もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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高山羽根子『オブジェクタム/如何様』 解けない謎、として描かれる世界

こういう小説が読みたかった

 

高山羽根子『オブジェクタム/如何様』最高の作品集である。私はこれを読みながら何度も「うわーっ!最高だ!」と叫びたくなってしまい、とはいえ実際に叫ぶことはせず一人で拳を握りしめたり部屋をうろうろ歩き回ったりするにとどめたのだが、しかし、いざどのように最高なのか人に説明しようとしてもなかなか難しい。

私はこの本に入っている、特に表題作である「オブジェクタム」「如何様(イカサマ)」の二編を読んで、「こういう小説こそが、自分が読みたいと思っている小説なんだよな」としみじみ感動してしまった。

 

とりあえず事実関係から紹介していこう。高山羽根子「うどん、キツネつきの」で2009年に創元SF短編賞の佳作を受賞してデビュー、そして2020年に首里の馬』芥川賞を受賞している。つまりSFから出てきて、純文学も書き、芥川賞を獲った作家というわけだ。(同じくSF出身で芥川賞を受賞している作家に円城塔がいる)

今回紹介する短編集は、2018年刊の『オブジェクタム』と2019年刊の『如何様』に単行本未収録作を加えた合本文庫化である。(どちらも刊行時わりと話題になっていたのを覚えているので、その時に読んでおけばよかったと後悔しきり……)

 

「オブジェクタム」──壁新聞と祖父の謎

 

続いて内容を見てみる。まず「オブジェクタム」だが、この小説は語り手である主人公が小学生時代を回想する形で語られる。

主人公が住む町には、誰が作ったのかわからない壁新聞が張られている。手作りの、他愛のない内容のその壁新聞は、いつしか町の人々にもなじみ深いメディアになっていたのだが、ある時主人公は、その壁新聞を作っているのが祖父の静吉であることに気づく。静吉は、俳句教室に行くと偽って家を出てから、複雑な経路を通って秘密の隠れ家──ススキの生える野原に隠されたテント──に向かい、そこでガリ版刷りの新聞を作っていたのだ。秘密を共有した主人公は、その作業を手伝うことになる。

まずこの秘密基地と、そこへの経路の描写がとてもいい。主人公たちは行き先を悟られないようにいくつもの迂回路を通り、団地とブロック塀の隙間を抜け、橋の下でロッカーに隠した道具を回収し、背の高いススキに覆われた野原を方角と距離を頼りに進む。それは自分たちの住む町が迷路へと変わる瞬間だ。区画整理された町の隙間に発生する抜け道や空隙に、子供と老人が通路を見出していく。その先で密かに作られているのがゲリラ的に掲示される壁新聞だ。

この壁新聞作りを中心に、謎めいた様々な出来事が引き寄せられる。家庭環境が複雑そうな同級生のハナ。迷い込んだ神社で出会った奇妙な手品師。かつて町を訪れたという移動遊園地の話。白紙の壁新聞に使われた古いコンピューターのためのパンチカード。そして静吉が石を集めて行う謎の行動…… 隠れ家と壁新聞を中心にして、主人公はこのような様々な謎と出会い、不思議に思いつつ、しかしそれはそれとして祖父につき合い続ける。そして最後に、まるで全ての謎が集積したような、しかし全然関係ないような、ある光景が出現して小説はぷつりと終わる。

このように説明すると、これは幻想的な小説なのかなと思われるかもしれない。確かに幻想的ではあるが、それぞれの描写は飽くまでもリアリスティックで、決して現実的なものから離れることはない。幻想に身を委ねるのではなく、いくつもの謎がゴロッと転がっている感じというか……

 

「如何様」──帰還兵と戦争の謎

 

次に「如何様」だが、舞台は一転して終戦直後の東京だ。女性記者である語り手は、ある編集者の依頼を受け、平泉貫一という水彩画家の調査を始める。依頼主によれば、この貫一は戦争から帰ってきた後、まるで別人のような見た目になっているというのだ。語り手である主人公は、この貫一が果たして戦前の貫一と同一人物なのかどうか調べることになる。

とはいえ肝心の貫一本人は姿をくらましているので、主人公は周辺の人物に話を聞いていく。まずは妻であるタエ。タエは見合い結婚で嫁いで来ると同時に貫一が出征したため、戦前の貫一をほとんど知らない。また貫一の両親は、最初帰ってきた貫一を別人だと思ったが、やがてそれを本人だと認めて泣き崩れたと語られる。他にも貫一の妾とされる女性、仕事相手だった画商、従軍時の関係者など、主人公は貫一と関わりのあった者に次々と話を聞いていく。調査を進めるほどに、主人公は単に依頼された仕事の範囲を超えて貫一に興味を抱いていく。やがて、一度は身体を壊して前線を退いた貫一が、その後従事していた秘密の任務が明らかになる。

