もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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SFと植民地 あるいはシンガポールで見る『カジノ・ロワイヤル』(自作宣伝です)

 

私事で恐縮ですが……

Winsland House II

 
今回は私事と雑談なんですが、実は一昨年あたりからブログのほかに趣味でSF小説を書いておりまして、WEBメディアのコンテストに応募したりしています。

昨年はバゴプラ/Kaguya Planet主催の「第3回かぐやSFコンテスト(特集・未来のスポーツ)」 にて選外佳作に選んでいただいたりもし、細々と楽しく活動しております。

Kaguya Planetについてはこちらの記事をどうぞ。作品へのリンクもあります。

pikabia.hatenablog.com

この1月には同じくKaguya Planetの「気候危機」特集に合わせて行われた公募に向けて短編を書きました。そちらも現在カクヨムで公開しております。(追記:公募後に行われた選評配信にて、佳作として取り上げていただきました。)

kakuyomu.jp 

SFのテーマとしての植民地


さて、私はこれまでSF短編・掌編を8本ばかり書いてみたのですが、おおむね毎回、実在の熱帯の国々を舞台とした物語を書いております。そして、実在の熱帯の国々を舞台にするということは、ほとんど自動的に、旧植民地を舞台にするということになります。
これは私が実際に熱帯に、そして旧植民地に住んでいるということと関係があると思います。

 

私はそう趣味が広いとは言えないSFファンなのですが、SFというものは大雑把に言えば、人間と文明との関わりをテーマとするジャンルのことだと思っています。(サイエンス=科学を広めに捉えるタイプのSF観ですね)

そのようなSFには、様々なテーマがありえるでしょう。例えば情報技術の発達であったり、人工知能との関係であったり、宇宙への進出であったり。あるいはJ.G.バラードの言うような内宇宙の探求や、あるいは時間や神、存在といった根本的な観念なども主要なテーマになるでしょう。

そのようなテーマはどれも興味深いのですが、いま自分が個人的に気になる、あるいは気にならざるをえない文明=科学にまつわる問題が、植民地についてなのです。

 

かれこれ8年ほどかつて植民地だった場所に住んでいるのですが、外国人としてそこで暮らしていると、ここが植民地であったということはどういうことなのか、植民地を生み出した文明とは、そして植民地化によって生み出された文化とは何なのか、そのようなことが気にかかります。

そしてそれは、そのまま人間と文明について考えることとなり、それはSFのテーマそのものとなります。

帝国主義を生み出した西洋近代。西洋近代と不可分のものとしての理性と啓蒙と自由、そしてキリスト教。植民地の動脈である貿易と、それによって始まる資本主義。西と東、北と南の非対称性。植民地を可能にした動力と生産力、その延長としての科学技術。

そのような文明=科学=サイエンスの、暴力的な産物の中に私たちは暮らしている。旧植民地諸国に住むようになってから、そのようななことを実感することがとても多くなり、それは創作の個人的な動機ともなったのだと思います。(そしてそれはもちろん、日本に住んでいても感じているべきものだったのだろうと今は思います)

これがつまり、「植民地をテーマにSFを書く」ということの動機であり、そのテーマの内実というわけです。

 

もちろん私には知識も技術も不足しており、高度な達成は望むべくもありませんし、また、私が書くものが結果として植民地主義の再生産となる可能性も当然あります。そのような恐れも抱きつつ、作品を公開するにあたっての補助線として、あるいは熱帯に住む日本人のSFファンの雑感として、このようなことを書き記してみました。

 

シンガポールで見る007の衝撃

 

関連して、以前ひとつの印象的な出来事がありました。

現在私はシンガポールに住んでいるのですが、住み始めて間もない頃、ふとダニエル・クレイグ主演の007が見たくなり、配信で2006年の映画カジノ・ロワイヤルを見ました。

私は007については特に詳しくはなく、過去のシリーズについては数本見たことがある程度でしたが、多くの方と同じように2012年のスカイフォールに非常に感銘を受け、その後ダニエル・クレイグ主演のシリーズをちょくちょく見ていたのでした。

しかし私はその時、『カジノ・ロワイヤル』を見て、とても驚きました。

急激に、ほとんど啓示のように、007というものを初めて理解したと感じたのです。

 

