阿部和重の初期代表作
阿部和重は私のとても好きな作家の一人なのだが、なかなか紹介するのが難しい作家である。
なぜかと言うと、小説の中に、本当にろくなことが書いていないのだ。
阿部和重の小説の主人公のほとんどはろくでもない人間であり、たいていは犯罪者であり、自分勝手な都合で他者を蔑ろにしている人物ばかりだ。しかもそこには、例えば支配的な価値観に対する抵抗であるとか、抑圧的な規範に対する反抗であるとかいう、権力批判的な要素もほとんど無い。彼らは単に利己的でひどい人物であり、そして多くの場合差別的で弱者を虐げている。
そういうわけなので、小説を読む際、小説に書かれている人物や内容が一般的社会的な基準において好ましいものかどうかを重視する方には、阿部和重の小説はお勧めできない。読まない方がいいと思う。
ではどういう人には勧められるかというと、まず第一には「小説という構造物そのもの」が好きな人にだ。阿部和重は非常に技巧的な作家であり、物語を「どう語るか」という企みの複雑さにおいては群を抜いていると思う。
第二には、人間の「悪さ」について考えたい人にである。阿部和重は常にろくでもない人間、他者を虐げる人間を書きながら、その思考回路をつぶさに描写していく。阿部和重作品において、登場人物は全て作者による鋭利な分析の対象でもあるのだ。
阿部和重は1994年にデビューした作家で、2005年に『グランド・フィナーレ』で芥川賞を受賞。近年は『シンセミア』『ピストルズ』『オーガ(ニ)ズム』の「神町サーガ」長編三部作の作者として名高い。他にも野田文芸新人賞、伊藤整文学賞、毎日出版文化賞、谷崎潤一郎賞と、そうそうたる受賞歴を持つ作家だ。
今回紹介する『ニッポニア・ニッポン』は2001年の初期作で、芥川賞候補にもなっている。今年、短編集の『無情の世界』と合本になった文庫『無情の世界 ニッポニアニッポン 阿部和重初期代表作2』として新版が発売された。(他の初期作を収録した『アメリカの夜 インディヴィジュアル・プロジェクション 阿部和重初期代表作1』と2冊同時発売)
主人公は鴇谷春生(とうや・はるお)という17歳の少年。彼は何らかの問題を起こして地元を離れ、東京へ出て親類の店でアルバイトをしながら一人暮らしをしている。
彼はたいへんに肥大化した自意識と被害妄想、そして激しい思い込みの強さを併せ持つ少年なのだが、ある事情で東京へ放逐されて鬱屈した日々を送る中、徐々に佐渡ヶ島で飼われているトキに対する興味を深めていく。彼の苗字である鴇谷の「鴇」の字はトキを意味するため、もともと彼はトキにシンパシーめいたものを感じていたのだが、やがて彼はどういうわけか、己の惨めな境遇と、絶滅を目前にしつつ人間たちに保護されて暮らすトキたちを重ね合わせ、異様な感情移入を強めていく。そしてついに彼は、トキと自分に運命的な繋がりを確信し、佐渡ヶ島の施設からトキを解放することを決意するのだ。
阿部和重の大きな魅力のひとつはその文章のスピード感なので、まずは書き出しの一節を読んでみてほしい。
選択肢は三つに絞られた。
飼育、解放、密殺。
しかし実現可能な処置となるとさらに限られる。
三つのうち、飼育は除外すべきだと思われた。佐渡から都内までの運搬に苦労するだろうし、六畳一間の室内で放し飼い出来るほど小さな鳥ではない。実家ならば隣県だからまだ距離的に近いし環境的にも飼いやすいかもしれぬが、準備だけで何年も掛かりそうだ。知識や資金力に乏しいひ弱な一七歳の少年にとって、それは決して楽な仕事ではないだろう。そもそも国自体が、養うことに難儀しているのだから、ど素人の未成年には無理な話である。居場所が誰かにばれてしまったら、すぐさま略奪者の襲撃を喰らうに決まっているし、複数の勢力との争奪戦に展開することだって充分にあり得る。飼い馴らすことは魅 力的だが、費やす労力を考えると、割に合わない。
というわけで、逃がすか、殺すかの二者択一となった。
(阿部和重『ニッポニア・ニッポン』冒頭)
さて、改めて要約してみても、一体何なんだそれは?という感じの物語であるが、基本的にこの小説にこれ以上の内容はない。もちろん主人公が地元を離れた経緯などが徐々に明らかにされ、登場人物が肉付けされて奥行きを増してはいくのだが、かといって主人公・鴇谷春生が何か大切なことを理解したり、その思索を深めたり、あるいはトキとの関わりによって何かを見出したりすることはない。何がしかの成長のテーマや、あるいは人間や世界についての理解のようなものは、この小説には決して書かれない。
では一体、この小説には何が書いてあるのか?
