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『逆行の夏──ジョン・ヴァーリイ傑作選』で読む、ヴァーリイの煌びやかで繊細なSF

ジョン・ヴァーリイの短編「逆行の夏」を紹介します。

 

ジョン・ヴァーリイは70年代末から活動しているアメリカのSF作家で、私のとても好きな作家の一人だ。SFファン向けの説明をすると、だいたいニューウェーブサイバーパンクの中間くらいの作風だと思う。

つべこべ言う前に、まずは私のとても好きな短編「逆行の夏」(1975年発表)のあらすじを紹介してみよう。


太陽系に住処を広げた人々が裸で過ごし、当たり前のように性転換する未来。水星に住む者は肺に機械を埋め込み、体表に形成される流動的な銀色の宇宙服(〈服〉と呼ばれる)を身につけて真空中を歩いている。15歳までは女性だった少年ティモシーは、月からやって来た自分のクローンである姉・ジュビラントと初めて会う。

ジュビラントを自宅へ招き、母を交えて話しているうちに、ティモシーは自分の家族の不自然な点について疑問を抱く。その後二人は水星の名所である水銀の池のある洞窟へ向かい、地震に遭って閉じ込められる。

ティモシーは、水星に慣れないジュビラントが酸素の備蓄を十分にしてこなかったことを知る。ティモシーは〈服〉を連結し、ジュビラントに残り少ない酸素を分け与える。二人が寄り添うと、銀色の〈服〉は触れた部分から溶け合って繋がり、二人は裸で触れ合うことになる。

「つまり……わかったわ。〈服〉を着たままメイク・ラブできるのね。それがあなたのいってることなの?」
「水銀の池でやってごらん、最高だよ」
「わたしたち水銀の池にいるわ」
「だけどいまはできない。オーバーヒートしちゃう。自制しなくちゃ」
彼女は黙っていた。でもぼくの背中で彼女の手がぎゅっと握られるのを感じた。

 

「ティモシー、あなたのお母さんについて、どんな質問にも答えるわよ」
彼女がぼくを怒らせたのはこれがはじめてだった。タンクをいっぱいにしておかなかったことについては腹が立たなかった。冷却についてでさえそうだ。それはむしろぼくの失敗だった。冷却の強度について、生き残るための予備を確保しておくことがどんなに大切なことかきちんと告げないまま、軽く見ていたのだ。彼女もまじめにとらなかった。そして今ぼくらは、ぼくのささやかな冗談のつけを支払っているわけだ。彼女がルナの安全に関する専門家だというので、自分のことは自分でできるだろうと思い込んだのがまちがいだった。危険に対して実際的な予測ができないのに、そんなことができるはずがない。
ところが、この申し出には酸素に対するお礼のようなニュアンスがあり、そして水星ではそんなことをしてはいけないのだ。進退きわまったとき、空気はいつでもタダで分かち合うものなのだ。感謝なんて礼儀知らずだ。
「ぼくに何か借りがあるなんて考えないでくれ。それはよくないことだ」
「そんなつもりでいったんじゃないわ。もしもこの地の底で死ぬことになるのなら、秘密をもったままなんてバカげていると思うの。これは筋が通っているかしら?」

 

助けを待つ間、ジュビラントは秘密にしていたティモシーの出生の秘密を明かす。二人がなぜこの世界では珍しくクローンとして存在するのか、そしてなぜこの世界の慣習に反して、親と離れて暮らしていたのかという謎が明かされる。

 

ざっとこのような話だ。この短編は〈八世界〉と呼ばれるシリーズの一篇で、このシリーズは太陽系の各惑星に人々が住んでいる世界を舞台としている。人類は己を改造して各惑星に適応し、また性転換や年齢操作が当たり前となっている。

ご存じのようにSFと言ってもいろいろなものがあるが、私がSFに期待するものは、ひとつには美しく(あるいは醜く)魅力的なイメージと、そしてもうひとつは、我々の常識とは違う世界観や価値観である。ヴァーリイの書くSFはその両方を備えている。

ヴァーリイの多くの作品では、性別や容姿だけでなく、人々の欲望や、社会の目的そのものが我々の住む世界とは大きく違っていて、その中でドラマが展開する。

ヴァーリイはきらびやかなイメージと奇抜な世界を華麗に描きつつも、意外と人間関係にまつわる感情を細やかに扱う。ただしその人間関係は我々の知る共同体的なものではなく、我々の世界とは全く違う基準の中で、お互いに異なる人々がどのように関わりうるかを探るものだ。

この短編の結末で明かされる秘密も、我々の知る家族や共同体のあり方を軽やかに相対化するような、そしてその上で人間について考えるような、そんな秘密である。

 

この短編は、2015年にハヤカワ文庫から復刊された同タイトルの短編集に収録されている。障害のある四肢を補助マシンで動かす女優との恋愛を非対称性の中で描く「ブルー・シャンペン」など、他の短編も粒揃いなのでぜひ読んでもらいたい。

 

次の一冊

 

ヴァーリイの〈八世界〉シリーズ全短編は以下の二冊に収録されている。新品は手に入りづらそうですが…… なお同シリーズには長編も「へびつかい座ホットライン」「スチール・ビーチ」の二作があるようです(未読)。

 

 

ジョン・ヴァーリイと少し近いイメージがあるのが、私の最愛のSF作家のひとりであるサミュエル・ディレイニーだ。アメリカのニューウェーブSFを代表する作家である。煌びやかなイメージと、オルタナティブな社会の姿を描いていく感じが似ていると思う。ディレイニーの方が、ヴァーリイよりも抽象度と幻想度が高いかな? 新刊で手に入るものの中では、短編集『ドリフトグラス』がお勧め。(というか文庫が全滅状態でハードカバーしかない)

 

ちなみに上記の『ドリフトグラス』を含む国書刊行会未来の文学」シリーズについては、以前も紹介しているのでご覧ください。

pikabia.hatenablog.com

 

 

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2023年9月に開催された「第三回かぐやSFコンテスト」に投稿した短編SF小説が、選外佳作に選ばれました。近未来のパリを舞台としたクィア・スポーツSFです。

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こちらはカクヨム公式企画「百合小説」に投稿した、ポストコロニアル/熱帯クィアSF。

kakuyomu.jp

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