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遠野遥『破局』 強すぎ主人公の機械的精神が味わう性の苦悶

新鋭・遠野遥の芥川賞受賞作の主人公はとにかく強い

 

2019年に『改良』文藝賞を受賞しデビューした遠野遥による破局は、作者にとっての第2作であり芥川賞受賞作である。

ちょうど文庫版が出たので紹介してみようと思ったのだが、一体どのように紹介すればいいのかなかなか難しい。実に変な小説である。しかも明らかにおかしいというわけでもなく、どことなく、しかし明らかにおかしい。(芥川賞受賞作というのは大体そういう感じの小説だが)

 

一読して驚くのは、語り手である主人公の強さである。まず肉体が強い。スポーティーな意味でも強いし、性的な意味でも強い。あと精神的にも強い。 迷ったり悩んだりしないし、勉強もできる。とにかく強いのだ。最初はとにかくこの主人公の強さに圧倒される。

まあだいたい文学などというものは人の弱さなどを書きがちなものなので、「えっ?こいつ強すぎでは?」とビビってしまう時点でかなり新鮮だ。この新鮮な気持ちを味わうためだけに読んでもいいと思う。

もちろんただ強いだけでは無双ラノベになってしまうので(無双ラノベみたいな芥川賞受賞作も読んでみたいが)、この語り手の強さにも何かおかしいところがある。この小説では主人公の論理的な思考がつぶさに描写されるのだが、この思考回路の面白さが読みどころのひとつだ。主人公は高いモラルと強い欲望を等しくもち、恐ろしいほどの合理性と自制心によってそれを制御している。

例えば「禁欲的で倫理意識が高い」とか、「モラルが低くて欲望のまま行動する」などのキャラクターは容易に想像できるが、この主人公は全くそうではなく、かといってその両者の間で揺れ動くというものでもない。主人公は強い肉体的欲望を持っているのだが、まるでその欲望を制御可能な機械であるかのように捉え、実際に制御し、高い倫理的意識に応える。その過程のつぶさな描写は実に奇妙だ。 そこにはほとんど葛藤がない。読者はこの主人公の異様な葛藤のなさを目の当たりにし、とまどいながら目が離せなくなるだろう。

 

もちろん主人公は無敵なわけではなく、いろいろうまくいかないことがあったり不満を抱えたりもするのだが、それらを受け止める心理は機械のように合理的で鉄のように強い。それは非常に不自然なものだが、しかし作者はそれを単に不自然なものとして書いているのではない気がする。 単に「変な奴」の小説ではないのだ。

作者はこのキャラクターを、何か必然的なものとして書いていると思う。それはひょっとしたら現在の世界が個人に要求するものを戯画化したものかもしれないし、あるいは倫理と欲望というものについてのひとつの理念なのかもしれない。まあそんな野暮なことを言わずとも、この思考回路の描写自体が大変面白いので、なんだこいつはと思いながらどんどん読んでしまう。

 

私たちには時間がなかった。麻衣子は政治塾に通い、時々父親のつてで知り合ったという議員の手伝いもしていた。何年か社会人経験を積んだ後は、自分もどこかの議員に立候補するつもりだという。大学の講義やゼミも手を抜いている様子はなく、最近は就職活動も始め、私の相手をしている暇はいよいよなさそうだった。最後にセックスをしたのは、一ヶ月以上前だったか。付き合っているのだから、私は麻衣子ともっとセックスをしたい。本当なら毎日したいけれど、勉強もしたいから、二日に一度くらいが適当だろうか。しかし麻衣子がしたくないなら、無理にセックスをすることはできない。無理にしようとすれば、それは強姦で、私は犯罪者として法の裁きを受けるだろう。それに、私は麻衣子の彼氏だ。麻衣子の嫌がることはできない。麻衣子が目標に向かって頑張っているなら、それを応援するのが私の役目だろう。

(遠野遥『破局』)

 

 
物語は主人公の陽介と恋人の麻衣子、そして新たな恋人になる灯(あかり)との関係が主軸となる。大学の法学部に在籍し公務員試験に向けて準備している陽介は、一方で母校のラグビー部のコーチも務めている。体も心も強く勉強もできる陽介、何の葛藤もなく機械のように合理的に欲望を制御する陽介だが、恋人たちとの関係は基本的に受け身だ。むしろ彼は恋人たちに精神的にも肉体的にも翻弄される。

上述のような、強く奇妙な思考回路を持った人間が、しかし恋愛と性愛においてひたすら受身になり、嵐のように到来しては過ぎてゆく状況の中で機械のように作動し続ける、その、本人にすら決して自覚されない苦悶を描いた小説、それがこの『破局』なのかもしれない。

とりあえず本当に奇妙な小説なので、変わったものが読みたい人はぜひ読んでみてください。なお性的な描写は多いものの、基本的に突き放して書いてあるのでそんなに生々しくはないと思います。(突き放しているがゆえの即物的な生々しさはあるかもしれない)
 

次の一冊 

 

破局』を読んでなんとなく連想したのは、阿部和重の2001年のデビュー作アメリカの夜。これもまた、やたら強い、変な主人公の小説であった。それぞれに時代を反映した小説だと思うので、読み比べるのも面白いだろう。(追記:下のものは2023年に復刊された文庫)

 

そのうち読みたい

『改良』は作者のデビュー作、『教育』は第3作である。今度『浮遊』という新刊が出るらしいので、当面は漢字二文字シリーズが続くようだ。