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多木浩二『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』機械と速度を賛美した芸術運動

未来派」についての数少ない入門書

 

未来派をご存知だろうか。20世紀初頭のイタリアで起こった前衛芸術で、急速に発達する工業化・都市化・機械化を反映した総合的(詩・絵画・彫刻・建築・音楽含む)な芸術運動だ。後続するダダシュルレアリスムロシア・アヴァンギャルドといった前衛芸術の先駆けとなった運動であり、また政治的にはファシズムと結びついたことでも知られる。

今回紹介する多木浩二未来派 百年後を羨望した芸術家たち』は、2011年に没した著者の残した原稿を編纂し、各種の資料と図版を収録して2021年に刊行された豪華版書籍である。(残念ながら図版はモノクロではあるが)

 

日本では未来派を紹介する本がほとんど刊行されておらず、美術史・芸術史の本、とくに20世紀の前衛芸術を扱う本の中に少し話が出てくる程度なので、このようにまとまった本が出るのはとてもありがたい。

収録されている原稿は多木浩二が雑誌「大航海」に2004年から2009年に連載した「未来派という現象」と、2003年に刊行された講義録『映像の歴史哲学』のうち一章「未来派 二十世紀を考える」(今福龍太との対談形式)。これに未来派メンバーの写真や作品、当時の雑誌や新聞紙面などの各種図版、さらに当時発表された未来派の宣言文が多数収録されている。

なお出版元のコトニ社は2019年に設立された小出版社で、他にも興味深い本をいろいろ出している。

出版社 | コトニ社 Kotonisha | 日本

 

機械と速度の賛美

 

未来派の始まりは1909年、創立者でありアジテーターであり、詩人であり、さらには自身がパトロンでもあったという特異な人物、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティによる未来派創立宣言」の発表からである。ミラノで詩人として雑誌を創刊して活動していたマリネッティがフランスの新聞「フィガロ」に発表したこのセンセーショナル宣言に多くの芸術家たちが呼応し、そこから未来派という運動が生まれたのだ。

未来派ついて多少なりとも知っている人は、次の有名なフレーズも知っているかもしれない。いわく、「レース用の自動車……機関銃掃射しながら走るような吠える自動車は、サモトラケ勝利の女神より美しい」。かの「サモトラケのニケ」よりもレーシングカーの方が美しいと断言するこの言葉に顕著なように、未来派の美学とは、一言で言えば機械と速度の賛美である。

 

マリネッティは二十世紀という時代には新たな美学、新たな芸術が必要と考え、伝統ある過去のそれを否定し、急速に進む都市化と工業化の時代に対応した美学を提唱した。そこでは「危険」「エネルギーと無謀さ」「勇気、大胆さ、そして叛乱」「攻撃的な運動、熱に浮かされた不眠、駆け足、宙返り、張り手、そして拳」などが賛美・賞賛され、これに先ほどの「レース用の自動車」が続く。伝統的な価値観からすれば破壊的で攪乱的だとされる行為や性格が全て、美しいものとして称揚されるのだ。

このような美学の提示は多くの若者の心を捉え、未来派の旗のもとに集まらせた。マリネッティの宣言は、多くの人々が潜在的に持っていた時代感覚を具現化したものだったのだ。そのようにして集まった芸術家たちによって、革新的な絵画、彫刻、音楽、建築などが生まれていく。

 

しかしこの宣言の中で、ひとつの当然の帰結として、マリネッティは戦争を、そしてナショナリズムを賛美することになる。「われわれは唯一の衛生である戦争、軍事主義、愛国主義(中略)を賛美したい」というこの文面は、当時のイタリアという国の事情にも関係がある。19世紀の後半まで統一された国家としての形を持たず、工業化と資本主義化も遅れていたイタリアでは、新興のブルジョワ階級による破壊的な変化の機運が高まっていたのだ。

事実、戦争をも賛美した未来派の芸術家たちは第一次世界大戦に従軍し、そこで最も重要な二人──ウンベルト・ボッチョーニとアントニオ・サンテリア──を失うことになる。そして戦後、マリネッティムッソリーニに接近していくのである。

 

「宣言」という新しいスタイル

 

このような経緯を辿った未来派だが、結局のところ、未来派が遺したものの中で最も有名なのは個々の芸術家やその作品ではなく、マリネッティの「未来派創立宣言」そのものだろう。未来派のアーティストを一人も知らなくても、マリネッティによる前述の、レーシングカーはサモトラケのニケよりも美しいとするフレーズを知っているという人は多いはずだ。

