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川野芽生『Blue』 割り当てられた性と、社会と、自分自身についての対話たち

歌人でもある新鋭の芥川賞候補作

 

川野芽生『Blue』は雑誌『すばる』2023年8月号「トランスジェンダーの物語」特集における発表当初から話題となり、芥川賞候補ともなった小説だが、作者のキャリアはこの前置きからすれば少し意外なものかもしれない。

作者の最初の本は歌集で、第29回歌壇賞を受賞した短歌を収めた2020年のLilith。そして次に刊行された『無垢なる花たちのためのユ-トピア』は、皆川博子がコメントを寄せる幻想文学の短編集だ。初の長編『奇病庭園』幻想文学寄りのもので、もともとは歌人かつ幻想文学の新鋭として知られていたことになる。

今回紹介する『Blue』は、日本のいわゆる「純文学」、つまり芥川賞三島由紀夫賞にノミネートされるタイプのスタイルとフォーマットで書かれた小説だが、例えば作中作として登場する舞台「姫と人魚姫」の脚本に用いられた文体などは、作者の幻想文学作家としての側面を伝えるものでもあるだろう。

 

(中盤までの内容に触れています)

今回紹介する『Blue』の舞台となるのは、まずは高校の演劇部。主人公の真砂をはじめとする部員たちは、アンデルセンの童話「人魚姫」を独自に翻案した演目を計画している。脚本担当として部外から連れて来られた滝上ひかり(通称「先生」)によるアイディアは、人魚姫が人間の王女に恋をするというものだった。主人公であり、出生時には男性という性別を割り当てられたものの学校では女性として生活している真砂は、この劇で人魚姫役を自ら希望する。

小説の前半は、演劇部員たちによる、この「人魚姫」についての会話がほとんどだ。先の二名の他に部長で演出を担当する宇内、王女役の水無月、魔女役の栗林といった面々が、時には原典の人魚姫について、そして翻案となる自分たちの人魚姫の物語について考え、意見を交わしながら演劇を作り上げていく。

原典における王子のポジションを王女に変更し、その王女に恋する人魚姫の物語を作り上げていく過程で、部員たちの対話はおのずと恋と愛情、そしてジェンダーと権力についてのものとなる。そしてそれに重ねられるように、出生時に割り当てられた性とは別の性を生きようとする真砂のこれまでの人生が描写される。

 

そして小説の後半は、前半で語られた時期から二年後、高校を卒業している部員たちが、「姫と人魚姫」の再演計画をきっかけに再び集合するところから始まる。

部員たち前に久しぶりに現れた真砂は、今では眞青(まさお)と名乗り、女性として生きようとすることを辞めていた。

その理由となった出来事や変化は、ひとつではない。それは例えばコロナ禍における医療機関の停止であり、親の態度の微妙な変化であり、そして大学に入って出会い、主人公にとって非常に重要な存在となった、ある他者の存在である。

そしてまた主人公に決断を強いるものは、日本の具体的な医療保険制度であり、また慣習的な就職のシステムであり、ひいては心理的でも経済的でもある社会規範(とされるもの)の全体だ。

そのような真砂=眞青の痛みに満ちた変化が語られながら、それを受け止める演劇部員たちそれぞれの現在の姿も、また切実なものとして描かれていく。

 

(以下の引用部分は、主人公・真砂に対して同級生の宇内が乳房切除手術に関して訊ねるシーン。またここに登場する「先生」は、教師ではなく同級生の通称)

ひそかに収集してきた知識を一気に並べようとする真砂を手で制して、宇内は俯いたま言った。
「性別違和? があるというわけでは多分ないんだ。いやわからないけど、男になりたいというのとは違うんだと思う。ただ自分の体が嫌いというか、自分のものに思えないだけ」
「……手術できたとしたって、うだはきっと血が怖くて泣いちゃうよ」
真砂が慰めにならないことを言うと、宇内は少し顔を上げて恥ずかしそうに笑った。
「自分のこと女だと思ってるかどうかは確信がないんだけど」
「うん」
「俺が男だったら、ひいちゃん先生の隣にいられなかったと思って」
「うだが男か女かなんて先生は気にしないでしょ」
「俺が気になるの。ひいちゃん先生の隣に男がいたら、解釈違いだなって」
「拗らせたオタク」
真砂が揶揄う。
「隣にいるのが男だったら、先生が勝手に〈女の子〉って枠に閉じ込められちゃう気がして」
「先生は大人しく閉じ込められてないと思うけど」
「うん、でも、自分の存在が相手の邪魔になるかもしれないの、怖いから、近付けなかったかもなって思って。だから自分は女でよかったと思ってて」

 

(以下の引用部分は、主人公の真砂=眞青が、再演する舞台への出演を断るシーン)

「そういうわけだから」と眞青は話を戻す。「わかったでしょ。演劇祭の件は協力できなくてごめん」
そう話を切り上げようとすると、
「それは話が別じゃないの?」
滝上は食い下がってきた。
「女子として生活してなくても、舞台上では関係ないだろ。高一の時から、眞青は女の子の役をやってたんだろ。日常では男を演じてる女が女を演じる。その時と同じだろ」
「先生はその舞台見てないでしょ。あの時とは身体も随分変わっちゃったし──」
「関係ない。男として暮らしてる男が女を演じたり女として暮らしてる女が男を演じたりもし てるんだよ」
「……考えておく」
あの時、人魚姫の役を演りたかったのは、ほんとうは脚本が気に入ったからでも、人魚姫に共感したからでもなかった、と眞青は思う。 自分は、ヒロイン役を勝ち取って、証明したかったのだ。自分が〈女の子〉であることを。文句のつけようのない、完璧な〈女の子〉であることを、認めさせたかったのだと思う。

 

 

この短い小説の中で、とても多くのことが書かれているように思える。

それはもちろん主人公が直面せざるを得ない様々な事柄であり、また状況や事情は違えど同じように思い悩みながら生きている周囲の若者たちの姿であり、また現在の私たちが生きる社会の制度と慣習と権力の有様である。

それらの要素はアンデルセンの「人魚姫」、作中作の「姫と人魚姫」、さらには主人公がSNSに書きつける言葉、そして滝上がネット上に発表している小説などを焦点にして結び付き合っている。

そして何より、この小説の中に描かれた様々な問題は、互いを思いやり、理解しようと努める演劇部員たちによって交わされる会話の中にあらわれる。

 

今のところ私は、この小説の出来栄えや、あるいは意義などについて何かを言う気持ちにはなれない。ただ一人でも多くの読者に、この新しい青春小説を読んでもらいたいと思う。

 

次の一冊

読者によっては、この小説における、トランスジェンダーを取り巻く状況について語られる部分を説明的だと感じる人もいるかもしれない。しかしそれは、そのような知識がいまだ十分に普及していないという現実的な事情が要求したことだと思われる。

ベストセラーとなった本書もまた、同じ事情からくる必要性によって書かれた本だと思う。

 

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