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2.5次元ミュージカルとしての『ジギー・スターダスト』 架空のキャラクターとして歌うということ

架空のキャラクターを演じるデヴィッド・ボウイ

 

 

以前、いわゆる名盤と呼ばれるような、ロックやポップスの歴史的に有名なアルバムをひととおり聴いてみた時期があったのだが、デヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』というアルバムはいまいちピンと来なかった。

単純に音楽的なスタイルがその時の興味に合っていなかったというのもありそうだが、それとは別に、「ジギー・スターダスト」という有名なコンセプト自体を呑み込めていなかったのだと思う。

デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』、正式なタイトルを『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』というこの1972年発表のアルバムは、普通のロックのアルバムとは少し違う。これはデヴィッド・ボウイが、「ジギー・スターダスト」という架空のアーティストを名乗って演じるアルバムである。ここに収められた曲を演奏し歌っているのはボウイとそのバンドではなく、ジギー・スターダストとそのバンド「スパイダース・フロム・マーズ」なのだ──という設定なのである。

 

そもそもボウイについて特に詳しくなかったこともあり、初めて聴いた時にはこのコンセプトがよくわからなかった。だいたい初めて聴くボウイのアルバムがこれだったわけで、「ジギー・スターダスト」と普段のボウイとの違いもわからない。

その後しばらく経って私はボウイのベスト盤を改めて聴いてみたりして、『ダイアモンドの犬たち』『ロウ』といった他のアルバムを好きになったりしたのだが、相変わらず「ジギー」のことはよくわからない、と思っていた。

 

そんな折、ひとつの転機が訪れる。

以前、とある2.5次元ミュージカルの配信を見る機会があった。(ちなみに言うと「刀剣乱舞ミュージカル」)

その配信を見ている時、特にミュージカル本編が終わった後のフィナーレのショー部分を見ている時に、ふと、「あれ?ひょっとしてジギー・スターダストってこういうことでは?」と閃いたのである。

 

一応説明しておくと、2.5次元ミュージカルとは、生身の俳優が、アニメや漫画やゲームのキャラクターに扮して演じるミュージカルのことである。(ミュージカルではない舞台の場合は「2.5次元舞台」) 2次元のキャラクターと3次元の俳優の中間に成立する表現ということだろう。

そこでは、それぞれの芸名を持って活動している生身の俳優が、架空のキャラクターとして舞台に立ち、役を演じ、歌っている。デヴィッド・ボウイというアーティストが、ジギー・スターダストという架空のキャラクターとしてステージに立つというのも、これと同じような出来事なのではないか。

そう考えた時、私は「ジギー・スターダスト」というコンセプトの意味が、なんとなくわかったように感じた。このコンセプトによって発生する、ボウイというアーティストとジギーというキャラクターの間の距離。そしてその距離によって可能になる表現。

 

舞台俳優が架空の人物を演じるように、ミュージカル俳優は架空の人物として歌う。
ミュージカル俳優の多くは芸名を名乗っているだろう。だからかれらは本名/芸名/役名という三つの層を織り込みながら、ステージで歌っている。

そして2.5次元ミュージカルの場合、かれらが演じるのは2次元のキャラクター、アニメや漫画やゲームの世界から来たキャラクターだ。

デヴィッド・ボウイ/本名デヴィッド・ロバート・ジョーンズもまた、ボウイという芸名でロック・アーティストとなり、その上さらにジギー・スターダストという「宇宙から来たロック・スター」という奇抜なキャラクターを演じた。それは今の感覚で言えば、アニメのキャラクターと同じくらいに突飛なものだったと思う。

1970年代の世界におけるその距離感。本名とは別の名前を名乗ってパフォーマーとなり、さらに奇抜なキャラクターを演じながら歌うこと。そして、それに向けられるファンの視線。

そのような、「ジギー・スターダスト」という出来事。それがどんなものだったのかを、私は2.5次元ミュージカルのフィナーレのショーを見ながら、少しだけ理解した気がしたのだ。

(あとはまあ、2.5次元の中でも例えば有名な「テニミュ」、つまり『テニスの王子様』のミュージカルなどよりは、私が見た刀剣乱舞ミュージカルの方がジギー感があると思う)

 

 

それではここで、ボウイがジギー・スターダストとして出演した伝説のTV放送をどうぞ。

www.youtube.com

 