映画の冒頭、クレイグ演じるジェームズ・ボンドはアフリカ某国でひと暴れした後、ハバナのリゾートにやって来ます。

木々の立ち並ぶ海沿いの道路を走ってたどり着く、西洋風の高級リゾート。世界各国からやって来た富裕な人々が闊歩し、駐車場には高級車が並ぶ。使用人は傅き、労働者は働き、エレガントな装いの人々は優雅に遊び、秘密を弄んで騙し合う。

それは、ちょうど私がその頃、うっすらと身の回りに感じ取っていた世界でした。

西洋によって熱帯に築かれた都市。コロニアル様式の建築と背後に広がる森。優雅な人々と労働者。

シンガポールはイギリス東インド会社の提督トーマス・ラッフルズが建設した港で、マレーシアのペナン、マラッカと合わせて海峡植民地を構成していました。英語を公用語とし、イギリスに留学した中華系の人々を中心に建国された現在のシンガポールにも、イギリスの文化の名残はそこかしこに残っています。

私はこの都市で『カジノ・ロワイヤル』を見て初めて、ジェームズ・ボンド大英帝国そのものの化身であること、ある種の観光映画として映し出されるその冒険の舞台が植民地そのものであること、そして、ボンドが体現する美しさやカッコよさ、エレガンスや美学のすべてが帝国主義から汲み出されていることを、自分の経験と重ねて感じ取りました。

 

私はもともと西洋の美術や芸術に興味があり、派生して映画やデザイン、文学や歴史などのことも素人ながらに学ぶようになりましたが、それら全てが、ここでジェームズ・ボンドが体現しているものと無縁ではないということが、(それなりに知ってはいたものの)この時まざまざと実感されました。

「芸術」や「美」は、帝国の制度であること。

私たちが美しく感じるものは、植民地を前提に成立していること。

もちろんこれは極端な物言いであり、そればかりではないのですが、しかし美術や芸術、文学における「伝統的なもの」について考える際には無視できない観点でしょう。そしてまた、現在の新たな芸術も、伝統と無縁ではありえません。

シンガポールで見る『カジノ・ロワイヤル』は、私にとってはそのような体験でした。その後私はSF小説を書いてみようとするにあたり、このことをよく思い出しています。
 

(記事の下の方に、関連するブックガイドがあります)

 


こちらの記事も、SF小説を書くにあたって考えていることを書いたものです。よろしければご一読ください。

 

創作紹介

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こちらが、上記のようなことを考えつつ書いた、Kaguya Planet「気候危機」特集への応募作です。気候の変化に伴う移住、多文化の衝突、西洋とその外部について。

中高緯度地帯が急速に寒冷化し、人類が赤道付近にこぞって移住するというお話です。混乱に乗じて財を成した主人公は、カトリックの多いボルネオ島北部に旧ラテン諸国民の入植地を作ろうと目論む。しかし信頼していた相棒の日本人青年が姿を消した……

 

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こちらはカクヨムの公式自主企画「百合小説」に投稿した作品です。

毛皮の売買が禁止された近未来、シンガポールを舞台にしたピカレスク・ロマンス。詐欺師のアリスは、ラッフルズ・ホテルでペーパーバックを読んでいた富裕層の令嬢に目をつけ誘惑する。しかし彼女は……

 

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こちらも近未来のシンガポールが舞台。土地そのものの歴史や記憶を鳴らすロックバンドの短いお話です。目抜き通りであるオーチャード・ロードに秘められた歴史、そしてこの貿易都市の起源が、とある楽団の伝説とともに語られます。

 
 

関連ブックガイド

トーマス・ラッフルズによる海峡植民地の成立や、東南アジアを統治する西欧列強と現地勢力が複雑に関係しながらの諸地域の主権の成立などについて。

 

マレーシアのペナン島イギリス海峡植民地のひとつだったが、そこでは多様な民族が入り乱れて交易を行っていた。

 

15世紀以降にオランダがいかに貿易によって世界の覇権を握り、それがどうやってイギリスに移っていったのか。

 

近代日本の成立においてアイヌ琉球はどのような役割を負わされたか。

 

