もう本でも読むしかない

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渡辺範明『国産RPGクロニクル』「ゲーム」という出来事を多角的に語る挑戦

ラジオ「アトロク」発のドラクエ・FF史

 

 

渡辺範明『国産RPGクロニクル』は、ラジオ番組「ライムスター宇多丸のアフター6ジャンクション」における、著者自身による人気シリーズを書籍化したものだ。著者の渡辺範明はアナログゲームメーカー「ドロッセルマイヤーズ代表であり、ゲームプロデューサー/デザイナーとして多くのアナログゲームを製作するほか、上記ラジオでは他にコンピューターゲームや特撮、玩具など幅広い分野に関する特集に出演している。

中でも本書の元になった特集は、ドラゴンクエストドラクエ)」と「ファイナルファンタジー(FF)」という、日本のコンピューターRPGロールプレイングゲーム)を代表する2シリーズの歴史を辿るというもので、特に大きな反響を呼ぶものとなった。

 

著者は「ドラクエ」「FF」という両タイトルについて考えることは、単にコンピューターRPGについて考えることにとどまらないという。

日本のポピュラー・カルチャーにおいては、欧米由来のハイファンタジーとは異なるタイプの、剣と魔法の西洋風ファンタジーが隆盛を極め、現在ではそれが世界各国へと盛んに輸出されているわけだが、そのような「和製西洋ファンタジーを形作ったものこそがこの2タイトルなのだ。

この本では米国におけるコンピューターRPGの誕生から話を始め、日本におけるドラクエ前夜の状況を経て「ドラクエ」「FF」両タイトルの成立と発展を、直近のプレイステーション4時代まで追っていく。読者は対照的なスタイルを持つ両シリーズの特徴やその制作過程、シリーズを重ね新たなゲームハードに移っていく上での技術的進歩とシステム上の挑戦、そしてその中で語られる物語について、年代記のように読むことができるだろう。

(なおオンラインゲームである「ドラクエ10」「FF11」「FF14」は、他の作品と全く異なる文脈のゲームであるため本書の話題からは除外されている)

 

ゲームを語ることの難しさ

 

(以下、煩雑を避けるため、「コンピューターゲーム」のことを単に「ゲーム」と記す)

さて、ゲームというのは語るのが難しいジャンルである。文化として歴史が短く、批評のスタイルが確立していないという部分もあるが、それ以前にゲームというものが非常に多くの側面を持つジャンルであり、その全てに目配せするのが難しいということが大きな理由かと思う。(実際には他のジャンルもそうなのだが……)

まず第一に、「ゲーム」である以上、ルールとシステムが存在し、その巧拙が問われる。そこではプレイヤーにとっての具体的なプレイ体験が問題になり、「面白い/面白くない」「ハマる/ハマらない」といった身も蓋もない質が問われるだろう。

第二に、それはマスプロダクトとしてのゲーム機用ソフトウェアであり、特に後年においてはその制作・販売には大規模な予算と時間が割かれ、企業の主力商品として開発される。

そして第三に、これは本書の主要テーマのひとつでもあるが、ゲームの中でも特にRPGというジャンルは「物語」を表現する。ここにおいてRPGは小説や漫画や映画と同じように、そこで表現される物語を評価されるものとなる。

 

以上、ゲームを構成する要素をひとまず三つ挙げてみたが(実際には他にもあるだろう)、これら全てに目配せをしながらゲームについて語るのは簡単ではない。それゆえ、ゲームについての言説は、しばしば単にプレイ体験の思い出語りになったり、単に業界論やマーケティング論になったり、あるいは単に文芸批評のようなものになったりする。

本書『国産RPGクロニクル』はまず何よりも、以上のような多くの側面を、いずれもゲームにとって不可欠の要素として余さず語ろうとしている本である。システムやルールだけを語るのも、販売戦略や売上だけを語るのも、そこで表現される物語だけを語るのもつまらない。それら多くの要素が不可分のものとしてゲームを形作っている以上、その全てを読み解かなければゲームを語ったことにはならない。

ゲームというものをひとつの側面に還元せず、様々な要素が複合的に形作る出来事として多角的に語ろうとすること、そのようにゲームを語ることで初めて見えてくる歴史を綴ること、それが本書の挑戦だと思う。

 

以下の引用は、プレイステーション4で発売されたFF15が、いかに最新のAI制御技術を駆使して「人間らしく振る舞う仲間の存在感」「旅の記録として残される『写真』のリアルさ」を演出し、また仲間とともに食べる食事のグラフィックに過剰なまでに注力しているかを述べた後の部分だ。

ここまで紹介した『FF15』において力点の置かれた要素、すなわち「仲間」「写真」「食事」の3要素は、どれもゲームの発売当時ネットなどで「そこは頑張るところじゃなくない?」と茶化されることもあった部分でした。
先にも述べましたが、そもそもRPGは、ほぼ全ての作品が「旅の物語」です。しかし多くのRPGにおける「物語」がゲームのどの部分で展開されていたかというと、主には「目的地に到着した後のイベントシーン」で表現されてきました。
このイベントシーンが、時代によってテキストのみであったり、ドット絵のキャラクターのお芝居がついていたり、CGムービーになったり、声がついたりといった変化はありましたが、特にFFというのはこの部分に力をいれ、クオリティアップすることで人気を得てきたシリーズです。
ただ、この構造には弱点もあります。それは、実際にゲームをプレイしている時間のなかで5%にも満たないイベントシーンのみで物語が進行し、残りの95%にあたる「旅の過程」では物語が停滞してしまうことです。

これに対し、『FF15』が旅の3要素「仲間」「写真」「食事」によって物語を語ろうとしたのは、その95%の「旅の過程」こそが物語のメインである、という新しい価値観の提案です。朝起きて、仲間と挨拶をし、野山を走り回り、ダンジョンを攻略し、キャンプに戻って食事をしながら今日あった出来事を振り返る。オープンワールドを駆け回るその過程をいかに豊かなものにするかが新しいRPG体験を生むのだ、という強い思想を感じます。
(「第6回 プレイステーション4時代編」より)

 

もちろんこの本は専門的な研究書ではなく(そもそもラジオの企画である)、また短い紙数でドラクエ・FFシリーズのほぼ全作を取り上げる必要があるため、個々のタイトルに着目すると分量が物足りない部分もあるだろう。それでも、ここで書かれたゲーム史の見取り図は十分に刺激的だと思う。この先は、各読者がそれぞれ思い入れのあるタイトルについて、この本をガイドに掘り下げていくべきだろう。

この本には「ゲームはどう物語を描いてきたのか?」という副題が付いているが、これはこの本が物語についてのみ語っていることを意味しない。「どう物語を描くのか」とは、「ゲーム」という複合的な出来事が、どのように物語の器たりえるのか、という問いなのだ。

 

次の一本

 

渡辺範明がプロデュースしているボードゲームのシリーズとして、怪獣をテーマとしたKaiju on the Earth - カイジュウ・オン・ジ・アース、キャラクターに注力したヨフカシプロジェクト | 公式 | メディアミックスプロジェクト小学館と組んで様々なコンテンツとコラボレーションする小学館グッドゲームズ | 書籍 | 小学館などがある。また公式サイトでは気楽に遊べる「ゆるゲー」シリーズも販売中。


 「ドロッセルマイヤーズ」公式サイト

drosselmeyers.com