もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

,

ティム・バートン監督『ウェンズデー』 モノクロームなゴシックへの帰還

90年代バートン映画ファンの懐古的な語りをお届けします。

 

さて『ウェンズデー』です。説明不要な気もするものの一応説明すると、往年の大ヒット・ゴシック・コメディー映画アダムス・ファミリーシリーズ(原作は漫画らしい)の登場人物ウェンズデーを主人公とした連続ドラマで、2022年11月にシーズン1全8話が配信されるやいなや大人気となり、このほどシーズン2の製作が順当に発表されたところだ。そしてこのドラマの前半4エピソードの監督を務めているのがティム・バートンである。

 

www.youtube.com


私もしっかりハマって全8話を完走したわけだが、このドラマの魅力や新しさについてはあらゆる場所で語られまくっていると思うので、わりと昔からティム・バートンの映画を見ているファンとしてここでは別の話をしようと思う。このドラマが、なんとも昔のバートン映画を思い出させて嬉しくなってしまうという懐古的な話だ。

 

ここで私のティム・バートンとの付き合いについて確認しておくと、バットマンシリーズシザーハンズといった90年代初期の監督作でハマり、その後継続的に見続けて、アリス・イン・ワンダーランドあたりで脱落、という、たぶん同世代によくいるタイプのライトファンである。今回改めてそのフィルモグラフィーを確認して多作ぶりに驚いたわけだが、申し訳ないことに2010年代に撮られた作品はぜんぜん見ていない。

私はこれから「『ウェンズデー』は90年代のバートン映画を思い出させて最高だぜ!」というアナクロな話を臆面もなくしようとしているわけだが、それはもしかすると、近年の作品に至るまで熱心に見続けているファンにとっては腹立たしい内容になるかもしれない。もしそうだったら申し訳ないです。

 

初期バートン映画のモノクロームぶり

 

さて、『ウェンズデー』のどのようなところが昔のバートンを思い出させるかというと、まずはごくシンプルに言って色彩である。

『ウェンズデー』全体を彩り、そして主人公ウェンズデーのパーソナリティとしても強調される、黒あるいはモノクロームへの志向こそが、まず第一にバートンの90年代を呼び起こすものなのだ。

こうなると、バートンのフィルモグラフィー自体をモノクロームの世界から極彩色の世界へ」という変化として乱暴にまとめたくなる。試しに歴代監督作品のビジュアルを下記に並べてみよう。

 

エド・ウッド (字幕版)

エド・ウッド (字幕版)

  • ジョニー デップ
Amazon
ビッグ・フィッシュ

 

どうだろう。一目瞭然ではなかろうか。

白状すると『チャーリー』と『アリス』の間に実はスウィーニー・トッドが挟まっており、さらに『アリス』の後にはダーク・シャドウが来るのだが、この両者のビジュアルはわりとモノクロームである。話をわかりやすくするためにここでは省かせてもらったのだが、まあ大枠として、バートン映画がだんだんカラフルになっていったということは言えるのではないかと思う。

 

私たちが最初に出会ったティム・バートンの映画は、モノクロームな色調の世界だった。それはもちろん監督のクラシック映画、特にホラー映画への偏愛ゆえでもあるし、そして明確に志向されていたゴシックな世界観ゆえでもある。

クラシック志向に関して言えば、バートンはヴィンセント・プライスクリストファー・リーが演じる古典ホラー映画の大ファンだったことが知られており、それが高じて前者はバートンの『シザーハンズ』に、後者は『スリーピー・ホロウ』ほか多数に出演している。

また俳優だけでなく、バートンはカリガリ博士』や『ノスフェラトゥ』などドイツ表現主義映画や、ハマー・フィルム作品に代表される古典ホラー映画のデザインやシークエンスを多く自作に引用することでも知られる。

俳優やヴィジュアルなど、このような古典的映画の要素が画面に登場することによって、そのイメージがかつての映画の記憶を呼び起こし、バートンの映画を過去に連なるものとする。バートンにとって、映画とはそのような芸術のジャンルである。(例え観客が古い映画を見たことがなかったとしても、それらのイメージは様々な断片として受け継がれ、観客の中に潜在している)

 