帝国主義のただ中で「文学」そのものを立ち上げた作家たちについての批評。

中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来』 三人のモダニズム作家から読む、「歴史」の書かれかた - もう本でも読むしかない

 

ベルギー領コンゴの姿を活写した近代文学の巨峰。

ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』 植民地政策と密林の恐ろしさを、突き放した視線で描く - もう本でも読むしかない

 

カトリックが支配する近代西欧を描いて、ヨーロッパそのものを問い直す歴史改変SFの傑作。

 

アメリカ大統領と黒人奴隷の恋、というテーマを時空を超えて描く圧倒的小説。

 

日本SFにおける思弁的な植民地性の作家というと飛浩隆かもしれません。

飛浩隆『ラギッド・ガール』 緻密で官能的に描かれた、不可避の暴力についてのSF - もう本でも読むしかない

 

J.G.バラードニヒリズムと倦怠感には、上海生まれの英国人という出自が影を落としてもいる。

J.G.バラードの不毛の癒し 『ミレニアム・ピープル』ほか - もう本でも読むしかない

 

ヨーロッパそのものの姿を抉り出す日本の作家として、佐藤亜紀以上の存在を今のところ知らない。

佐藤亜紀『ミノタウロス』 容赦のない「歴史」の手触り、そして機関銃付き馬車。 - もう本でも読むしかない

 

沖縄を舞台にしたこの芥川賞受賞作も、ポストコロニアルSFと呼びたい。

高山羽根子『首里の馬』 歴史を秘めたものたちの、さりげない配置と交錯 - もう本でも読むしかない

 

急速に近代化するアジアにおける世界の衝突を刻み込んだラブロマンス。

張愛玲「傾城の恋」 近代中国の葛藤を織り込んだ傑作ラブロマンス - もう本でも読むしかない

 

近代日本文学の陰画としての、植民地下朝鮮文学。

李箱『翼 李箱作品集』 植民地下朝鮮のモダニストによる、近代小説の冒険 - もう本でも読むしかない

 

マレー系シンガポール作家による、多民族国家シンガポールのスケッチ。

 

国共内戦に敗れ中国大陸から台湾に渡った人々、残された人々を追ったノンフィクション。台湾最大のベストセラー。

 

ホウ・シャオシェン監督映画の脚本も手掛ける作家による、台北という都市の歴史の地層を掘り返す小説。

 

日本統治下台湾を舞台とした本格ミステリ六大学野球のスカウトにまつわる殺人事件から、秘められた歴史が紐解かれる。

 

岡田温司の主著のひとつ。美と芸術そのものに潜在する政治の姿を丹念に追う。

 

こちらもタイトル通り、美そのものが持つ権力についての大著。

 

多木浩二にも美術と権力を論じた本は多いが、弊ブログで紹介したこちらを。

多木浩二『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』機械と速度を賛美した芸術運動 - もう本でも読むしかない

 

20世紀の思想と前衛芸術は、「非人間的なもの」とどのような関係にあるのか。

 

植民地にまつわる作家と作品に大きな紙幅を割いた現代美術入門。

山本浩貴『現代美術史』 社会の中の芸術、そして国境を越えた「脱帝国の美術史」へ - もう本でも読むしかない

 

ポストコロニアル批評の第一人者スピヴァクの入門編にちょうどいい講演集。インドにとっての英語とは何か。

ガヤトリ・C・スピヴァク『ナショナリズムと想像力』コンパクトな講演録でスピヴァクに入門 - もう本でも読むしかない

 

自由主義・民主主義・立憲主義はともに西欧の産物だが、それを他の世界に広めることについてどう考えるべきか。

樋口陽一『リベラル・デモクラシーの現在』 重鎮が語る、立憲主義の普遍性 - もう本でも読むしかない

 

権力についての思考といえばやっぱりフーコー

 

政治と宗教と芸術の解き難い関係を縦横無尽に語るのがアガンベン

岡田温司『アガンベン読解』 「できるけどやらない」という能力、そして政治の存在論 - もう本でも読むしかない

 

これは短い文章のアンソロジーなのでドゥルーズの中では読みやすい。権力批判としての文芸批評。