もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

,

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』 個人と都市の記憶が静かに交錯する詩的な小説

韓国の国際ブッカー賞作家による、断章形式の小説

 

1970年生まれの韓国の小説家ハン・ガン(韓江)は、2005年の代表作菜食主義者によって、韓国で最も権威ある文学賞と言われる李箱文学賞、および2016年の国際ブッカー賞を受賞した作家だ。

今回紹介する『すべての、白いものたちの』は2016年の作品で、2018年に斎藤真理子による日本語訳が出ている(2023年に文庫化)。またこの作品もブッカー賞にノミネートされている。

 

大げさな感じの書き出しになったが、しかしこの小説の内容は、一見したところでは非常にシンプルなものだ。読む人によってはエッセイのように思うかもしれない。

この小説は断章形式で書かれており、ごく短い文章の集積で成り立っている。そしてそれぞれの断章には、いずれも「白いもの」の名前が題名として付けられているのだ。

例えば、雪、霧、窓の霜、おくるみ、ろうそく、翼……などなど。

また断章の間には、時おり写真も挟み込まれている。

 

これらの断章において語られることは、大きく分けて二つある。

ひとつは、生後すぐに死んでしまったという、作者と思しき語り手の姉についてだ。語り手は両親から聞いた、早産のために生後二時間ほどで息を引き取ったという姉のことを考え続ける。語り手は、自分自身の生と、会うことのなかった姉の生とを深く結びつけている。

もうひとつは、ポーランドワルシャワであるらしい都市での生活と、そこで見聞きされること。ワルシャワは第二次大戦の際にその旧市街のほとんどが破壊され、後に再建された都市であり、その記憶が都市のあちこちに見出されていく。

 

それぞれの断章は、ある時は1ページに収まるほど短く、ある時は数ページほどの長さになる。

描写は時に詩的で、また時には散文的だが、そこで書かれることが抽象的なイメージに終始することはあまりないと感じる。どんなに詩的な描写であっても、そこで書かれていることは飽くまでも具体的な体験や、事実に関するものごとのように思える。

 

みぞれ

生は誰に対しても特段に好意的ではない。それを知りつつ歩むとき、私に降りかかってくるのはみぞれ。額を、眉を、頬をやさしく濡らすのはみぞれ。すべてのことは過ぎ去ると胸に刻んで歩むとき、ようやく握りしめてきたすべてのものもついには消えると知りつつ歩むとき、みぞれが空から落ちてくる。雨でもなく雪でもない、氷でもなく水でもない。目を閉じても開けていても、立ち止まっても足を速めても、やさしく私の眉を濡らし、やさしく額を撫でにやってくるのはみぞれ。

 

ろうそく

そんな彼女がこの都市の中心部を歩いていく。四つ角に残された赤れんがの壁の一部を見ている。爆撃で倒壊した昔の建物を復元する過程で、ドイツ軍が市民を虐殺した壁を取りはずし、一メートルぐらい手前に移したのだ。そのことを記した低い石碑が立っている。その前には花が手向けられ、たくさんの白いろうそくが灯っている。
明け方のそれのように濃くはないが、半透明のトレーシングペーパーのような霧がこの街を包んでいる。突然強風が吹きつけて霧を取り払ったなら、復元された新しい建物の代わりに、七十年前の廃墟が驚いて姿を現すかもしれない。彼女のまぢかに集まっていた幽霊たちが、自分たちが殺害された壁に向かって忽然と身を起こし、らんらんと目を燃やすのかもしれない。
しかし風は吹かない。何ものも、おののきつつ現れはしない。溶けて流れるろうの雫は白く、また熱い。白い芯を燃やす炎に自らを徐々に委ねて、ろうそくは短くなってゆく。徐々に消えてゆく。

 

薄紙の白い裏側

恢復するたびに、彼女はこの生に対して冷ややかな気持ちを抱いてきた。恨みというには弱々しく、望みというにはいくらか毒のある感情。夜ごと彼女にふとんをかけ、額に唇をつけてくれた人が凍てつく戸外へ再び彼女を追い出す、そんな心の冷たさをもう一度痛切に確認したような気持ち。
そんなとき鏡を見ると、これが自分の顔だということになじめなかった。
薄紙の裏側の白さのような死が、その顔のうしろにいつも見え隠れしていることを忘れられなかったから。
自分を捨てたことのある人に、もはや遠慮のない愛情を寄せることなどできないように、彼女が人生を再び愛するためには、そのつど、長く込み入った過程を必要とした。

(以上全て『すべての、白いものたちの』より)


 
 
この小説の中では、さまざまな「白いもの」に導かれた、生きることや、すでに死んでしまったものに関する思索が静かに語られる。それらは淡々としているが、研ぎ澄まされた力強さがあり、強く印象に残る。

ワルシャワという特別な都市の歴史から語り手が導き出す思考と、語り手自身の歴史が、付かず離れずの距離を持ちながら語られ、それらが透明な薄い層のように積み重なっていくような本だと思う。

 

3章構成の秘密

 

上記のような印象を持ちながらこの本を読み終わった私だったが、翻訳者の斎藤真理子による「補足」を読むと、3章からなるこの小説の構成に関して、意外な事実が書いてあった。

(なお訳者はこの「補足」について、「本書を未読の方はぜひ、お読みになってからこの文章にアクセスしてくださいと、お願いしたい」と書いている。ここでその内容を詳述することはないが、まっさらな状態で読みたい方は以下の部分は飛ばしてもらいたい)

 

訳者は「著者は、この転換と章構成についての秘密について教えてくれた」と書いている。その「秘密」とは、実際には作中にきちんと示されていることなので、注意深く読んだ読者であればおのずと了解されたことかもしれない。

この「補足」により、本作の構成に関するちょっとしか仕掛けを知った後で本文を読み返してみて、私はとても驚いた。いくつかの断章について、その意味することが突然、明確に理解できたように思えたのだ。

恥ずかしながら私は、3章に分割されて配列された断章を、単にゆるやかに繋がりあったものとして読んでいた。しかしそこに隠された構成(実際には特に隠されているわけではなく、繰り返すが注意深く読んでいれば最初から読み取れるかもしれないものだ)を知った時、その全体から受ける印象は大きく変化し、その時、この小説の企みのようなものを初めて知ったように思えた。

これはとても鮮烈な、小説ならではの体験だったと思う。もともと、何度も読み返したくなるような断章がいくつもある本だと思って読んでいたが、ぜひ最初から通して読み返したい。
 

次の一冊

 

河出文庫は韓国文学を精力的に刊行しているが、これもその一冊。1970年代の韓国における過酷な社会状況を背景とした連絡短編集。こちらも斎藤真理子訳。

 

これも斎藤真理子訳だが、時代はかなり遡って日本統治下の1930年代に書かれた近代文学。なおハン・ガンが受賞した韓国の権威ある文学賞、李箱文学賞はこの作家の名前から取られている。過去に紹介しました。

pikabia.hatenablog.com

 

そのうち読みたい

 

ハン・ガンの国際ブッカー賞受賞作がこちら。韓国文化の紹介を専門とした出版社クオンより。