もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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ウィリアム・ギブスン『ヴァーチャル・ライト』『あいどる』『パターン・レコグニション』ほか 「サイバーパンク以降」の魅力

祝・90年代~2000年代ギブスン作品電子復刊!

 

2024年末、衝撃的なニュースが飛び込んできた。旧角川書店より刊行されていたものの長らく品切れ状態だった、『ヴァーチャル・ライト』以降のウィリアム・ギブスン邦訳5作品が早川書房より一挙に電子版で復刊されるのだ。

ギブスンのデビュー作にして「サイバーパンク」の代名詞とされる代表作ニューロマンサー1984年発表)はいまだに版を重ねており、その続編で「スプロール三部作」を構成する『カウント・ゼロ』『モナ・リザ・オーヴァドライブ』、そして同時期の短編集『クローム襲撃』(以上すべて黒丸尚訳)は以前から電子書籍化されていたものの、それ以降の上記5作は全て入手困難だったので、これは本当に嬉しい知らせだ。

(『ニューロマンサー』のTVドラマ制作が進行中なので、それに合わせての復刊かも)

当ブログではこの機会に、この中から私が特にお勧めする2作を紹介してみたい。

 

ニューロマンサーについては以前当ブログで熱く語っておりますので、以下の記事をご覧ください。

pikabia.hatenablog.com


 
なお今回復刊される5作は以下の通り。(カッコ内は発表年/邦訳刊行年)

全て浅倉久志訳となる。

「橋」三部作

 『ヴァーチャル・ライト』(1993/1994)

 『あいどる』(1996/1997)

 『フューチャーマチック』(1999/2000)

ビゲンド三部作あるいはブルー・アント三部作(のうち二作)

 『パターン・レコグニション』(2003/2004)

 『スプーク・カントリー』(2007/2008)

 (2010年発表の第三作『Zero History』は未訳)

 

スプロール三部作が近未来といえどもかなり科学技術の発達した世界を舞台としていたのに対し、「橋」三部作では現代との科学技術の差異はほんの少しだけとなり、ビゲンド三部作に至ってはついに現代(当時の)が舞台となる。

つまり80年代から2000年代にかけてのギブスンの作品世界は、三部作ごとに現在に近づいているのだ。

もともと『ニューロマンサー』に代表されるギブスン作品の画期性は、「現代においてすでに実現されつつある未来」を描いた点にあると言われる。その当時の技術によって十分に予測可能な未来、あるいはすでに潜在的に到来していたものの、人々がまだ気づいていなかった未来を描写すること。それがギブスン作品の魅力であり衝撃だった。

(その、ごく近い未来についての予見性により、インターネット以前の時代に書かれた『ニューロマンサー』は「サイバースペース」の予言書となった)

そのような作風であるがゆえに、作品世界と現実世界が近づいていくのは必然であったかもしれない。現実世界の方が、ギブスン世界にだんだん似てきていると言ってもいい。
今回紹介する2作も、そのような予見性と現在性をもつ小説だ。

 

なお「橋」三部作という呼び名は、『ヴァーチャル・ライト』の主要モチーフとなるサンフランシスコのベイ・ブリッジに由来する。この作品では大地震で倒壊したベイ・ブリッジの上に大量のホームレスが住み着き、廃材や間に合わせの材料によって、橋の上に無数の建造物が勝手に作られているのだ。

 

先駆的なヴァーチャル・アイドルSF『あいどる』

 

原題の表記は「Idoru」。偶像/アイドルの本来の綴りは「idol」なので、これはつまり日本語における「アイドル」に寄せた表記ということだ。

とにかく特筆すべきは、1996年に書かれた本作は現実の人間とヴァーチャル・アイドルの結婚を扱ったSFだということ。現在においてもいまだ、あるいは現在においてこそアクチュアルなテーマかもしれない、アイドルである架空人格との結婚を約30年前に書いていたわけで、これはかなり早い部類かと思われる。

さらにタイトルが示す通り、ここではそのテーマが日本的なアイドル像と結び付けられている。現在のように日本のポップカルチャーが世界を席巻するようになった時代ならいざ知らず、1990年代においてはこれもかなり先鋭的なアイディアだったのではないだろうか。

もちろん、個々のアイディア自体はSFにとって伝統的なものであり、発表時点において特に目新しいものではなかったものも多いはずだが、ギブスン作品の魅力というのはデビュー以来常に「組み合わせ・アレンジの妙」なのだと思う。ここでも、上記のような要素の組み合わせによって立ち上がるビジョンを楽しんでほしい。

 

物語は世界的なロックスターであるレズが、日本のヴァーチャル・アイドル、レイ・トーエイ(麗投影)との結婚を発表するところから始まる。大混乱に陥ったレズのファンたちのうち一人チアは、事態の真相を知るためファンクラブを代表して東京へ。一方、情報の海の中から「結節点」を見つける才能を持つレイニー(これはとてもギブスンぽい主人公像)もまた、レズの秘密を探るために雇われる。さらには謎のエージェントや犯罪組織、恐ろしいメディア企業が絡んできて、大地震後にナノテクノロジーで再建される東京を舞台に、追いつ追われつの陰謀劇が展開される……

 

ここに加わる、非常にギブスン好みのガジェットが、あの九龍城だ。この世界ではネット上に九龍城を模した空間「城砦都市(ウォールド・シティ)」が秘密裏に構築されており、物語の最後には、それがナノテクノロジーによって太平洋上に実体化することが暗示される。