まずひとつには、トキに関する膨大な資料とデータだ。
2001年に書かれたこの小説の歴史的に重要な要素として、インターネット上の情報を大量に活用・引用して書かれた最初期の小説だという点がある。作中、トキに興味を持った主人公はトキの生態やその出自、日本の国鳥となりつつ絶滅危惧種となった経緯、そして近年のトキ繁殖の試みなどについて、ひたすらネットで検索する。そして検索された資料や記事は、そのまま小説内に引用される。
ここで私達が読まされるのは、ネット上に存在する実際の情報なのだ。小説全体のかなり多くの部分が、既存の文章の引用によって成り立っている、というのは阿部和重作品の大きな特徴のひとつである。阿部和重の小説においては、まず第一に事実が、情報がある。そしてそこからの飛距離が醍醐味だ。
主人公・鴇谷春生は、上記のようなネット上の情報を読んでどうなるか。様々な情報を得ることで視野が広くなり、バランスのよい思考を手に入れるだろうか。実際に起こることはまったく逆だ。主人公は情報を集めれば集めるほど、自分の奇妙な思い込みを強め、トキと自分との間に運命的な繋がりを見出し、保護センターを襲撃する確信を強めていく。
情報が偏っているのではない。主人公が集めた情報は飽くまでフラットな情報で、信憑性も高く、何らかの方向に極端な内容も持っていない。そしてそれらの情報は現実の情報であり、我々読者もその原典に当たることができる(さすがに20年以上経った現在は見られなくなっているものも多いだろうが)。問題があるのは情報ではなく、飽くまで主人公の側なのだ。
我々読者は、肥大した自意識と被害者意識、筋違いな不遇感と怨みを抱えた思い込みの激しい主人公が、ごく一般的な情報をもとに、完全に間違った観念を育んでいくのを詳細に見せられる。阿部和重の明晰な文章は、決して主人公を没論理的なクレイジーな人物としては書かず、むしろその思考の筋道を非常に論理的に書いていく。この主人公は非常に明晰に論理的なのだ。ただ、思考の前提がおかしいだけで。
ネット上に存在する、実在の資料の集合と、それを論理的に読み解きながら間違った結論に至る人物。十分な知性を備え、フラットな情報を得ながら、思考の根本を支配する妄執によって無自覚に異常な結論を導き出してしまう主人公。この小説は、そのような人間の姿を迫真の描写で見せてくれる。
20年以上前の作品だが、陰謀論が大きな問題となる昨今、改めてインパクトを持つ小説だと思う。
次の一冊
90年代の阿部和重を代表する小説が、ベストセラーとなった『インディヴィジュアル・プロジェクション』だ。この作品も『ニッポニア・ニッポン』と共通する要素を多く含むが、よりストレートな犯罪小説・およびスパイ小説として読める。
阿部和重を代表する仕事と言えば、何と言っても『シンセミア』『ピストルズ』『オーガ(ニ)ズム』の「神町サーガ」長編三部作だろう。犯罪小説とマジックリアリズム文学が合体したような『シンセミア』、さらに伝奇小説とスパイ小説の要素まで盛り込んだ『ピストルズ』、そして作者と同名のキャラクターが幼児を連れ回りながら国際的陰謀に巻き込まれる子育てスパイアクション『オーガ(ニ)ズム』と、どれも違った魅力がある。
なお『ニッポニア・ニッポン』もまた神町サーガに組み込まれており、主人公の鴇谷春生は『ピストルズ』にも登場。さらに『グランド・フィナーレ』と『ミステリアスセッティング』もサーガに含まれる。(バラバラに読んでも問題ないように書かれているので、特に全部読む必要はありません。)
比較的最近の作品でお勧めなのがこの『クエーサーと13番目の柱』。ダイアナ妃の自動車事故、およびその事故に触発されたJ.G.バラード『クラッシュ』を参照しつつ、人気アイドルの情報を追うパパラッチたちのスピーディーかつ奇妙な攻防が描かれる。
そのうち読みたい
今のところ最新の長編がこちら。