もう本でも読むしかない

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黒沢清『スパイの妻』「カメラに映っていない場所では、何が起きていてもおかしくない」という緊張感。

 

 


黒沢清は私が一番好きな映画監督の一人だが、今のところ最新作である『スパイの妻』は中でも特にお勧めしやすいもののひとつかもしれない。

(※ネタバレは序盤まで)

舞台は1940年の神戸。太平洋戦争の開戦が徐々に近づいている。主な登場人物は3人。

  • 聡子蒼井優)貿易商の妻。洋館でぜいたくな暮らしをしている。
  • 優作高橋一生)聡子の夫で貿易商。妻をモデルに趣味で映画を撮影するなど、緊迫した情勢下でも優雅に暮らしている。
  • 泰治東出昌大)陸軍憲兵。聡子の幼馴染。優作の暮らしぶりをあまりよく思っていない。

ある時、優作は仕事で満州に出かける。夫の帰りを待ちわびる聡子だったが、しかし帰って来た夫の様子が何かおかしい。不信感を抱く聡子。追い打ちをかけるように起こる、謎めいた殺人事件。そして憲兵の泰治も、優作をじわじわと追いつめ始める。

優作はスパイなのか? 一体何を隠しているのか? 満州で何があったのか?

 

歴史サスペンスである。美しい戦前の神戸の街を舞台に、戦争が迫り来る緊張の中、先の読めない物語が展開する。予想を何度も裏切られる。想像もしていなかった行動を登場人物が行う。

黒沢清の映画では、何が起こるかわからない。一瞬先に、どんなことが起こっても不思議ではない。何故か。黒沢清は、それが映画だと思っているからだ。

 

以前の監督作品で、印象的なシーンがあった。

森の中を、ある登場人物が追手から逃げている。森から駆け出すと、そこは道路である。路上に立った人物が、カメラの方を見ているショット。その顔がアップになり、ちょっと笑う。次の瞬間、カメラは人物の背後からのショットに切り替わり、正面から走って来ていたトラックが人物に激突する。

すごくびっくりするシーンだが、黒沢清にとってはおそらくこれこそが映画なのだ。

 

映画の画面に映っているのは、カメラが向いている場所だけであり、カメラの向いていない場所のことは一切わからない。一切わからないということは、そこで何が起こっても不思議ではない。つまり、あらゆることが起こりうる。

黒沢清の映画を見る時のドキドキする感じはこれだ。我々が見慣れた映画やドラマのパターンを信じて、安心して見ることはできない。映っている画面の外側では、どんなとんでもない出来事が起こっているかわからないからだ。

だから、黒沢清はよくホラー映画を撮る。黒沢清の考える映画の在り方は、観客を驚かせ、怖がらせるホラーにぴったりだ。

(とはいえ物語が混沌に落ち込むことはない。黒沢清の映画は理路整然と進む。ただ、人の手に負えない運命や偶然や超自然の力が、そこでは映画というものの形式と必然的に結びついている。)

『スパイの妻』でも事情は同じだ。この映画はホラー映画ではないが、何が起こるかわからない。貿易商の夫は、どんな秘密を隠していてもおかしくない。憲兵の泰治は、どんな残酷なことをしてもおかしくない。いま画面に映っているもの以外は何も信じられない。

 

黒沢清は広い空間をうまく使って演出する。この映画でも、優作の勤め先の倉庫のシーンなどが印象的だ。

広い倉庫の奥に、ポツンと置いてある金庫。その中に恐ろしい秘密がある。登場人物が金庫に向かう時、その背後には広い空間が広がっている。そのこと自体が怖い。

黒沢清は、空間の広さと狭さ、距離の遠さと近さを縦横無尽に使って演出する。広さと狭さ、遠さと近さが、まるで鈍器のように我々に殴りかかって来る。

 

『スパイの妻』は、監督の初めての歴史劇である。「何が起こってもおかしくない」という黒沢清の信念は、戦争の時代を描く映画に、ゾッとするような、魅惑的な緊張感を与えている。その緊張の中を生き抜いていく蒼井優高橋一生が美しい。

(ちなみに現在、監督作『ドライブ・マイ・カー』が世界で旋風を巻き起こしている濱口竜介黒沢清の教え子でもある)が共同脚本として参加しています。)

 

 

 

 

黒沢清の映画の中で最も多くの人が傑作と呼ぶのは、おそらく『CURE』だろう。

役所広司演じる刑事と、萩原聖人演じる謎の男との戦いは、他の映画では見たことがないような迫力がある。

それは力を駆使した戦いでもなければ、言葉を交わす戦いでもなく、なんというか、言葉と身振りによって映し出される、存在VS存在の戦いという感じだ。空虚な広い空間で起こるあっけない殺人の連鎖が、底冷えのするような美学を醸し出す。

そして舞台を謎の山中に移して続く『カリスマ』においては、『CURE』での戦いを経た役所広司が一本の木をめぐる秘教的な勢力争いに参加し、その存在そのものの強度をどんどん上げていって、ついには神の如き無敵の存在と化していく様が映される。(続編みたいに言いましたが続編ではないです)

 

 

映画とは何か、映画とはどういうものか(特にホラー映画)について黒沢清が語りに語ったのがこの『映画はおそろしい』青土社である。2001年に出たものが、2018年に新装復刊された。

この本にはキラーフレーズが満載で、「暴力シーンでは動作が少なければ少ないほど強い。よってノーモーションで銃を打つ北野武が最強」「映画に出てくる人間の中で最強の存在はイーストウッド」「『エイリアン』は、作中でエイリアンが倒せないと判明した時点からホラー映画に変わる」「恐怖の対象を撃退できる映画はホラー映画ではない」など忘れられない言葉が多数。