もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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J.G.バラードの不毛の癒し 『ミレニアム・ピープル』ほか

J.G.バラードは何も信じてないから信用できる

 

イギリスのニュー・ウェーブSFを代表する作家とよく言われるジェームス・グレーアム・バラードことJ.G.バラードは私の一番好きな小説家の一人なのだが、どこが好きかと言われると説明しづらい。

SF作家ではあるものの、時代を追うごとに小説の舞台が現実の世界に近づいて、出来事も特にSFではなくなってくる。(この辺はウィリアム・ギブスンもそう)

たぶん一番有名なのは世界がどんどん結晶化していく結晶世界(1966年)だと思うが、その数年後のクラッシュ(1973)ではすでに単なる交通事故に興奮する人の話になってるし、最近トム・ヒドルストン主演で映画になったハイ・ライズ(1975)も単に高層ビルに住んでる人が排他的なコミュニティを作るだけの話だ。もちろんそれが好きなのだが。

とにかくバラードの小説を読んでいると深い安心感を覚える。それはたぶん、作者が何も信じていないということに関する安心感だ。読者である自分がいまいち信じられないような価値や概念をフィクションの作者が信じていると感じると、だいたいの場合は白ける。バラードは私にとって、そのリスクが最も低い作家なのだ。

 

バラード小説の怪しい天才たち

 

バラードの現代小説の舞台は晩年になればなるほど現在に近づいて来るので(当たり前だが……)、晩年の作品ほどリアルな感触で読めるという特徴がある。

ここでは最晩年の長編『ミレニアム・ピープル』(2003年・単行本『千年紀の民』を文庫化の際に改題・創元SF文庫・増田まもる訳)を紹介しよう。

 

 

主人公の精神科医デーヴィッドは空港で発生したテロによって前妻が死んだのを知り、その首謀者に近づく。

首謀者である小児科医グールドは、バラードの長編によく出てくる、怪しくて狂ってるけど魅力的な天才だ。バラードのだいたいの長編は、語り手が怪しい天才と出会って戸惑いながら魅了される話なのだが、今回もデーヴィッドはグールドに惹かれていく。

そしてこれもバラードの小説の定番だが、ここで企まれているテロにはほとんど具体的な目的がない

バラードの小説には政治的・具体的な目的を持った人間はほとんど出て来ない。怪しい天才たちは、己の欲望や美学、そしてそれを裏付ける絶望や虚無を表現するために暗躍するのだ。

「現代人は自分が好きではない。われわれは前世紀の不労所得者階級の生き残りだ、すべてを容認するが、自由の価値はわれわれを受動的にするように設計されていることを知っている。神を信じていると思っているが、生と死の謎を怖がっている。とことん自己中心的だが、有限な自己という考えに対処できない。進歩と理性の力を信じているが、人間の性質の暗黒面にとりつかれている。セックスに執着しているが、性的想像を恐れており、巨大なタブーに守られなければならない。平等を信じているが、底辺層を嫌悪している。自分のからだを恐れ、なによりも、死を恐れている。自然における偶然の産物にすぎないが、宇宙の中心だと思い込んでいる。忘却界の数歩手前にいるにすぎないが、ひょっとしたら自分だけは死なないのではないかと思っている……」
「そしてそのすべてが……二十世紀のせいだと?」(J.G.バラード『ミレニアム・ピープル』第17章)

 

次の一冊

 

初期バラードは「終末三部作」「破滅三部作」などと呼ばれる作品群で有名だが、そのうちひとつが『結晶世界』(あと二つは沈んだ世界旱魃世界)だ。

主人公の医師サンダースは、カメルーンの港で腕が水晶化した死体を見つける。彼は謎を解くためにジャングルに入っていくが、そこで世界全体が結晶化する兆しを見ることになる。

バラードの終末ものには、基本的にはカタルシスみたいなものはない。読者はただただ、世界がどんな風に静かに滅びていくかを見せられるだけである。

 

 

 

その後バラードは、「テクノロジー三部作」と呼ばれる長編を書く。そのうちひとつが『クラッシュ』だ(あと二つはハイ・ライズコンクリート・アイランド)。

語り手はヴォーンという男と知り合う。この男は交通事故の写真を収集し、女優エリザベス・テイラーとの衝突事故を夢見るすごい奴であった。

ヴォーンと付き合ううちに、語り手はどんどん現代都市のやばい面にはまっていく。これ以降のバラードは、だいたい現代都市のやばい面を書き続けることになる。

 

 

 

なお『旱魃世界』と『コンクリート・アイランド』は未読です。

ちなみにバラードは短編も多く書いており、短編には長編とはまた違った味わいがあり、そちらも大好きだ。別の機会に紹介したい。

※追記:短編も紹介しました!

pikabia.hatenablog.com

 

そのうち読みたい

 

こちらの『ハロー、アメリカ』(創元SF文庫・南山宏訳)は2018年に文庫化されたもの。22世紀が舞台で、探検隊が船で砂漠化したマンハッタンに上陸する話らしい。面白そう。2017年にネットフリックスでのドラマ化が発表されたようだが、今のところ続報は無いようだ。

 

 

 

※宣伝

2023年9月に開催された「第三回かぐやSFコンテスト」に投稿した短編SF小説が、選外佳作に選ばれました。近未来のパリを舞台としたクィア・スポーツSFです。

pikabia.hatenablog.com

こちらはカクヨム公式企画「百合小説」に投稿した、ポストコロニアル/熱帯クィアSF。

kakuyomu.jp

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