そしてゴシックな世界観についても、古典的ホラー映画というバートンが愛したジャンルから必然的に導き出されるものであり、シザーハンズ』の古城、バットマンシリーズの寒々としたゴッサムシティ、『スリーピー・ホロウ』の深い森に囲まれた村の描写などにそのイメージが充溢している。また作中で表現される孤独や世界との違和、理性と非理性の相克といった中心的テーマとも、ゴシックという観念が密接に結びついていることは言うまでもない。

 

90年代のバートン映画というのはそのようなものであり、モノクロームな色調はその内実を表す象徴的な色彩だったと思う。とはいえもちろん監督としても10年も20年も同じものを作り続けるわけにはいかないので、その作風が徐々に変化していったのは当然のことだろう。飽きるだろうし。バートンもCGなどの新技術やそれまでとは違う題材の導入によって、新しい挑戦をしていたんだと思う。

 

『ウェンズデー』におけるモノクローム回帰と古典への参照

 

さて、それから20年あまりの時を過ぎて突然現れたのが『ウェンズデー』だったわけである。黒い服しか着ない主人公ウェンズデーは登場してそうそう、いかにもゴシックな雰囲気の学園に編入し、ルームメイトの趣味らしい色鮮やかなステンドグラスを拒否して部屋の半分をモノクロにしてしまう。「今回はモノクロームでいきます」という明確な宣言といえよう。(そしてそれが同時に、カラフルな世界との共存でもあるのはすでに見た人ならご存じの通り)

そして物語は古城のような学園、怪物の潜む森、郊外の閉鎖的な町といった直球のゴシック環境を繰り出してくる。

さらにバートンの古典趣味が全開になっているのが、エドガー・アラン・ポーへの言及が死ぬほど出てくるところだ。ポーの母校という大胆設定の学園の名は「ネヴァーモア学園」、そこで開催されるプロム的なダンスパーティー「レイヴン」と呼ばれる(ポーの著名な詩「大鴉(Raven)で繰り返されるフレーズが「Nevermore(もはやない)」)。ボートレースは「ポー・カップで、参加チーム名は全てポーの小説のタイトル(ウェンズデーたちのチームは「黒猫」が付けられている。さらにポーの銅像に秘められた暗号を解くと銅像がゴゴゴと動いて秘密の地下室が現れるという具合。

もちろんポーというのは近代ゴシックの元祖中の元祖なので、ひょっとするとバートン的にも、それは長いキャリアの後に満を持して出してくるような奥の手だったのかもしれない……などと妄想してしまう。

このように、『ウェンズデー』というドラマにはまるで初心に返ったようにバートンの古典趣味とゴシック趣味がわかりやすい形で表れていて、ついつい嬉しくなってしまうのである。

 

というわけで、最新の大ヒットドラマである『ウェンズデー』の、特に新しくない部分ばかり語ってしまったが、このように90年代モノクロ時代のバートンを思わせるノスタルジックな体裁でありながら、なおかつ完全に「今」のドラマになっているので(例えばゴシック関連でも、アメリカン・ゴシックの重要な要素である開拓時代と奴隷制の記憶などが以前よりも強調されていると思う)、バートンのオールドファンもそうでない方もぜひ見てみてくださいませ。

全世界の、心にゴスを秘める若者が新たにバートンに出会っていたらいいなと思う。

 

※繰り返しますが2010年代以降の監督作はぜんぜん見ていないので、きっとその時期のバートン映画の中にも、上記のようなゴシック要素や映画史への参照が形を変えて現れているのではないかなと想像しています。

※あと肝心の「アダムス・ファミリー」についてはよく知らないので今後勉強します。

 

次の一本

ティム・バートンがこよなく愛するハマー・フィルムの代表的な映画たち。バートンだけでなく、あらゆる現在のポップカルチャーに影響を与えているような気がします。

 

 

youtu.be

世界的にバズりまくっているウェンズデーのあのダンスシーンでかかってるのがこの曲なのだが、このザ・クランプスというのはゴスとパンクとロカビリーを合体させた「サイコビリー」という独自のジャンルを生み出した70年代アメリカのバンド。バウハウスみたいなイギリスの王道耽美ゴスとはまた違ったニュアンスの、ホラー映画のB級感の方にフォーカスしたゴスという感じです。あれもゴス、これもゴス。

 

 

※『ウェンズデー』の最大のネタ元であるポーについては下記の記事をどうぞ。

pikabia.hatenablog.com

pikabia.hatenablog.com

 

※こちらの『ザ・バットマン』の記事でも、バートン版バットマンについて少し話しています。

pikabia.hatenablog.com