もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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トラヴィス・バルドリー『伝説とカフェラテ 傭兵、珈琲店を開く』 意表を突く設定、かつ王道のファンタジー

オークやサキュバス、一様ではない異種族たちの出会いの物語

 

今回紹介する『伝説とカフェラテ 傭兵、珈琲店を開く』はアメリカの作家ラヴィス・バルドリーの2022年のデビュー作。当初は自費出版として刊行されたものの、たちまち話題となって商業出版されベストセラー化、ネビュラ賞ヒューゴー賞にもノミネートされたという。翻訳はファンタジーを多く手がける原島文世

本作はいわゆる「剣と魔法」の世界を舞台とした王道ファンタジーで、エルフやドワーフといったおなじみの種族が人間とともに暮らし、冒険者たちがダンジョンに挑みモンスターと戦う。ただ、王道なのは世界観だけで、本作は多くの「剣と魔法」のファンタジーがそうであるような冒険物語ではない。タイトルが示すように、これはカフェを開く物語なのだ。

(ちなみに翻訳するとわかりづらいけれど、『Legends & Lattes』という原題はつまり『Dungeons & Dragons』みたいな題名ということなんだと思う)

 

主人公は、女オークの傭兵ヴィヴ。これだけでもかなり捻りがある。オークと言えば多くのファンタジーで悪役として出てくるし、また女性のオークというもの自体がほとんど描かれない(この点は本書の訳者解説でも触れられているので、私の思い込みだけではないと思う)。

ヴィヴはオークらしく屈強な身体能力を備えた傭兵で、愛剣〈黒き血〉を振るって冒険と戦いに明け暮れていたものの、ある時その生活と旅の仲間に別れを告げ、街に定住してカフェを開くことにする。ヴィヴはかつて旅先で出会ったコーヒー(この世界ではドワーフの飲み物ということになっている)に魅せられ、それを自ら人々に提供しようと試みるのだ。ヴィヴのカフェ(作中では「珈琲店」)開店と、その過程における様々な出会い、そしてカフェの営業を軌道に乗せるまでの奮闘。それが『伝説とカフェラテ』の物語だ。

傭兵稼業で蓄えはあるものの、カフェは一人では開店できない。ヴィヴはまず、小柄な種族ホブゴブリンの船大工、カルを港でスカウトする。無愛想で無口なカルだけれど、その腕は確か。ヴィヴの依頼を受け、貸し馬屋だった建物をカフェへと改築する。

従業員募集の張り紙を見てやって来たのが、本作のもう一人の主人公と言っていい、サキュバスのタンドリサキュバスと言えば人を性的に誘惑する魔物として知られるが、喉まで覆うセーターとズボンを着込んだ彼女の通り一遍ではない描かれ方は、本作の読みどころのひとつだ(後述します)。タンドリは店を手伝うだけではなく、様々な方面での商才を発揮してカフェを成功へと導く立役者となる。

そして開店したカフェのコーヒーに惹かれて常連客となり、やがて重要な仕事仲間となるのが、ネズミのような種族ラットキンのシンブル。天才的なパン職人であるシンブルは、シナモンロールビスコッティ(っぽいお菓子)などの画期的なメニューを次々に発明し、ヴィヴのコーヒーとともに人々を魅了するのだ。

剣と魔法の世界・屈強なオークの傭兵と「珈琲店」とのミスマッチの妙、そして私たちがよく知るカフェが王道ファンタジー世界の中で生み出される面白さ。ベストセラーになるのも納得かもしれない。

 

ファンタジーの定石を逆手に取った人物描写

 

そんな本作の最大の魅力は、やはり登場人物の描写にあると思う。

本作には人間も登場するものの、先に紹介したように、主要な登場人物はほとんどが人間以外の種族だ。ファンタジー小説の読者の多くは、それまでに触れた作品から、エルフやドワーフ、オークやサキュバスといった定番の種族について、ある程度のステレオタイプ的なイメージを持っていると思う。小説ではなく、映画やゲームやコミックでそのようなファンタジーに触れた者も多いだろう。

本作はそのイメージを逆手に取る。読者が持っている、それぞれの種族についての典型的なイメージを前提としつつ、それを裏切ることによって、平坦ではない人物描写の深みを生み出すのだ。

たとえば主人公であるオークのヴィヴ。ヴィヴは確かに身体が大きく牙も生やした屈強な戦士で、大剣を軽々と振り回す。しかし実は大の読書家で、作中ではカフェを開くための下準備として大量の本を読み込んだことが示される(なお第二作として発表された前日譚では書店を立て直すらしい)。

またヴィヴは確かに無骨な性格で、時に膂力によって人に凄みを利かせることもあるものの、決して粗野ではない。ヴィヴは相手の意図や能力を尊重し、助けに対しては感謝し、そして困っていれば手を差し伸べる、そのような人物であることが、仲間たちとともにカフェを立ち上げる過程で描かれるのだ。

 

そして最も重要だと思えるのが、サキュバスであるタンドリの描かれ方だ。サキュバスという、他者を魔力によって性的に魅惑する能力において定義されるキャラクターは、普通に考えれば建設的な人間関係のドラマの題材にはなりづらい。しかし作者はサキュバスを、その能力によってある種の不自由さを負った種族として捉えなおす。タンドリはその種族としての特性によって、時に誤解され、時に不当な損失を被ってきた人物として描かれている。

ヴィヴとタンドリの出会いのシーンを引用しよう。

 

