もう本でも読むしかない

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トム・スタンデージ『ヴィクトリア朝時代のインターネット』 電信が発明された時代に見る、情報化社会の原型

世界を変えた電信の発明と普及のドキュメント

 

 

英国のジャーナリスト・作家で、現在は「エコノミスト」誌の編集に携わるトム・スタンデージによるヴィクトリア朝時代のインターネット』は、19世紀のヨーロッパとアメリカにおける電信の発明と普及について書かれた本だ。

原著はまさにインターネットが一般に普及し始めた時代と言える1998年に発表され、邦訳はかなり遅れて2011年に単行本が刊行されていたものが、このほど文庫で復刊された。19世紀に発明され、瞬く間に世界に普及した電信。電線を通じてモールス信号を送り、遠方へ瞬時にメッセージを伝えるその技術は、まさに当時におけるインターネットであった。また電話やテレビといった後のメディアと比べても、電信にはインターネットとの共通点が多いという。本書はこのようなことを多彩な資料をもとに述べていく。

 

本書は笑ってしまうような実験のエピソードで幕を開ける。1746年、パリのある修道院の前で、200人ほどの修道士が、のべ1マイル(約1.6キロ)以上にもなる鉄の電線を握って一列に並んでいる。そして科学者でもあるジャン=アントワープ・ノレ神父が原始的な電池を取り出してその電線につなぐと、1マイル先までの修道士全員の身体に電流が走ったことが、絶叫とともに確認されたという。

これはつまり、電気というものが、長い電線の先まで一瞬で伝わることを証明するための実験だ。この原理を応用すれば、電線で繋がった場所へはどこへでも、一瞬で情報を送ることができるのではないか? これが電信の発明に繋がる発想だ。

ここから本書は、まず電信の発明までの道のりを辿る。まず18世紀のフランスで、等間隔に建てられた塔に設置した装置による腕木通信(木製の器具を動かして文字を表す)でメッセージを伝える「光学式テレグラフが発明される。この肉眼を使った機構は主に軍事的目的で使用され、ナポレオンによって特に重視されたという。

「電気式テレグラフつまり電信の発明においては、英国と米国にそれぞれ主人公が登場する。モールス信号にその名を残す米国のサミュエル・モールス、そして英国のウィリアム・クックだ。二人は英米で同時期に、電線を使った信号の送信方法を模索する。問題となるのは、メッセージをどのように信号に変え、またその信号をどのように読み取るかだ。クックが協力者ホイートストンとともに考案したのは、電気で5本の針を動かし、盤上で文字を指し示す方法。モールスが考案したのは、電磁石に取り付けられた鉛筆がテープに記号を書き込む方法だった。(この方法が、後にモールス信号とともに普及する)

 

革命的な技術も、すぐにはその真価が理解されない

 

このように発明された電信が、どのように社会に受け入れられ、普及していったかが次の話題なのだが、その道程は全くスムーズではなかった。現在から振り返ってどんなに画期的な発明であろうと、その真価に人々が気づくまでにはとても時間がかかる、ということがよくわかる。英国のクックは鉄道会社に電信を売り込み、米国のモールスはどうにか議員を説得して資金を得、それぞれ鉄道の線路沿いに最初の電線を引いた。

当初は少し珍しい発明という程度にしか思われていなかった電信は、いくつかの出来事によって注目を集めていく。それは例えば1844年、ヴィクトリア女王の二人目の息子の誕生がウィンザーからロンドンへ即座に伝わったことや、また鉄道で逃げた殺人犯の特徴が電信で終点の駅へ送られ、下車時の逮捕に成功した事件などだ。やがて多くの人々が電信の革命的な有用性に気づくと、電線はどんどん延長し、ついには大西洋を横断することになる。

このような、新技術がその真価を見出されて普及するまでのタイムラグは、現在でも私たちがしばしば体験していることだと思う。

 

情報通信技術による社会の変化

 

19世紀の半ばには、電信は西欧世界の全体に広がった。本書の後半では、それが世界をいかに変化させたかが詳しく描写される。

電信による迅速な情報伝達が最も活用されたのは、やはり経済の分野だった。当時のロンドンでは電信の利用の大半は証券取引に関するものだったという。また以前は数週間から数か月もかかっていたような商取引に関する連絡も瞬時に済むようになり、ビジネスマンたちは一時も休むことなく取引を続けることができるようになったのだ。(この部分は涙なしには読めない!)

 

また、電信が利益を生み出すようになると当然それを悪用する者が現れる。電信を使った様々な詐欺や犯罪、そして本格化する暗号の使用とその解読の試みは、本書の大きな読みどころのひとつだ。特にフランスにおける重大な冤罪事件であるドレフュス事件においても、電信で送られた暗号は重要な役割を果たした。

 

遠距離の通信はもちろん、外交上や軍事上の目的に利用され、英国による広大な植民地の支配にも大きく関与した。電信が発明された時点では、この技術が世界平和をもたらすと楽観的に語られていたということも、インターネット黎明期を思い出させる。

海外で見聞きしたニュースを新聞社に販売する通信社も、電信の利用によって躍進する。当時海外特派員を擁していたのは「タイムズ」誌だけで、他の新聞社はこのような通信社から海外ニュースを手に入れていたのだ。(現在もよく知られるロイター社が、電信の普及以前は伝書鳩を使っていたという驚きの事実も)

 

このように挙げていくときりがないのだが、とにかく本書では、電信の普及に伴う、生活・経済・政治など全てを巻き込む社会の変化が詳しく広範に語られる。

それを読んで私たちが感じるのは、ある種の既視感だ。この時代に人々が体験したのと同じような変化を、現在の私たちも体験しているのではないか。インターネット、スマートフォンSNSなどの普及によって私たちが被った変化の原型が、確かにこのヴィクトリア朝の時代にあるのではないか。

この感覚こそが、この『ヴィクトリア朝時代のインターネット』と題された本の醍醐味だと思う。その感覚は、私たちが現在の情報環境を改めて捉え直すきっかけにもなるだろう。

 

そのうち読みたい

 

同著者の邦訳はあと2冊出ている。どちらも面白そう。

 

次の一冊

 

pikabia.hatenablog.com

前回の記事で紹介したこの本の第一章にも、偶然ながら大西洋を横断する電信ケーブルの敷設についての話題が登場する。とはいえ本題は電信ではなく、海底にケーブルを敷設する際に見つかった「始原生物」の痕跡(と思われたもの)について。

全く毛色の異なる本ではあるが、扱っている時代が近いので、互いの内容を意識しながら読むのも面白いだろう。