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高山羽根子『首里の馬』 歴史を秘めたものたちの、さりげない配置と交錯

創元SF短編賞出身作家の芥川賞受賞作

 

首里の馬』は、創元SF短編賞の佳作を受賞してデビューした高山羽根子が、2020年に第163回芥川賞を受賞した小説だ。

私はごく最近『暗闇にレンズ』『オブジェクタム/如何様』を読んですっかり高山ファンになってしまったという新参なのだが、この『首里の馬』もとても良かったのでぜひ紹介したい。

 

首里の馬』はタイトルの通り、沖縄を舞台にした物語だ。主人公の未名子は沖縄で一人暮らしをしながら、知り合いの老民俗学者が建てた小さな資料館に入り浸り、資料の整理をしている。

また未名子は奇妙な仕事に従事している。ビルの一室で、古いパソコンでどこか遠い場所にアクセスし、画面の向こうにいる外国人にクイズを出すというのがその仕事なのだ。

そのように暮らす未名子のもとに、意外な闖入者が現れる。大きな双子台風が通り過ぎた後、家の庭に一頭の馬が横たわっていたのだ。未名子はこの馬と奇妙な関わりをすることになる。

 

物語は、おおむねこの三つの軸を中心に進んでいく。しかし、それぞれの軸は、それぞれ実に奇妙なものだ。

未名子が多くの時間を過ごす資料館は、別に公的な施設でもなく、県外からやってきた女性の老学者が個人的に収集した現地の資料を収めたものだ。微に入り細に入るそれらの資料は、とても詳細だが、何の役に立つものとも知れない。10代の頃、学校に居場所を見いだせなかった未名子は、そのような得体の知れない資料館に通うようになり、それからずっと膨大な資料の整理を手伝っている。

一方、未名子の仕事であるクイズの出題はさらに謎めいている。古いパソコンが繋がる先は、どことも知れぬ遠い場所、それも到底普通の環境とは思えない場所だ。未名子はそれぞれの場所にいる三人の外国人に対して定められたクイズを出題し、そしてささやかな会話を行う。どうやら通信相手は孤独な状況にあるらしく、このクイズと会話はそれを和らげるための業務だということらしい。

最後に、突然現れる馬だ。この馬は沖縄に古くから住んでいる宮古馬という種類のもので、かつては琉球競馬という、速さではなく美しさを競う伝統的な行事に参加していたという。

 

首里の馬』は、いずれも謎めいたこれら三つの要素が、それぞれ微妙に関連しながら綴られていく小説だ。しかし、これは少々ネタバレになってしまうのかもしれないが、はっきり言ってこの三者には直接の関係はない。一見無関係に思えたものの間に意外な繋がりが判明するというカタルシスは物語の定番だが、高山羽根子という作家はそういう種類の作家ではない。

高山羽根子の小説に配置された様々な要素たちは、直接の関係ではなく、もっと微妙で潜在的な関係を結んでいる。それぞれ無関係な複数の要素が、何かしらの共通性によって、さりげなく結びつけられているのだ。

その共通性を試しに説明して見ることはできるとは思うが、それを説明するのは、あまり面白いことではない気がする。それは、実際に読んだ人が、自分なりに考えてみた方が面白いだろう、

ただ言えるのは、このような、一見無関係な要素の間の、秘めやかで精妙な関係こそが、高山羽根子という作家の魅力だと思う。それぞれに興味深い、奇妙で魅力的ないくつものエピソードが、作者の繊細な手つきによって微妙に関連し合っている様は、読んでいてわくわくする。

 

呼び起こされる歴史

 

沖縄という場所を舞台にする以上、その場所がもつ歴史について語らないわけにはいかないだろう。この小説の中でも、苦難に満ちた沖縄の歴史は、あまり目立った形ではないが、折に触れて語られる。

そして先に挙げた、この物語の三つの軸は、いずれも「歴史」というものに何らかの関わりがある。資料館に収められた無数の資料は歴史を伝える媒体だし、遠い場所へ出されるクイズは、回答者の中でさまざまに蓄積された知識を呼び覚ます。そして突然現れた宮古馬は、それ自体が歴史の証人だ。(例えばこういうことが、複数の要素に隠れたつながりである)

