もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』 謎に満ちた語りと美しい文章に魅せられる技巧派SF短編集

未来の文学」シリーズの定番短編集

 

以前このブログでジーン・ウルフの傑作SFケルベロス第五の首』(およびそれを含む国書刊行会未来の文学」シリーズ)を紹介したことがあるが、同シリーズから出ている、同じくジーン・ウルフの短編集『デス博士の島その他の物語』が重版されたという知らせが届いた。

 

 

これは2006年に刊行されたハードカバーの本で、遠からず刊行20年を迎えることになるが、そのような本が判型を変えることもなく版を重ねているというのはとても稀有なことだと思う。この本が(そして「未来の文学」シリーズが)より多くの読者を得られることを願って、当ブログでも紹介することにする。

 

以前の記事はこちら。

pikabia.hatenablog.com

 

ジーン・ウルフは1931年に生まれ2019年に没したアメリカの作家で、1965年にデビューし、多くのSF、ファンタジーを発表した。日本ではファンタジー方面の代表作新しい太陽の書シリーズが1980年代に翻訳されていたが、現在における人気を決定づけたのは、「未来の文学」シリーズから刊行された前述の長編ケルベロス第五の首』(1972年発表)、そして70年代に書かれた短編を集めたこの『デス博士の島その他の物語』の二冊だと思われる。70年代に書かれた作品群が今世紀に紹介され、多くの新たな読者を獲得したというわけだ。

(「未来の文学」シリーズは、他にも多くの過去の作品をこのように紹介してくれている)

 

 

ではこの短編集に収録された作品群を紹介しよう。

中核をなすのは、「島シリーズ」などと呼ばれる一連の中短編群だ。

 

  • The Island of Doctor Death and Other Stories 「デス博士の島その他の物語」
  • The Death of Doctor Island 「アイランド博士の死」
  • The Doctor of Death Island 「死の島の博士」

 

よく見てもらえばわかる通り、これらの作品の題名は全て、「死」「島」「博士」の三語を並び替えて作られたものだ。

と言っても、これらの作品はそれぞれ完全に独立したもので、内容については互いに何の関係もない。また、最初からこの三作が計画されていたわけでもなく、順番に「じゃあ次は……」と書かれたものらしい。このような遊び心に満ちた、あるいは冗談みたいな題名で、しかしいずれも劣らぬ傑作を書いてしまうところがジーン・ウルフの恐ろしさなのだ。

 

「デス博士の島その他の物語」

それぞれ簡単に内容を紹介しよう。この表題作の主人公(主人公だが、地の文によって「きみ」と呼び掛けられる)はタックマン・バブコックという少年だ。タックマンは母親と二人で海辺の古い家に暮らしているが、母親と周囲の大人たちは様々な問題と思惑を抱えている。

印象深い書き出しを引用しよう。

 

落ち葉こそどこにもないけれど、冬は陸だけでなく海にもやってくる。色あせてゆく空のもと、明るい鋼青色だった昨日の波も、今日はみどり色ににごって冷たい。もしきみが家で誰にもかまってもらえない少年なら、きみは浜辺に出て、一夜のうちに訪れた冬景色のなかを何時間も歩きまわるだけだ。砂つぶが靴の上を飛び、しぶきがコーデュロイの裾を濡らす。きみは海に背をむける。半分埋まっていた棒をひろい、そのとがった先っぽで湿った砂の上に名前を書く。タックマン・パブコック、
それから、きみは家に帰る。うしろで大西洋が、きみの作品をこわしているのを知りながら。

(「デス博士の島その他の物語」より)

 

 

孤独と寄る辺なさの中で生きるタックマンは、手に入れたパルプ小説「デス博士の島」に夢中になる。不穏な日々の中で、やがて小説の登場人物たちが少年のもとを訪れるようになる。逞しいランサム船長や獣人のブルーノ、そして妖しくも美しいデス博士