本書によれば、マリネッティがこの宣言を新聞で発表した時点では、未来派の作品はひとつも生まれていなかったという。つまり作品より先に宣言があるのだ。

にもかかわらずこの宣言は世界的に知られることになり、多くの詩人や芸術家がそのメッセージに賛同し、やがて未来派という芸術運動が生み出された。マリネッティという人物は、歴史上初めての、マスメディアを利用した芸術の扇動者だったのだ。

 

おそらく未来派の生みだしたもののなかでもっとも重要なのは、実際の芸術に先行する「宣言」という形式であろう。それはすでにあたらしいひとつのジャンルであった。マリネッティはそのことを意識していた。

(中略)

未来派は、アヴァンギャルドであり、ある意味では充分に秘教的で、反ブルジョワ的であることを強調しながら、この形式は大衆の要望に応ずるものであったのである。これは未来派につきまとった矛盾であるが、それ以後、あらゆる芸術が逃れることのできない矛盾でもあった。未来派は現代が抱え込む矛盾を極限化したものであった。

(「第一章 未来派という現象 5 宣言」より)

 

ある意味では、この点こそが未来派という運動のもっとも現代的な部分かもしれない。

 

未来派と二十世紀

 

多木浩二は、二十世紀の最初に生まれ、単に芸術だけでなく社会そのものを変革しようとした未来派という運動に、二十世紀という時代そのものについて考える手がかりがあるという。それこそが、著者がこの芸術運動にこだわる理由であり、私たちが未来派のことを知る意味でもあるのだろう。

未来派を知ろうとすれば、芸術そのものだけでなく、当時の社会、歴史、思想、そして機械と戦争とファシズム、それら全てのことについて考えざるを得ない。未来派とはそんな芸術運動である。
 

ファシズムと結びつくという政治的な面も含め、未来派は単なる芸術運動の宣言ではありませんでした。 たとえばキュビスムというのは純粋に芸術運動です。それに比べて未来派というのは、社会全体を変えてしまいたい、という衝動のあらわれだったのです。そういった衝動がいったいどこから出てきたのか。いろいろ分析すると、二十世紀がそのあと引きずっていく第一次世界大戦、そして第二次世界大戦、そして戦後というカタストロフィのなかに未来派が存在していることが分かってきます。

(中略)

二十世紀の人間は、取り返しのつかない大失敗をいくつもしてきました。ファシズムやナチズムが、ある時期に猛烈な勢いで悪事をはたらき、やがて崩壊した。ロシア革命も崩壊した。そして資本主義がものすごい勢いで発展しました。これはいまグローバリゼーションという言葉でいいあらわされておりますが、この資本のグローバル化も私たちにとっていいことなのかどうかは非常に疑問です。こうした数多くの失敗の起源となるようなものを、未来派は非常にプリミティヴなかたちでもっていたのです。

(「第三章 機械・ファシズム、そして人間」より)

 

未来派の作品

 

未来派を代表する画家にして彫刻家、ウンベルト・ボッチョーニの作品。速度と運動を重視した未来派らしい彫刻。

ja.wikipedia.org

 

未来派を代表する建築家、アントニオ・サンテリアによるスケッチ「新しい都市」彼は第一次大戦で若くして戦死したため、そのプランが実際に建築されることは無かった。

commons.wikimedia.or

 

未来派の画家ジャコモ・バッラの「鎖に繋がれた犬のダイナミズム」。タイトル通りの絵です。

en.wikipedia.org

 

次の一冊

 

多木浩二の本をこれまでに二冊紹介していますので、合わせてどうぞ。

pikabia.hatenablog.com

pikabia.hatenablog.com

 

 

こちらは多木浩二による、やはり二十世紀の前衛芸術について書かれた論集。未来派のほかに、デ・キリコ、ロシア構成主義のエル・リシツキー、メキシコの建築家ディエゴ・リベラ、建築家のリーベスキントや伊東豊雄まで。

 

未来派に続いて現れたダダ、そしてシュルレアリスムについてはこの本をどうぞ。(私はもともとこの本で未来派のことも知ったかもしれない)

 

こちらは未来派の時代より後の、イタリアの芸術と政治のかかわりについて。イタリアでは同じ全体主義国家だったナチス・ドイツと違い、前衛芸術が政権による統制の対象となりませんでした。