「昇進機会あり、とも書いてあったけれど」タンドリがうながした。「どんな機会なの?」

「たしかにそう書いたな。その……つまり、店がうまくいけば……どんな機会かというのは、あんたの関心がどこにあるかによると思うが?」

なんとも気まずい沈黙が流れた。

ヴィヴはどう口に出すべきか葛藤した。ものごとを遠まわしに言うことに長けていたためしはない。たったいままで、そんなことはとくに重要ではなかったのだ。サキュバスにはある種の……生物として不可欠な本能がある。その要求や嗜好は、そもそも選択の余地があるものだろうか? とにかく手探りで進めてみた。「あんたは……サキュバスだ。そうだろう?」

その質問の言外の含みに、タンドリの表情がはじめて変化した──唇がきゅっと結ばれ、目つきがきつくなる。背後で尻尾がさっと動いた。「そうよ。それで、あなたはオークね。喫茶店じゃないお店をやろうとしている」

「批判するつもりはない!」ヴィヴはあわてて口走った。大きな間違いを犯す瀬戸際にいると感じたものの、それでもたどたどしく続ける。「なぜ訊くかというと、ただ──」

「いいえ、あなたのお客を誘惑するつもりはないわ、そういう意味なら」タンドリの声音は氷のようにひややかだった。

「それは……私が言おうとしていたことじゃない」とヴィヴ。「そんな思い込みは絶対にないさ。たんにその……あんたたちの仲間と働いたことがなくて……あんたの……要求がどんなものか確信が持てない」神々よ、これはいたたまれない。頬が真っ赤になった。

タンドリは目を閉じ、胸の前で腕を組んだ。やはり頬が紅潮している。

いまにも背を向けて立ち去ってしまうに違いない。

ヴィヴは溜息をついた。「謝ろう。その、私はとてもこういうことが下手くそなんだ。自分がなにをしているのかよくわかっていない」壁のグレートソードを親指で示す。「私が知っているのは、昔から知っていたのは、これだからな。ただ、いまはなにか別のことを知りたい。なにか別のものになりたいんだ。さっき口にしたことは全部ばかげていた、誰よりも私こそ、 生まれついた種族で偏見を持つべきではないとわかっているはずなのに。出ていってしまうに、もう一度やりなおしてもいいだろうか?」

タンドリは鼻からゆっくりと息を吸い、口から吐き出した。「やりなおす必要はないわ」

「そうか」ヴィヴはがっかりして言った。「わかった」

「どうして時間を無駄にするの? 細かいことはだいたい話したでしょう」サキュバスはきびきびと続けた。「それで、“相応の賃金”」というのは?」

ヴィヴは一瞬目をむいて相手を見たあと、口ごもりながら言った。「手始めに、週払いで銀貨三枚、銅貨八枚ではどうだ?」

「銀貨四枚」

「私は……ああ、それでいい」

「異存はないわ」

「それなら、仕事をしたいということか?」

「ええ」タンドリはふたたび手をさしだした。

ヴィヴは茫然としながらその手を握った。「ああ、じゃあ……ようこそ。その……感謝する」 店員を雇うつもりだったが、たったいま意図せずに共同経営者を手に入れたのではないか、という気がしてならない。誰が誰を面接していたのだろう、と考えずにはいられなかった。

(「5」より)

 

作者はオークやサキュバスといったファンタジー種族のステレオタイプ性を、私たち人間の、それぞれの個人に対して他者から押し付けられる勝手なイメージ、そして私たち個人が不可避的に負ったそれぞれの条件と同様のものとして描いている。

私たちはみな互いに違った種族のようなものであり、そして、その内実はそれぞれの個人によって全く異なるのだということが、本作では丁寧に描かれていると思う。

ちなみに、ヴィヴとタンドリの関係性がどのように進展していくのかという点も、本作の大きな読みどころのひとつだということは、ぜひとも付言しておきたい。

 

最後にもうひとつ。本作のような物語を読んでいると、物事があまりに都合よく進んでいるように感じることがあるかもしれない。主人公は運が良すぎるのではないかと。

本作の企みのひとつとして、そのような「運」の要素が巧みにファンタジー要素に取り入れられ、さらにそれが普遍的な問題──不確かな運命に対する恐れと覚悟──に接続されている点がある。

物語の冒頭、ヴィヴは怪物スカルヴァートを倒し、その頭部から、幸運を引き寄せるとされる伝説の宝石を手に入れる。そしてヴィヴはその石を、これからカフェとなる場所の地中に埋めるのだ。

伝説の宝石がもつ不確かな力、幸運をやがて失うことへの恐れ、そして宝石のことを知るかつての仲間の不穏な動き──そういった要素が、本作にさらなる読み応えをもたらしている。

意表を突く設定だけれど、普遍的な王道ファンタジーの魅力に溢れた一作だ。

 

そのうち読みたい

続いて発表された第二作は、本作の前日譚で、主人公ヴィヴが書店を立て直す物語とのこと。ヴィヴの読書好きの部分がフォーカスされるようです。

 

次の一冊

ファンタジー小説にあまり詳しくないので漫画になってしまうけれど、この名作においても、『伝説とカフェラテ』におけるような、定型的ではない異種族たちの描写を読むことができる。そしてこの漫画にも、ファンタジー界において珍しい女性のオークが登場する。

(今回とは全くニュアンスが違う話をしていますが、過去記事で紹介しています)

pikabia.hatenablog.com

 

 

ところでこの『伝説とカフェラテ』、引用部分からもわかるように、翻訳において役割語の使用がわりと強い感じはあります。