当時のギブスンが予見したヴァーチャル・アイドル、今読むと少し懐かしい近未来の東京、高度に情報化された資本主義社会を生きる人々、そして九龍城と、魅力的な要素が満載の一作。

 

 

ギブスンのスタイリッシュな現代小説 『パターン・レコグニション』

2002年に発表されたこちらは、ギブスンが初めて現在の世界を舞台とした小説で、2001年に発生したアメリカ同時多発テロ事件(「9.11」)を物語に反映した最初期の小説とされる。ギブスンは執筆中に事件を目撃し、それを主人公のバックストーリーに組み込んでいる。

本作の主人公ケイス・ポラード(『ニューロマンサー』の主人公と同名だがこちらは女性)は「クールハンター」と呼ばれる広告コンサルタントで、新しいロゴやデザインが人気が出るかどうかを直感的に理解できるという特殊能力を持っている。ただしこの能力はある種のアレルギー反応の裏返しで、ケイスは苦手なブランドやロゴを目にすると深刻な体調不良を引き起こすのだ。

これは資本主義と感性/美学をめぐる寓話として、とても印象的な設定だと思う。そしてこの諸刃の剣となる才能ゆえに、ケイスがローラ・アシュレイやトミー・ヒルフィガーの前を通るのを避け、そしてミシュランマンを見るとパニック状態に陥るという部分は申し訳ないけれど笑ってしまう。(作中で語られるトミー・ヒルフィガーについてのコメントが本作の英語版Wikipediaに引用されているので、興味のある方はぜひ読んでみてほしい)

 

物語の鍵となるのは、フッテージと呼ばれる謎の映像だ。これはネット上に時折現れる正体不明の短い映像なのだが、多くの人々がその不可思議な美しさに魅了され、その出所を追っている。ケイスはその特殊な才能を見込まれ、フッテージの謎を追うために雇われる。

様々な人々と接触するうちに、ケイスはフッテージに隠された「電子透かし」の存在を突き止め、暗号化された情報を辿り、ロンドンから東京、モスクワへと舞台を移しながらその制作者へと迫っていく。

なおギブスンの多くの小説は複数の主人公たちの視点を行き来しながら書かれているが、本作は単一の主人公にフォーカスしており、より個人的な感触をもっている。

 

今回でもまた、ギブスンらしいガジェットは健在だ。秘密を探る過程で出会うキーパーソンの一人は古い機械のコレクターで、1930年代に発明されたアナログ式計算機「クルタが印象的に登場する。また物語の佳境では、地中から掘り出された第二次大戦時のドイツの戦闘機ストゥーカが、意外かつ重要な役割を果たす。

このような要素は単に装飾として登場しているのではないと思う。ギブスンの世界では常に現在と過去、現在と歴史が混じり合ったものとして描かれる。アナログ計算機や地中の戦闘機は単なる過去の遺物ではなく、現在に浸透し、侵入してくる歴史の形象なのだと思う。

 

ちなみに本作は、ファッションにおける「ノームコア」のルーツとしても知られる。主人公ケイス・ポラードは先に述べたような特質により、ブランドのロゴを避けてなるべく特徴のないシンプルでユニセックスな服を着るのだが、いつしかその描写はノームコアの起源として語られることとなった。以下の描写は、ノームコアについての多くの記事に引用されている。
 

縮むだけ縮んだフルーツ・オブ・ザ・ルームの少年向き黒Tシャツ、ニュー・イングランドのある私立中学の指定業者から半ダース単位で仕入れた、Vネックのグレーのセーター、新品で大きめのサイズのリーバイス501の黒ジーンズ。どれもトレードマークをひとつ残らずていねいにとり除いてある。ジーンズのボタンも、一週間前、ヴィレッジで韓国人の錠前屋にふしぎがられながら、鏡ですべすべにしてもらった。

 

流行の服飾品がならんだソーホーの専門店のショー ウィンドーに映るケイスの会議用CPUは、フルーツ・オブ・ザ・ルームの新品のTシャツと、バズ・リクソンの黒のMA-1フライトジャケット、タルサのスリフトで買った無印の黒のスカート、ピラティス用の黒のレギンス、原宿の女子学生用の黒靴。ハンドバッグの代用品は、イーベイで買った東ドイツの黒いラミネート封筒だ──秘密警察官給品の本物ではなくても、かなりいい線までいっている。
(略)
CPU。ケイス・ポラード・ユニッツの略。それはデミアンが彼女の服装を評してつけた名称だ。CPUは黒か白、もしくはグレーで、人間の介在なしにこの世界へ出現したように見えるのを理想としている。
(いずれも『パターン・レコグニション』より) 

かつてサイバースペースを予見したギブスンは、2000年代にはファッションを予見していたということになる。

 

ファッションや流行とデザイン、消費社会と結託した政治、変化していく時代と潜在する過去。ギブスン作品の登場人物は、そのような力の奔流に避けがたく身を浸しながら、それぞれの生をどうにか紡いでいくかのようだ。

ギブスンがそれまでの作品世界を引き継ぎながら現在時とシンクロする瞬間を切り取った、隠れた名作だと思う。

 

次の一本

pikabia.hatenablog.com

今回の記事ではギブスンの90年代と2000年代について扱ったが、2014年に発表された『The Periphral』は未訳ながらドラマ版を見ることができる。残念ながらシーズン1のみで制作打ち切りとなってしまったが、とても面白いので見てほしい。