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飛浩隆『ラギッド・ガール』 緻密で官能的に描かれた、不可避の暴力についてのSF

「廃園の天使」シリーズの短編集(この本から読んでOK)

 

飛浩隆について書くのは難しい。飛浩隆を読むという体験をどのように書けばいいのか、ちょっとよくわからない。

飛浩隆の小説はSFである。そしてこのSFは、我々を無傷のままにはしておかない。我々はこのSFによって傷つけられる。しかも、それは我々自身の暴力性によってである。

 

ここでは、短編集『ラギッド・ガール』に収録された、同名の表題短編について話をしてみる。2006年に刊行されたこの短編集は2002年の長編『グラン・ヴァカンス』とともに「廃園の天使」シリーズを成しており、この「ラギッド・ガール」は長編の前日譚でもあるが、これ単独で読んでも全く問題ない。(また、どちらを先に読んでも、それぞれ違った感慨が味わえるだろう。こちらを先に読んでみたかった気もする)

 

長編『グラン・ヴァカンス』は「数値海岸」と呼ばれる一種の仮想空間を舞台とした物語なのだが、短編「ラギッド・ガール」では、その仮想空間を人間が体験するための技術(「情報的似姿」と呼ばれる)が開発されるまでが描かれる。人間が仮想空間で活動するSFは多いが、ここでは「でも、どうやって人間は仮想空間で起こったことを感覚し、記憶するのか?」ということが題材となっているわけだ。

義肢の研究者である主人公アンナ・カスキは、ドラホーシュ教授率いる上記技術の開発チームに加わり、そこで阿形渓という女性と出会う。阿形渓は身長170センチ体重150キロの体躯を持ち、全身を先天性の皮膚疾患に覆われ、「ラギッド・ガール(ざらざら女)」と呼ばれていた。彼女は「直感像的全身感覚」という特殊な知覚を持ち、自分の感覚が経験したことを全て正確に記憶することができる。開発チームは、彼女のその感覚を、人間が仮想空間を経験する技術の手がかりとするのだ。

また一方で、阿形渓はネット上に出現する架空の少女「阿雅沙」の制作者でもあった(その作品名もまた「ラギッド・ガール」である)。偶然によって「阿雅沙」と出会ったものは彼女と会話することができ、そして彼女が負った傷の秘密と、この作品が表現する暴力性について知ることになる。主人公アンナ・カスキはこの「阿雅沙」とそっくりな容姿を持ち、彼女にある執着を持っている。

 

以上が全体のあらましだが、この短編にはいくつかの軸がある。

まずひとつは、仮想空間の体験システムである「情報的似姿」の設定と、阿形渓が持つ「直感像的全身感覚」との関係。

そして、研究開発の中で出会った主人公アンナ・カスキと阿形渓との関係。

さらには、阿形渓が制作した作品「ラギッド・ガール/阿雅沙」と主人公との関係である。

この短編では、上記のようないくつもの軸が相互に絡み合いながら進展する。この短編は感覚と認識についての技術開発SFであり、立場の違う二人の女性の関係にまつわるドラマであり、そして人間の暴力性に深く関わる作品「ラギッド・ガール」をめぐる物語なのだが、これらの要素は緊密に関係し、それぞれを別々に語ることができない。

短編「ラギッド・ガール」は、このような種類も次元も違う複数のテーマを、複雑に、しかし自然に関連させながら、短い分量で語り切る。恐ろしい密度と完成度だと思う。

 

官能的な文章と、暴力についての物語

 

このように緻密に構成されているのが飛浩隆の小説だが、しかし、一読して印象に残るのは、むしろその文章の官能的な手触りである。

豊かなイメージを喚起し、五感に訴える作者の文章に、我々読者は熱さや冷たさ、心地よさや痛み、滑らかさやざらざら(ラギッド)さなどの感覚を受け取り、溺れるようにその物語を体験することになるだろう。