やがて少年の生活には大きな事件が訪れ、その中でタックマンは、もう本の続きを読みたくないとデス博士に告げる。本を読み終われば彼らは去ってしまうからだ。それに応えるデス博士の言葉は、多くの読書家の心に刻まれた名文句となっている。ぜひ読んで確認してほしい。

 

さて、このようにまとめるとごく単純な話に思えるし、実際そのように読むこともできるのだが、しかしジーン・ウルフは厄介な作家として知られている。

ウルフの小説はほとんどの場合「信頼できない語り手」によって語られており、その描写は多くのことを隠し、また複雑な含意を持ち(あるいは持っているように見え)、多くの事柄が曖昧な謎のままにされる。

しかし、それは決してウルフが曖昧な小説を書く作家という意味ではない。むしろその小説は飽くまでも緻密に構成され、しかしその全貌を書かない、という方法で成り立っているのだ。

この「デス博士の島その他の物語」に対しても多くの読解が行われているので、興味のある向きは調べてみてほしい。

 

いずれにせよこの短編は、孤独な少年にとっての読書の意味だけでなく、作中作として書かれるH.G.ウェルズ(「モロー博士の島」)へのオマージュと、そのような古典冒険小説とその後の時代との対比、また70年代のアメリカ社会、特にドラッグ・カルチャーが残したものの明暗、といった様々な要素が、凝りに凝った技巧によって盛り込まれた傑作だと思う。

 

「アイランド博士の死」

島シリーズ二作目のこちらは、ネビュラ賞ローカス賞を受賞している。

舞台は打って変わって、木星軌道上にある小さな人工星。その閉鎖空間内に作られた島は、ある種の医療施設として、「病気」とされた人々を収容している。

この島へ送り込まれた少年ニコラスに、波や風の音、あるいは鳥や動物の声を使って何者かが話しかける。その言葉の主こそはこの人工島そのもの、この医療施設そのものであり、自らを「アイランド博士」と名乗る。

この中編では、少年ニコラスの奇妙だが理にかなった振る舞いや、互いを探るようなアイランド博士との対話、そして宇宙に浮かぶ人工島の豊かな自然とそれを取り巻く機構の姿とが、美しく流麗な文章で描かれる。ジーン・ウルフは非常な名文家でもあるのだ。

 

地面はかなり急傾斜の登りになった。とある林間の空地で少年は立ちどまり、後ろをふりかえった。 今、その下をくぐって登ってきた密林が、池の面をおおう藻のように緑の膜を張り、そのむこうに海が見える。左右の視野はまだ葉むらにふさがれ、行く手にはまばらに木の生えた草地が、(少年は気づかなかったが、ちょうど彼が最初にくぐり出てきた四角な砂のハッチのように)斜めに立てかけられたかたちで、見えない頂上に向かって険しくのびている。足もとでほんのかすかに山腹がゆれているような気がした。とつぜん、少年は風に問いかけた。
「イグナシオはどこだ?」
「ここにはいない。もっと浜の近くにいる」
「じゃあ、ダイアンは?」
「きみがおいてきた場所にいる。このパノラマが気にいった?」
「きれいだけど、地面がゆれてるみたいだ」
「そのとおり。わたしはこの衛星の強化ガラスの外殻に、二百本のケーブルでつなぎとめられているが、それでも潮の干満と海流がわずかな振動をわたしの体に伝えてくる。この振動は、いうまでもなく、きみが高く登るにつれて大きくなっていく」

(「アイランド博士の死」より)

 

人工の自然の中で、ニコラスはイグナシオという青年、ダイアンという娘と出会う。彼らもまたこの島で治療されている者たちだ。読者はニコラスとともにこの謎めいた人工島を探検し、アイランド博士と対話し、二人の人物に恐る恐る近づいて、自分と世界の有様を探っていくことになる。

ここでも作者の企みは冴えわたり、読者は美しい文章に酔いながら、少しずつこの島の秘密を知っていく。そして最後には残酷な事実が明らかにされ、ニコラスと読者はともに置き去りにされるかのようだ。描写と叙述の力をこれでもかと駆使して語られる、残酷な物語である。

 