アルバム『ジギー・スターダスト』の物語
 

一応、『ジギー・スターダスト』というアルバムの内容についても紹介しておこう。
この40分弱のアルバムは曖昧にではあるもののストーリー仕立てになっていて、このアルバム自体が一幕のSFミュージカルのようでもある。

(曲名の和訳は、最初の日本盤発売時のもの)


アルバムは「Five Years(5年間)」という曲で幕を開ける。ニュースキャスターが泣きながら「地球にはあと5年間しか残されていない」と告げ、語り手は瀕死の地球に多様な姿の人々が住んでいるのを改めて知る。きらびやかな衣装を纏ったジギー・スターダストとそのバンドがいるのはこの終末の地球だ。

つづくSoul Love(魂の愛)」では新しい愛の形が歌われ、「Moonage Daydream(月世界の白昼夢)」では「私はアリゲーター/私は宇宙からの侵略者」と名乗る語り手が聴衆を白昼夢の世界へと誘う。そしてヒット曲Starmanでは、空で人々を待っている救世主のような存在が暗示される。

終末を間近にした地球で、人々が世界と魂の大きな変化を予感しながら、そこに宇宙からやって来るスターの存在が見え隠れしている。その後、地べたを這う人々が天国を見上げるような「It Ain't Easy」でA面が終わる。(もともとレコードなのでA面とB面があります)
 
「Lady Stardust」でB面が始まると、ブルージーンズに長い黒髪の、化粧をした男がステージに現れ、バンドとともに一晩中歌い続ける。そして「Star」では、世界を変えることができるロックンロール・スターが夢想される。

ジギーのバンドであるスパイダース・フロム・マーズが登場し、終わりのない演奏と狂騒の日々を歌うような「Hang Onto Yourself(君の意志のままに)」が終わると、ついにクライマックスのZiggy Stardust(屈折する星くず)」が始まる。

「ジギーはギターを弾いた」というフレーズから始まるこの曲は、バンドのメンバーからジギーを見た歌だ。宇宙から来たロックスター、ジギー・スターダストの圧倒的な魅力とカリスマ性が歌い上げられるが、ここにはすでに亀裂の予感がある。メンバーはジギーとの確執を歌う。「あいつの綺麗な手を砕いてしまったほうがいいかな?」

2コーラス目では凋落が始まる。ジギーは自分自身のエゴとセックスし、「らい病のメシア」のように自分の魂にはまり込む。そして何かが起こり、死が告げられ、バンドは解散する。「ジギーはギターを弾いたんだ……」と歌われて曲が終わる。
 

Making love with his ego
Ziggy sucked up into his mind, ah
Like a leper messiah
When the kids had killed the man
I had to break up the band
(「Ziggy Stardust」より)

 
ジギーの死を覆い隠すような激しいロックンロール「Suffragette City」(イギリスの女性参政権獲得運動「サフラジェット」とは直接の関係は無いと思われる)を挟んで、アルバムは最終曲「Rock'n'Roll Suicide(ロックン・ロールの自殺者)」へ。寂寥感と諦念に満ちた始まりから徐々に曲調が盛り上がり、最後には誰かが「君は一人じゃない」と何度も叫ぶ。しかし誰が? ジギー・スターダストはおそらくは死んでしまった。
 
あと5年で終わりを迎える瀕死の地球では、人々が愛とカリスマを求めている。そこにバンドを従え現れたのは、色とりどりの服を着た、美しいロックスター、ジギー・スターダスト。ジギーは人々を魅了したが、しかし自分自身と喰らい合うように堕ちていく。そしてスターがいなくなった世界で、残された誰かが「君は一人じゃない」と叫んでいる──

『ジギー・スターダスト』はそんな物語が曖昧に語られる40分弱のアルバムである。聴いたことがない方は、ぜひ一度聴いてみてほしい。

 

 

※驚くことに、英語版Wikipediaには「ジギー・スターダスト(キャラクター)」の項目がある。

Ziggy Stardust (character) - Wikipedia

※なおこの時期ボウイは「自分はバイセクシュアルである」と公言しており、そのことの是非ついては様々な議論と評価がある。

 

 

次の一冊

pikabia.hatenablog.com

ボウイについて詳しく知りたい方は、以前紹介したこちらの本をどうぞ。

 

もっと買いやすい本としては、音楽関連書の翻訳を多く手掛ける著者によるこちらの新書もお勧めです。

 

pikabia.hatenablog.com

こちらはボウイのドキュメンタリー映画の紹介。