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野町啓『学術都市アレクサンドリア』 ギリシアの知識を伝えたエジプトの古代都市

アレクサンドリア図書館の伝説


古代ギリシア古代ローマ、そして古代地中海世界の歴史に興味がある方であれば、アレクサンドリア図書館の名前を聞いたことがあるのではないだろうか。エジプトの古代都市、アレクサンドリアにあったと言われる、古今東西の書物を収蔵した、古代世界最大の図書館……そういうイメージである。

あるいは、古代七不思議のひとつである大灯台や、女王クレオパトラが統治したエジプトの王都としてアレクサンドリアを知っている人もいるかもしれない。

野町啓『学術都市アレクサンドリアは、そのような神話的なイメージを持つ古代都市の、特に学術都市としての側面を詳しく紹介した本だ。

 

エジプトの地中海沿岸に位置するアレクサンドリアは、その名の通りアレクサンドロス大王が建設した植民都市である。マケドニアから出発し、当時の人々にとっての「全世界」、つまりヨーロッパとアジアとアフリカの全てを手中に収めた大王が、エジプトを征服した際に起工したものだ(前331年)。

大王の死後、その帝国は配下の将軍たちによって分割されるのだが、エジプトを支配したのは大王とともにアリストテレスの下で学んだプトレマイオスであった。ここにプトレマイオス朝エジプトが誕生し(前305年)、アレクサンドリアはその首都として後の世に知られる繁栄を謳歌することになる。

 

さて、そのようなアレクサンドリアを象徴する施設が先に述べたアレクサンドリア図書館なのだが、実はその詳細についてはあまりよくわかっていない。言われてみれば、そもそも2000年以上前に存在したという施設である。はっきりしたことがわからないのは当然だ。遺跡もないし。

ではどうするか? ここでこの本は、一体いかなる資料によってアレクサンドリア図書館の存在が伝えられてきたのか、そしてその資料にはどの程度の信憑性があるのか、といったことを詳細に教えてくれるのだ。

ここで手がかりとして登場するのは、かの有名なウィトルウィウス『建築書』である。著者はこの古代の文献に登場する図書館の記述を紹介し、さらにウィトルウィウスの記述の間違いまでも指摘しつつ、しかしどうやらこの図書館がプトレマイオス朝のどこかの時点で建設されたことは間違いなさそうだと見る。

このような、いわゆる文献学の要素は、実はこの本の隠れたテーマでもある。なぜなら、当の古代アレクサンドリアの学術の中心を成すものこそ、まさに文献学だからだ。

ウィトルウィウスは、先人たちが残した記録(覚書)が後世の人々にとっていかに重要な意義を持つかを述べた後、大略以下のようなことを述べているという。

 

アッタロス王朝がペルガモンに設立した図書館に対抗するため、プトレマイオスアレクサンドリアにそれに匹敵する図書館の建設を思い立った。そしてそれが完成した時、その記念と今後の繁栄を祈念して学芸の神ムーサイとアポロンに詩文のコンテストを奉献することにした。この競技の七人の審判を選定するにあたって、その一人として図書館の上席にいた人々の推薦を容れ、連日あらゆる書物の読破に努めているというアリストファネスを指名する。そして詩文のコンテストが開催された際、アリストファネスは他の六人とは異なり、いちばん不興をかった作品を第一席に指名した。そこで理由を尋ねられると、彼は、他の審判員が一等に選定した作品が他人のものの剽窃であることを、図書館から多数の文献を取り出し、照合することにより証明したという。

(「第一章 ムーセイオンと大図書館」より)

 

ホメロスと文献学

 

この本で取り上げられる、アレクサンドリアの学問におけるいくつかの重要なトピックのひとつが、イリアス』『オデュッセイアでおなじみホメロスである。

なんでもアレクサンドロス大王はとてもホメロスが好きで、自分の覇道を『イリアス』に登場するギリシアの名将アキレウスになぞらえていたという。そして彼が建設したアレクサンドリアにおいてもホメロスの人気は絶大で、信仰の対象ですらあり、「ホメレイオン」と呼ばれるホメロスを祀る聖域まであったそうだ。

イリアス』も『オデュッセイア』も、今では本屋に行けば普通に売っているわけだが、では現在『イリアス』『オデュッセイア』として流通しているテキストは一体どのように成立したのか? そもそも紀元前に書かれたものであり、著者による原稿が残っているわけでもない。ここで大きな役割を果たしたのがアレクサンドリアに集まった文献学者たちなのだ。

