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映画「シャン・チー」でケイティがシャン・チーの名前をなかなか発音できないシーンの解説

中国語の発音は難しいぞ

 

「シャン・チー テン・リングスの伝説」は初めてアジア系ヒーローが主人公となったMCU映画なわけだが、特に印象的だったのが、主人公シャン・チーの親友ケイティがなかなかシャン・チーの名前を発音できないシーンだ。
私も中国語を勉強していたので、今回はこのシーンの会話を詳細に見てみよう。

 

 

 

以下はDisney+の各国語字幕を書き起こしたもの。マカオに向かう飛行機の中で、シャン・チーが自分の本名をケイティに明かす場面だ。
なお仮の名前であったショーン(Shaun)は漢字では「尚恩」となっているが、これは当て字で、この漢字が発音に対応しているわけではない。(あえて漢字の通りに発音すればシャン・アンまたはシャン・ウンみたいになる)

 

「僕の名前はショーン(尚恩/Shaun)じゃないんだ」
「じゃ何?」
「シャン・チー(尚气/Shang Chi)」
「ショーン・チー(尚恩-气/Shaun-chi)」
「違う、シャン・チー(尚气/Shang Chi)」
「ショーン・チー(尚恩-气/Shaun-chi)」
「シャン(尚/Shang)」
「シャン(山/Shan)」
「S・H・A・N・G、シャン(尚/Shang)」(人差し指で、音が高音から低音に下がる仕草)
「シャン(尚/Shang)?」
「そう」


ケイティは「尚」がなかなかうまく発音できない。
この難しさはよくわかる。特に後半で出てくる「山/Shan」と「尚/Shang」の違いはかなり難しい。


まず中国語には四声という四種のイントネーションがあり、これを守らないと通じない。尚/Shangは第四声という上から下に下降する音程で、だからシャン・チーはジェスチャーでそれを指示している。その前にケイティが言った「山/Shan」は第一声といって、高めの音を一定に保つ。
そして子音の部分、「ang」と「an」の違いはさらに難しい。「an」は軽く「アン」という感じなのだが、「ang」は「アォーン(グ)」のような、アとオの中間で最後にンのようなグのようなニュアンスが加わる。この区別は正直言って私もあまりできていない。


こういう、英語とは違う中国語の発音のこだわりが、あの飛行機の中の短い(しかし名前を伝えるだけにしてはけっこう尺を取った)シーンで表現されているわけだ。
(なお私は映画館で中国語字幕で見たのだが、映画館の字幕ではもっとたくさんの漢字が当てられていて楽しかった)

 

ケイティのチャイニーズ・ネーム


もうひとつ、中国語に関して印象深かったのは、シャン・チーの父親で敵役のウェン・ウーがケイティに中国語名を尋ねるシーンだ。
殺し合いを経てウェン・ウーに連れていかれ、秘密結社テン・リングスの本拠地でのどかに食卓を囲んでいるという微妙な空気の流れるシーンで、ウェン・ウーが不意にケイティの中国語名(チャイニーズ・ネーム)を尋ねる。


ケイティは戸惑ってシャン・チーと顔を見合わせた後、「ルイウェン(Ruiwen/瑞文)」と答える。
英語圏で暮らす中華系の人々は、中国語名と英語名の両方を持っていることが多い。ケイティも普段はケイティとして過ごしているが、ルイウェンという中国語の名前も持っているのだ。
それを聞いたウェン・ウーはケイティに対し、「名前は神聖だ、自身だけでなく先人とも繋がる」と告げる。

サンフランシスコを舞台とする序盤のシーンで、ケイティの家には中国語を話す祖母が登場した。清明節(祖先を祀る伝統行事)に死んだ祖父にお供えをする祖母の考え方を古いと言いたげなケイティに対して母親が「米国人の発想」とたしなめ、それに対してケイティが「ママは米国人でしょ!」と返していたのが、ここで思い出される。

とはいえ、これは別にケイティが祖先に対する敬意を失っているということではない。ただ、自分たちのルーツに対する考え方が、ケイティとケイティの祖母、シャン・チーやウェン・ウーの間でそれぞれ違うのだ。

 

これら一連のシーンは物語に対してそんなに大きく影響するわけではない。しかしここには、世界中で暮らす中華系の人々のアイデンティティのあり方について、複数の視点が現れている。こういう部分が、MCU初のアジア人ヒーロー映画の「シャン・チー」の魅力のひとつだと思う。