作者は決して、沖縄の歴史をストレートに語ることはしない。それは小説のはしばし、主人公が見聞きする細かなものたちの背後にさりげなく潜んでおり、作者はそれを少しずつ見せていく。主人公は現実の生活と、不可思議な状況と、そしてその場所に刻まれた歴史が交錯する中で、一歩ずつ着実に歩いていくのだ。

 

資料館の中にあるものはほとんどが紙の資料で、内容は地域の新聞や雑誌の記事の切り抜き、聞き書きのメモ、子どもが授業であるいは大人が趣味で描いただろう風景や人物の水彩スケッチ、一般的にはそうと判別しがたい記号で書かれた特殊な楽譜、といったものたちだった。たくさんあるそれら紙類の資料を収めたスクラッブブックやファイルも、それぞれ分類されて本棚に収まっている。
資料には紙以外のものもあった。たとえばこの地域に育つ植物の押し花だとか、様々な模様の昆虫の標本、鳥の羽根、古い写真とその原板となるガラス乾板、特徴的な柄の入った工芸品や布の切れ端、道具類といったもの。カセットテープには、地域に暮らす年寄りが不明瞭な記憶を頭からひっぱり出しながら早口でしゃべる声や、たどたどしい歌声が記録されている、と未名子は教わっていた。とはいえ再生には専用のプレーヤーが必要で、それは未名子がここに来る前に壊れて捨ててしまったらしい。未名子は以前、プレーヤーについて検索をしてみたことがあり、今でも細々と生産販売されていることを知っていた。ただ、それらがここにある古いカセットテープに対応しているのか、第一ここにあるテープがきちんと聞ける状態なのかなど、わからないことも多かったため、資料館にプレーヤーが再び導入されることはなく、未名子はテーブの中身について確認できないまま聞くことができないカセットだけを保管、管理しつづけていた。

 

未名子は初めて資料館に来たとき、この建物に詰まったものを今まで集めてきた順(より)さんのことがとても好きになった。彼女の大切な宝物が人の死を直接思いおこさせるものだとしても、子どもである未名子自身に、その物語ごときちんと開かれたものとして見せてくれることが嬉しかった。未名子の通っていた学校ではすくなくとも、死んだ人間の一部どころか、通学路に発生した犬の死でさえ子どもたちの目から誠実に隠しとおされていた。
この資料館に通うようになってからも、未名子は自分のいる土地の歴史や文化にあまり強く興味を持つことはなかった。ただ資料館に積まれたものを見て、そこにあるいろんな事情をぼんやり読み解くことは楽しかった。そのとき、人間というものに興味が持てないのだと思いこんでいた未名子は、でも、順さんの集めた資料を見ることで、自分のまわりにいる人たちや人の作った全部のものが、ずっと先に生きる新しい人たちの足もとのほんのひと欠片になることもあるのだと思えたら、自分は案外人間というものが好きなのかもしれないと考えることができた。未名子は中学、高校生のあいだ、休みの日や学校に行けなかった日には自習道具を持ちこんで、そうして学校を卒業してからは仕事のない日の昼の間じゅう、ずっと資料館の整理を手伝っていた。
(いずれも高山羽根子首里の馬』)

 

物語の結末、主人公は資料館に集められた記録を自分なりの方法で受け継ぐ。その時に語られる言葉の力強さは忘れがたい。

 

次の一冊

pikabia.hatenablog.com

高山羽根子が『首里の馬』の次に発表した長編が、以前紹介したこの『暗闇にレンズ』。『首里の馬』や『如何様』にも見られた、歴史と空想の間をさりげなく飛び回るような要素が全面化し、重厚な歴史改変小説となっている。

 

pikabia.hatenablog.com

こちらの『オブジェクタム/如何様』も、今回の記事で紹介したような高山羽根子の魅力がたっぷり味わえる。

 

 

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ポストコロニアル/熱帯クィアSF

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