もともとホメロスの物語は、多くは吟遊詩人によって語り伝えられてきたものだという。しかも当時はホメロスを口誦するコンテストがあり、詩人たちはコンテストに勝つためにテキストを我流でアレンジすることもあったらしい。このような経緯で無数に伝えられているホメロスの各テキストを比較・検討し、その内容の正統性を吟味して、できるだけ原典と呼べる形にしようと努力したのがアレクサンドリアの学者たちだったのだ。前二世紀のサモトラケアリスタルコスという人物が、当地におけるホメロス研究の完成者と見なされている。

 

さらに面白いのは、このようなアレクサンドリアにおけるホメロスの研究過程が、どのように現在まで伝えられているかだ。アレクサンドリアがやがて凋落した後、その学問を継承したのはヨーロッパの都市ではなく、東方はビザンツ帝国コンスタンティノープル(現イスタンブール)だった。コンスタンティノープルギリシア正教の中心地としてギリシアの文献の保存に努めたが、アレクサンドリアで育まれた知識もまたその地で受け継がれ、そしてその写本が15世紀にルネサンス期のイタリアへと渡っていく。古代ギリシアで生まれたホメロスは、1000年あまりの時間をかけてエジプト→トルコ→イタリアと地中海をぐるっと回ってからヨーロッパの古典となったということだ。そしてこのような出来事についても、この本では一体どのような文献によってそれが明らかになったのかを詳細に教えてくれる(これにも実に複雑な経緯がある)。

 

ムーセイオンに集う古代地中海の学人たち

 

ホメロスの話だけで長くなってしまったが、この本では他にも様々な興味深い話題が登場する。

地中海世界の各地から学者や文人を招聘し、学問の振興につとめたプトレマイオス朝の歴代王たち。彼らは自らも学問を愛し、またアレクサンドロスの帝国を継ぐものとしての権威を打ち立てるという目的もあった。

そして、そのようにして集められた、数多くの学人たち。その中にはユークリッド幾何学で知られるエウクレイデスなども含まれる。彼らは学芸の神ムーサイを祀る神域ムーセイオンに集い、研究に勤しんだ(名高い図書館はこの施設の一部だったと考えられている)

また彼らの中には、古代ギリシアプラトンの教えを受け継ぎ、秘教的に発展させたプラトン主義者たちもいた。彼らの思想もまた、後のヨーロッパに大きな影響を与えている。

プラトン主義が影響を与えた後の神秘主義にも大きく関連するものして、アレクサンドリアでは占星術錬金術の研究も行われている。宮廷占星術師だったコノンという人物は、占星術発祥の地であるバビロニアの神官から占星術を学んだそうだ。もちろん、当時の占星術錬金術は、後の天文学や化学と不可分の学問である。

 

女王クレオパトラの謎多き自害とともにプトレマイオス朝は滅亡し(前30年)、アレクサンドリアローマ帝国の属州となるのだが、その後のこの都市は諸思想の混在する哲学都市となっていく。

中でも本書の後半で大きな紙幅を割かれているのが、ユダヤ人哲学者フィロンの存在だ。当時のアレクサンドリアには故郷を追われたユダヤ人もまた多く住んでいたのだが、その頃の世界においては異端だった一神教を信仰していたこともあり、迫害されることも多かったという。そのような中でもフィロンプラトン等のギリシア哲学とユダヤ聖典である聖書の解釈を結びつけ、後のキリスト教世界に大きな影響を与えたという。

最後にこの本は、紀元後一世紀頃のアレクサンドリアにおいて、ユダヤ教キリスト教プトレマイオス朝の国家神であるセラピス信仰、上記の新プラトン主義や、ヘルメス主義やグノーシス主義といった神秘思想など、様々な宗教と思想が、それぞれに混じり合いながら共存していたことを描写し、それをシンクレティズム(諸宗教・思想の混交)の都市と呼ぶ。

 

 

印象的な話題をとりとめなく拾って来たが、この本には他にもここで触れられなかった様々な話題と膨大な登場人物が現れ、ものすごい情報量が詰め込まれている。ぼんやり読んでいると迷子になりそうになるが(いや正直に言うとかなり迷子になったが)、どの話題も非常に興味深く、この古代の学術都市の濃密な世界に魅せられる。

 

次の一冊

 

古代地中海世界を魅力的に描いた漫画と言えば、このヤマザキマリとり・みきの合作『プリニウス』である。『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリによる生き生きとした人物たちと、背景を担当するとり・みきによる古代都市や自然の圧倒的描写により、臨場感たっぷりの古代世界を味わえる。『博物誌』で知られる主人公プリニウスらは地中海世界の各地を旅するのだが、アレクサンドリアは8巻で登場。

 

古代の地中海世界でどのような神々が信仰されていたのかをコンパクトにまとめてくれる新書。よく知られたギリシアやローマ、エジプトの神々から、ディオニュソス信仰やオルペウス教などの秘教を辿り、やがて一神教が生まれ……