そして、そのようなSF的なアイディア、緻密な構成、美麗で官能的な文章によって我々が体験させられるのは、暴力にまつわる物語なのである。

長編『グラン・ヴァカンス』と短編集『ラギッド・ガール』という「廃園の天使」シリーズにおいて作者が描いているのは、究極的には暴力のテーマだと言って差し支えはないと思う。そして飛浩隆において恐ろしいのは、そこで明るみに出される暴力の主体は我々自身だということだ。

飛浩隆の小説は暴力にまつわる小説だが、しかしそれは暴力の告発や、暴力に対する抵抗や、暴力にさらされる弱者を描いたものではない。それは、我々自身が主体となる暴力、我々自身が加害者となる暴力についての小説である。そしてここでは、それが不可避なものとして描かれる。SFというものが仮に人間と文明の関係を問うものだとすれば、飛浩隆にとってのSFとは、我々と暴力との不可分の関係を、科学と文明を通して探ることなのだと思う。

科学的な考察と、緻密な論理と、官能的な文章で書き出された、我々の中にある暴力の形象。「廃園の天使」シリーズとはそのようなものだと思う。

 

床一面が古毛糸の海だ。渓が居室に持ち込んだ大量の荷物の中身が、古着のセーターだと知ったときには驚いたものだ。それを片っ端からほどかされた。ほどいた毛糸はもちろん行儀よくない。最初に編まれたとき、編み手が投入したエネルギーが糸のねじれとして、まだ保存されている。それをなだめながら、いやむしろ楽しむように、渓は編み物をしていた。
「ねえ、何をはじめるの」
「編みものよ」
「なにを編むの」
「いろんな糸を混ぜあわせて──なにがいいかな。編みながら考えるわ。まずは手を動かすところからはじめないとね」
そこに居あわせたのは大変な幸運だとあなたは思うだろう。なにしろ阿形渓がひさびさの新作にとりかかっていたのだから。
渓の手を見ると、編み棒のあたる場所で、かさぶたが剥がれかかり、にじんだように濡れていた。
「痛くないの?」
「痛いよ。あたりまえじゃない」渓は手を止めない。「ここだけじゃない。この身体はね、まるごと不快感のかたまりなの。そうだね、二日酔いの頭痛と吐き気を皮膚感覚に置き換えて、全身に貼りつけたと想像してごらんよ。それがわたしなの。ぜったい慣れることないんだな。この生きごこち、だれにもわかんないだろうね」
さらりとした調子でそう言うのを聞いて、なにか切迫した感情がわきあがり、私は思わず渓の頬にふれようとした。そしてためらった。ここは診察室ではない。医師としてではなく個人的に渓にふれることには、まだ覚悟がいった。
飛浩隆『ラギッド・ガール』表題作)

 

次の一冊

 

こちらが「廃園の天使」シリーズ第一作にして、今のところ唯一の長編。「夏の区界」と呼ばれる仮想空間のリゾートには、すでに1000年の間、一人の人間も訪れることはなく、人間のために用意されていたAIたちだけが残されていた。終わりのない仮想の夏を過ごすAIたちだったが、ある時どこからか現れた侵略者たちが彼らの世界を破壊し始める。衝撃的な構想とビジョンと描写でSFファンを震撼させた飛浩隆の代表作。

 

今回は「ラギッド・ガール」を紹介したが、実を言うと私の飛浩隆との出会いは短編「自生の夢」であった。人類を脅かす情報の怪物〈忌字禍(イマジカ)〉と、言葉によって73人を殺害した殺人鬼・間宮潤堂の戦いを描く言語SFである。私はこの短編で、ひたすらスタイリッシュで同時に残酷なこの作家を知った。この同名の短編集に収録。

 

そのうち読みたい

 

発表時に大きな話題となった大作SF。すごい話らしいです。ハードカバーの方を積んであるのでそのうち読みます。


 
 

 

 

※宣伝

2023年9月に開催された「第三回かぐやSFコンテスト」に投稿した短編SF小説が、選外佳作に選ばれました。近未来のパリを舞台としたクィア・スポーツSFです。

pikabia.hatenablog.com

こちらはカクヨム公式企画「百合小説」に投稿した、ポストコロニアル/熱帯クィアSF。

kakuyomu.jp

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