「死の島の博士」

私にとって最も謎めいているのはこの三作目だ。正直言って、何が書いてあるのかしっかり読めている自信はない。

今作の主人公もまた閉じ込められている(ちなみに、以前紹介した長編『ケルベロス第五の首』の主人公の一人も幽閉されていた)。殺人罪終身刑となり、末期ガンに罹患したことにより40年間の冷凍睡眠処置をされていたアランが目覚めるところから物語が始まる。40年後の世界では人々は老いを克服し、事実上の不死を獲得していた(事故や怪我によっては死ぬ)。

アランはかつて発明家で、本の表紙に回路を埋め込むことにより「スピーキング・ブック」を生み出した。現在この種の本は世界を席巻し、本はもはや読むものではなく、会話しながら聞くものとなっている。アランが殺したのは、この事業のパートナーだった。

 

物語は、アランが収容されている刑務所病院の様子、40年後の未来世界の有様、そしてアランの過去などの要素が、行きつ戻りつしながら、少しずつ語られる。叙述は一直線には進まず、情報は小出しにされ、この世界は何なのか、一体アランに何が起こったのか、ほんの少しずつしか見えてこない。

病院の用務員やカウンセラー、謎めいた医師、生き長らえていた妻などの登場人物が意味ありげに登場し、それぞれ印象的な形でアランと関わっていく。いまだ終身刑のなかにある自分の行く末を、何故かアランは楽観しているようだ。

やがて外の世界では、スピーキング・ブックにまつわるある異変が起こり始める──

 

こうやって概要を書き起こしていても、「あの描写は何だったのか?」「あの人物は結局何物だったのか?」「このシーンでは何が起こっていたのか?」などと疑問がどんどん出てくる。

しかし、それは決して不満ではない。むしろさらに興味をかき立てられ、すぐにでも再読したい気分になってくる。このような読後感は、ウルフのほとんどの作品に共通するものだ。

 

その他収録作と、必読の「まえがき」

この短編集には、上記三篇のほかに、文明崩壊後のアメリカを舞台にしたアンチ・ミステリ的なSFアメリカの七夜」オズの魔法使いを題材にした、目が見えない少年の冒険譚「眼閃の奇跡」の二篇の中編を収録している。これらもまたたいへんに印象深い傑作で、なんなら別の記事で紹介したいほどだ。

そして本書の冒頭には、上記「島シリーズ」三作が書かれた経緯を語る「まえがき」が収録されているのだが、実を言うとこの「まえがき」も大きな読みどころだ。意外な経緯を面白おかしく語りつつ、あっと驚くような仕掛けが、この「まえがき」自体に仕込まれているのだ。洒脱としか言いようのないこの仕掛けを、ぜひ味わってもらいたい。

 

久しぶりにこの中短編集を読み返したが、あらためて読むとジーン・ウルフの作品には、いかにもニューウェーヴSFという感じの捻りや実験精神、スタイルへの野心とともに、オーセンティックな、大文字の「文学」への帰依のようなものを感じた。ニューウェーヴ的なものと、もっとエスタブリッシュメントとしての文学的なものの同居と言おうか。(もともとニューウェーブSFは、大衆小説としてのSFから離れ、現代文学との同時性を目指したジャンルでもあるのだが)

ウルフはSF、ファンタジーの枠を超えて、「現在最高の英語作家」と称されたこともあるというが、その理由はこのあたりにもあるのだろうか。

(またウルフは、「カトリックの作家」として語られることも多い。ウルフの小説のカトリック的な要素というのも気になる話題だ)

 

次の一冊

 

同じく「未来の文学」シリーズから出ている短編集。こちらはより短い作品が集められており、比較的気軽に読める。収録された短編全てが、何らかの記念日にちなんだものとなっている。

 

こちらはウルフの長編。アメリカに住むとある老人の回想という体裁の小説なのだが、長編だけあって謎の量も段違いに多く、読者はひたすら眩惑され、今読んでいる文章に何か隠された意味があるのではないかと疑いながら読むことになる。私も一読後、他の人の読解を見て驚愕しながら読み返した。