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張愛玲「傾城の恋」 近代中国の葛藤を織り込んだ傑作ラブロマンス

中国の現代文学を代表する作家

 

張愛玲(ちょう・あいりん/アイリーン・チャン)は、魯迅と並んで中国の現代文学を代表すると言われる作家だ。1920年に上海で生まれ、1944年に初の著書『伝奇』を刊行するやいなや大ベストセラーとなったという。後年アメリカに移住し、その地で息を引き取った。台湾の映画監督アン・リーの映画『ラスト・コーション(色・戒)』の原作者でもある。

2018年に光文社古典新訳文庫から『傾城の恋/封鎖』藤井省三訳で出ており、今回はここに収録された代表作「傾城の恋」を紹介したい。デビューと同年の1943年に発表され、上記の短編集『伝奇』に収録されていたとのこと。

 

さて、古典を読みやすい新訳で届けるのが光文社古典新訳文庫のモットーなわけだが、この本の帯には次のような、大変わかりやすい煽り文句が書いてある。

「被占領下の上海と香港 バツイチのお嬢様✕プレイボーイの青年実業家 プライドを賭けた恋の駆け引き」

これだけ見ると一体どんなラノベなんだという感じがするが、実際「傾城の恋」はこの通りのラブロマンスなのだ。文章には常にユーモアがあって確かに軽妙でもある。しかし軽妙なだけではなく、文中には中国の古典や故事が典雅に引用されもするし、また歴史小説としての重厚さも持ち合わせている。

この小説は文学史に残る傑作とされ、そして同時に多くの人々に読みつがれるベストセラーでもあるという、稀有な小説のひとつなのだ。

 

令嬢と資産家の、優雅だが真剣な駆け引き

 

(※中盤までのネタバレがあります! ここまで読んで「面白そう!」と思った方は先に本編を読むのもアリです)

舞台は1940年代の上海。物語の主人公は白流蘇(バイリウスー)。没落した旧家の一員で、一度は結婚したものの、離婚して大家族が住む家に戻って来ている。彼女の兄たちや義姉たちは出戻りした妹を一族の恥と思っており、彼女の財産を横取りした上に投資で失ってしまっていた。

まずはこの旧家の描写が圧巻だ。清朝から続く家柄の彼らは没落しつつもプライドは高く、かつての栄華の記憶の中に生きている。投資や家族の結婚で一攫千金を目論みつつ、気にするのは世間体のことばかり。大家族が住む広い家のバルコニーで、次兄が弾く胡弓の音が寂しく響いている。流蘇はどうにかしてこの鬱屈した家を出たいと思っている。

そんな一家に朗報が届いた。マレーのゴム園を経営する資産家の華僑、范柳原(ファンリウユァン)と末娘が見合いをすることになったのだ。色めき立って出かける一家だったが、そこで思わぬ番狂わせが起こる。柳原は、同行した流蘇を見初めてしまったのだ。

 

ここからは怒涛の展開である。柳原は策略を駆使して流蘇を香港に呼び寄せ、そこで華麗な生活が始まるのだ。英領である香港に舞台を移して描かれるのは、それまでの中国旧家の様子からは一変した、西欧化された中産階級の世界である。

二人が滞在するのは、浅水湾(レパルス・ベイ)の瀟洒なリゾートホテル。昼はビーチや映画館、夜は香港ホテルのダンスホールへ繰り出す二人。さらにはインドの王女サーヘイイーニまで登場し、柳原との関係を匂わせる。

そのようなゴージャスな舞台装置で描かれるのは、恋と尊厳を秤にかけた駆け引きだ。
資産も力もあるイギリス育ちの柳原は、「本物の中国人女性」と讃えながら流蘇に惹かれるが、結婚するつもりはない。一方の流蘇は愛人の立場に甘んじることをよしとせず、柳原の都合のいいアプローチを躱し続ける。

 

二人はその場で仲直りして、夕食を共にすることにした。流蘇は表向きは彼と親しげにしていたが、心の内では悩んでいた。彼が彼女に焼き餅を焼かせるのは、挑発策にほかならず、彼女が自ら彼の胸の中に身を投じるように迫っているのだ。彼女は彼と深い仲にならぬように努めてきたというのに、これをきっかけに彼と良い仲になったりすれば、自らをむざむざと犠牲にするだけで、きっと彼は感謝するどころか、彼女が自分の策にはまったと思うだけだろう。夢にも彼が彼女を妻として迎えてくれるなどと考えてはならない。明らかに、彼は彼女を必要としているが、彼女と結婚する気はない。しかし彼女の家は貧乏とはいえ、名家であり、家族はみな顔が広く、柳原にはそこを押して誘惑姦通の罪名を背負う覇気はない。そこで彼はフェアプレーの態度を取ることにしたのだ。彼の潔癖な振る舞いがまったくの偽りであることを、彼女は今や十分承知している。彼は常に責任逃れを考えているのだ。将来もしも捨てられても、彼女は誰も恨むわけにはいかない。
流蘇はここまで考えると、思わず歯ぎしりして、悔しさのあまり呻いた。それでも体面を保つためにこれまで通り彼と適当に付き合うことにした。

(張愛玲「傾城の恋」より)

 

特に中国文学に詳しくはないので想像だが、それまで中国にこのようなことが書かれた小説は無かったのかもしれない。現在では張愛玲の作品は、中国におけるフェミニズム文学の先駆とされることもあるという。

この「傾城の恋」には、新旧・東西の様々なもののぶつかり合いが描かれている。中国と西欧。上海の旧家とイギリス帰りの実業家。伝統的な家族制度と近代的な自由恋愛。誰かに尽くすことと、自由で誇り高くあること。1940年代の上海と香港とは、まさにそのような価値観のせめぎ合いの場であり、さらにこの小説はその対立と葛藤を、波乱万丈のラブロマンスとして仕立て上げているのだ。

そしてもちろん、ここに描かれたような価値観や立場の対立は、現在の我々の世界にとってもいまだ馴染み深いものである。この小説が読み継がれる所以だろう。

 

このように優雅だが真剣な恋の駆け引きを演じる二人だったが、しかし小説の終盤、歴史は大きく転回する。1941年、日本軍による香港への侵攻である。街はあえなく破壊され、二人は半ば廃墟となった香港での不自由な生活を強いられるのだ。

先に述べたような価値観の対立を構成する秩序は崩壊し、剥き出しの世界の中で二人は向き合うことになる。

そうして最後に明らかになる「傾城の恋」というタイトルの意味は、ぜひ自分の目で確かめてほしい。

 

そのうち読みたい

 

こちらは2017年に岩波から出た短編集ですが、残念ながらすでに古書でしか買えないようです。

 

次の一冊

 

張愛玲と双璧をなす中国現代文学の巨匠が魯迅ですが、同じ光文社古典新訳文庫から同じ藤井省三訳で出ています。もし両方読むなら、魯迅→張愛玲の順に読んだ方が近代化による急速な時代の変化を感じられるかもしれません。

 

張愛玲の小説を台湾の映画監督アン・リーが映画化したもの。傑作だと思いますが、こちらはとても「ラブロマンス」などとは呼べないような辛く残酷な話ですのでご注意ください。