このように、主人公が謎を追っていく探偵小説的な構造を持った小説ではあるが、しかしこの小説の目的は──前述の「オブジェクタム」と同じように──謎を解くことそのものではない。姿を変えた帰還兵の謎を追ううちに、主人公の前には戦争に翻弄された様々な人々の姿と、それでも続いていく生活の有様と、そして本物/偽物をめぐるいくつもの問いが浮かび上がってくる。歴史と、生活と、そして唯一ではない世界の捉え方が、貫一という謎の人物の周辺に凝集するのだ。読者は主人公とともにそれを目撃する。

 

謎と抑制の倫理

 

「オブジェクタム」と「如何様」のどちらもが、あるひとつの謎が中心にあり、その周りに他の様々な謎が浮かび上がり、それらがばらばらに漂ったり絡み合ったりしながら、やがて最初に見えていたのとは別の世界が見えてくる、という小説である。そこに謎の解決は無い。というより、この謎は解決などない種類の謎なのだ、ということをどちらの小説も告げている。

そして私は、それが作者の倫理的な態度なのだと思う。高山羽根子は、これらの物語を決して煽情的にも、脅迫的にも、センセーショナルにも書かない。筆致は常に淡々とし、出来事と語り手の間には一定の距離があり、感情の大きな高ぶりはなく、そして謎の解決は無い。そのような抑制的な語りでありながら、これらの小説はとても豊潤な内容を持っており、そして抑制的であるがゆえに、読者はその内容を自分の意志で──押し付けられることなく──選び取ることができる。このような抑制とバランス感覚が、私がこの小説集に深く魅せられた理由だと思う。

 

上記の話とは直接は関係ないのだが(でも関係ないこともないのだが)、「如何様」の中盤、貫一の妻タエと主人公が付け髭を付けて急に踊りだすシーンは本当に素晴らしい。ので、そこを引用して終わりにする。

タエの住むアトリエを訪ねた主人公は、どこかの部屋から流れている音楽に、戦争が終わってから時間が経ちつつあることを感じる。タエは貫一が残していった謎の付け髭を見せ、二人は冗談まじりにそれを付けてみる。

 

私たちはお互いの顔のあまりの様子にたまらなくおかしくなって噴き出し、ふたりでしばらく笑い転げる。顔からこんなふうに毛が生えているなんて! そうしてこの毛を、こんなヘンテコな形に整えて顔に残しておくなんて! 疲れるまで笑って、そのあと域を弾ませながらタエに言った。

「ヴィヴァルディですね」

音楽はずっと、同じものがくり返し流れていた。タエは小さい声で答える。

「わたくしはまったくわからないのです」

「私もほとんどわかりません。たまたま、たぶん、そうじゃないかなと。でも、まちがっていたらごめんなさい。知ったふりで恥さらしになってしまったかも」

と言って、そのあと長持の椅子から立ち上がり、紳士風に腰を折って、

「踊りましょうか」

と提案をしたのは私のほうだったのに、実際にふたりで動いてみると、彼女のほうがずっと滑らかな動きで私をリードしたので、タエは以前も、ひょっとすると貫一からこんなふうに踊りに誘われていたのではないかと想像した。私のほうは何度かこんな踊りの経験があったのに、変に緊張したためか、また男の側だと思って動いてみたためか、どうもぎこちない動きになってしまう。

髭面をした女がふたり、飾りのひとつもない灰色のアトリエの一室で踊っている。回りながら私たちは引き離されそうな力にあらがって振り乱れ、足がもつれて長持を蹴飛ばしてよろけたり、狭いあちこちに体をぶつけたりした。

(「如何様」より)

 

次の一冊

 

私が初めて読んだ高山羽根子の小説は2020年の長編『暗闇にレンズ』で、これについては以前にこのブログで紹介した。

pikabia.hatenablog.com

こうして『オブジェクタム/如何様』を読んでから振り返ると、この『暗闇にレンズ』は作者が今まで書いてきた手法を継続しながら、その物語の時間を拡張し、ひとつの偽史をまるごと描こうとしたものなのだとわかる。今回の記事で書いたような、作者の倫理的な態度はこの長編にも通底している。

 

そのうち読みたい

 

他の作品もがぜん読みたくなりましたので、今後読むのが楽しみです。