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ガヤトリ・C・スピヴァク『ナショナリズムと想像力』コンパクトな講演録でスピヴァクに入門

ガヤトリ・C・スピヴァクを読んでみたいなと思ったので、とりあえず一番薄そうなナショナリズムと想像力』を買ってみた。ブルガリアのソフィア大学における講義が2010年に書籍化したものだ。巻末には聴衆との質疑応答も収録されている。

 

二つの「想像力」

 

ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクはインドのコルカタカルカッタ生まれ。文芸評論、比較文学ポストコロニアル批評、フェミニズム批評の大家で、現在はコロンビア大学で教えている。またデリダの主著『グラマトロジーについて』の英訳者としても有名。この講演録は大変短いものなのでその仕事のごく一端しか知ることはできないだろうが、それでもとても興味深い。

題名となっているナショナリズム「想像力」だが、この想像力には二つの意味がある。ひとつはナショナリズムを成立させるものとしての想像力。もうひとつはナショナリズムを批判するための想像力だ。

著者はナショナリズムを、「記憶を蘇らせることによって構成された集団的想像力の産物」とする。ナショナリズムは過去の記憶を蘇らせ、人々が「母語を愛すること、自分の住む街の一角を愛すること」を利用して、社会の公的領域の支配に繋げようとする

ナショナリズムは、それがどんなものであれ、自分たちは特別な生まれだという私的な確信を持つことによって、二次的派生物ではない私的な──自分の街にいるという──安らぎを足場にすることによって、確保されるということです。

ナショナリズムは人々の私的な想像力を動員するのだ。

そして著者は、「独占せよ、というナショナリズムの魔法を解くのは、比較文学者の想像力です」と続ける。比較文学を専門とする著者は、文学を教えることによって、「ナショナリズムの同一性を超えて、インターナショナルなものの複雑なテクスト性(テクスチュアリティ)に向かっていけるように」することを目指すのだ。それを著者は想像力を「鍛える」ことだという。

 

口承定型詩と「等価性」

 

講演で語られる最も印象的なエピソードは、インドの少数民族であるサバル族の女性たちが歌う口承定型詩に関する部分だ。著者はこの貧しい人々のために教師を養成する仕事をしていた折、彼女らが受け継いできたこの詩が編まれるのを聴いたという。サバル族の女性たちが伝統的な定型詩を歌う中で自在に言葉を置き換える様子に、著者は「創意に満ちた等価性(イクィヴァレンス)」を見る。この等価性という概念が、この講演における「比較文学の想像力」を表わすキーワードだ。

著者は等価性(イクィヴァレンス)をこのように説明する。

等価性というのは、均一にすることではありません。差異を取り除くことでもありませんし、未知のものを既知の枠に押し込むことでもありません。それはおそらく、たとえば自分の第一言語が占めている唯一無二の場所を他のものが占めることができる、そういう認識を学んで手に入れることです。

このことがいかにナショナリズムの批判に関わるかは明らかだろう。

 

帝国の言語


スピヴァクはインド生まれの英文学者である。このことは、イギリスが長きにわたってインドを植民地としてきた歴史と切り離すことができない。スピヴァクにとって英語は支配者の言語なのだ。この講演も、著者が幼少期に経験したインド独立時の混乱についての話から始まっている。また著者の母親は当時、インドと同時に独立した東パキスタン(現バングラデシュ)からの難民の支援に当たっていたという。(インド東部にあるベンガル州が東西に分裂し、東が東パキスタン=後のバングラデシュに、西が著者の出身地コルカタのあるインドの西ベンガル州となった)

最後にこの英語という言語についての著者のコメントを引用しよう。

この協会(英連邦協会)は、アフリカやインドの様々な作品のテクスト分析を尊重する動きを歓迎すべきなのです。こうした動きはいまや、翻訳という問題を超えて、植民地主義によって閉じられていたもの──言語の多様性──を旧英連邦の加盟国が再び開く可能性に向かって進むべきなのです。コミュニケーションの媒体は英語のままでいいでしょう。私たちは利便性を考慮して、英語という植民地主義からの贈り物を受け取ります。しかし、作品はさまざまな言語で書かれ、比較研究されなければなりません。それはまさに、帝国がさまざまなお国言葉で返答してくるということなのです。

スピヴァクは、ナショナリズムを批判する想像力を鍛える第一歩として、母語ではない言語を学ぶことの重要さを強調する。そして彼女にとって言語を学ぶ目的とは、その言語で書かれた美しい詩を読むことなのだ。

 

そのうち読みたい

 

スピヴァクの邦訳は多い。サバルタンは語ることができるか』は代表作の一つだが、「サバルタン」とは「従属的社会集団」などと訳され、支配的な権力構造から様々な意味で疎外された人々を指す。

 

次の一冊

 

日本人によるポストコロニアル的なテーマを含んだ文芸批評で印象的だったのが、この中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来』。著者はヴァージニア・ウルフ、ジョセフ・コンラッド、そしてハイチ革命に関する戯曲『ブラック・ジャコバン』を書いたC・L・R・ジェームズなどを取り上げ、文学における歴史叙述の方法を探る。またC・L・R・ジェームズのパートナーである、70年代の「家事労働に賃金を」運動を先導したセルマ・ジェームズについても多くの記述が割かれている。

追記:記事で紹介しました!

pikabia.hatenablog.com