

 

前述のように、私は本書で分析される作家をほとんど読んでいないのであった。とりあえずコンラッドのこれから読んでみようかな……

 

 

 

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ポストコロニアル/熱帯クィアSF

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