もう本でも読むしかない

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山本浩貴『現代美術史』 社会の中の芸術、そして国境を越えた「脱帝国の美術史」へ

社会と関わるものとしての現代美術

 

2019年に刊行された中公新書『現代美術史』は、自身も現代美術作家であり現在は金沢美術工芸大学で教鞭をとる山本浩貴による、現代美術の歴史を理論的に概観できる一冊だ。

19世紀末から20世紀初頭に起こった種々の芸術運動を前史として押さえつつ、主に1960年代以降の現代美術の流れを、多数のアーティストや運動を紹介しながらまとめてくれる。

また後述するが、著者が注意を向けるのは現代美術の地域的な多元性だ。「欧米、日本、トランスナショナルという副題が示す通り、本書は現代美術史を単一の流れではなく、複数の軸が交錯するものとして書き出そうとする。

 

といっても、「現代美術」というものの総体はあまりにも広く多様で、それを語る切り口もさまざまだ。そこで本書は「芸術と社会」というテーマを設け、社会との関わりの中で変化し、社会に向けて表現される芸術という視点から現代美術史を記述することを選んでいる。

著者によれば、美術館やギャラリーという制度に閉じこもった芸術が批判され、芸術実践が公共空間に出ていく動きが1950〜60年代にかけて生まれる。そのような「前衛」芸術は当初は異端視されていたものの、現在では地域コミュニティにおけるアート・プロジェクトは現代美術の主流を成すまでになり、日本でも各地で多くの芸術祭が開催されるまでになった。

これらの「公共空間での人々との交わりを志向する社会的芸術実践」は2000年代以降には「ソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)」と呼ばれるようになり、キュレーターであるニコラ・ブリオーによる『関係性の美学』がその理論的支柱となった。

このような、1960年代の前衛美術から現代へと至る「社会的芸術実践」の流れというのが、本書における「現代美術」の基本的な枠組みとなる。
 

西洋中心主義への批判/トランスナショナルな美術史

 
さて、本書のおそらく最も重要なコンセプトは、その章立てから見て取ることができる。

戦前の先駆的な芸術運動を「前史」としてまとめた序章に続いて、60年代以降を記述する本編は三部構成となっており、第一部は「欧米編」第二部は「日本編」、そして第三部は「トランスナショナルな美術史」と名付けられている。

この章立てには、美術史における西洋中心主義への批判的な態度が現れている。美術史というものは往々にして欧米諸国の話がメインになりがちなのだが、本書では欧米編を三部構成の第一部のみにとどめ、つづく第二部では日本における現代美術の流れがより詳細に紹介される。

そして最も重要だと思われるのは第三部だ。章題のトランスナショナルな美術史」とは、つまり国境を越えた美術史のことである。著者は美術史の記述における「ナショナル・ヒストリー」の問題、つまり国民国家という枠の中で語られる美術史においては不可視化されてしまうエスニック・マイノリティーの芸術を重視し、まず戦後イギリスにおけるアフリカ系移民による芸術である「ブリティッシュ・ブラック・アート」を、続いて東アジアにおける日本の旧植民地にまつわる芸術実践を取り上げる。

 

特に我々に関係が深いのはもちろん後者である。第三部の後半をなす「脱帝国の技法(アート)──東アジア現代美術と植民地主義の遺産」では、かつての日本の植民地政策、そして戦後の冷戦構造に組み込まれることによってその過去が十分に精算されて来なかったという歴史が語られ、そのような歴史にまつわる芸術が紹介される。

ここで取り上げられるのは、例えば在日コリアンの作家たちによる、そして沖縄、韓国、台湾における様々な芸術実践だ。近代日本の植民地支配の場における、またその歴史を負う人々による表現の数々は、本書の中でも最も印象的なものだと思う。

 

冷戦下で日本は自らの植民地であった台湾や韓国と和解を築く十分な努力を成し得ませんでした。哲学者の花崎皋平(1931〜)が言うように、「脱植民地化は冷戦における日本の役割を阻害しない程度に凍結された」ためです("Decolonialization and As- sumption of War Responsibility")。1989年のベルリンの壁崩壊を合図に、冷戦にも終結の時期が訪れます。同時に、日本の植民地主義に端を発する未解決問題が喫緊の事案として浮上しました。「いまや冷戦が終わり、日本の脱植民地化という未遂の仕事が解決を求めて再び表面化してきた」(花崎)というわけです。
そうした歴史的経緯を理由に、本章では主に冷戦が終結した1990年代以降に照準を絞って、東アジア現代美術と植民地主義の問題の関わりを眺めます。前章に続き、この章もトランスナショナルな美術史の試みです。それは、国境を越えて拡がった日本帝国主義をめぐる東アジアの歴史を軸に紡ぎ出される美術史です。
(「第六章 脱帝国の技法(アート)──東アジア現代美術と植民地主義の遺産」より)

 

 
本書は膨大な量の作家と芸術運動を紹介するため、そのひとつひとつについてはごく簡単な記述しかできず、図版も多くはない。読者はこの本を手がかりに、気になった作家や作品を自分で調べていけばいいだろう。ネット上で作品の写真をいくつか見るだけでも、だいぶ印象が変わるはずだ。

一例として、上記の「第六章 脱帝国の技法(アート)──東アジア現代美術と植民地主義の遺産」で取り上げられた現代の作家や作品についてのリンクを貼っておく。

 

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次の一冊

 

今回紹介した『現代美術史』は、主に芸術作品やプロジェクトの「意味」や「文脈」の部分に着目した本ということになるが、もちろん芸術作品には物質的な形と実体があり、そちらの面も劣らず重要である。

ほんの一例ではあるが、ここに挙げた本は芸術作品の「かたち」や、「モノ」としての存在のあり方、あるいはその「イメージ」の力に迫ったものだ。

ぜひ合わせて読んでもらいたい。

 

そのうち読みたい

 

『現代美術史』では主に「ソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)」の枠組みで現代美術史をまとめているのだが、本文中でも紹介されている、SEAに対して批判的な立場の書物の中で代表的なものがこの『人工地獄』だという。これも合わせて読んでみたい。