もう本でも読むしかない

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ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ブレードランナー2049』の限りのない寂しさ

名作の続編がまた名作だったという嬉しい驚き

 

リドリー・スコット監督ブレードランナーのファンであればあるほど、続編製作を知った時には「ええ~?」と感じた人も多かったのではないかと思う。私もそうだった。『ブレードランナー』という映画は私にとって非常に特別な感じのする映画で、続編を見てもどうせがっかりするだろうと思った。

しかし、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督ブレードランナー2049』を見て、私はあっという間に掌を返し、映画館に二度行ったし、その後配信でも見た。今は、「ええ~?」とか思ってすみませんでした、素晴らしい続編をありがとうございます、という気持ちでいっぱいである。


一体人は、というか私は、ブレードランナーという映画に何を求めていただろうか。続編を作っても、何が継承されないだろうと疑っていたのだろうか。

それは一言で言えば、たぶん「寂しさ」である。「メランコリー」と言ってもいい。

私は、現代のアメリカ映画というジャンルが、あのような寂しい映画を作るイメージをあまり持っていなかったのだ。

 

一般的な現代のアメリカ映画は、だいたいにおいて、正統的な脚本術とでも言うべきものを守っている。映画の主人公は何か抱えていた問題を解決したり、潜在的に探していたものを見出したりして、その解決や発見が映画の終わりをもたらす。

もちろん現在のアメリカ映画は非常に多様であり、そのようではない映画もたくさんあるのだが、私はどうやら、それなりの大規模予算で作られたアメリカのSF映画という時点で、そのような「解決」を持った映画を想像していたんだと思う。

ブレードランナー2049』はそういう映画ではなかった。

 

見届けるものたち(この後ネタバレあります)

 

人造人間レプリカントとして過酷で無意味な任務に生きる主人公のKは、一時、奇跡的とも言える希望を抱いて、これまでとは全く違う世界に踏み出すかと思われる。物語はこの「奇跡」を巡って展開する。

「奇跡」とは何か? それは、本来なら生まれえないはずの、レプリカントが生んだ子供である。短命で一代限りの存在であり、ただ人間によって使役される道具にすぎない彼らは、この奇跡の存在に変革の兆しを見出す。

この奇跡の子──「The kid」と呼ばれる──は一応、実在する。するのだが、その実在によって何が変わるのかはわからない。何も変わらないかもしれない。ただその奇跡はレプリカントたちの希望となる。それが何を意味するかはわからず、結局は無意味かもしれないが、しかしその存在を知ってしまった以上、それは否応なく希望であり続ける……そんな希望だ。

(ゆえに、ともすれば「生殖」の神聖化に繋がりかねないこの物語は、しかし空虚であり続ける。物語を見ている我々は、そんな奇跡が存在するからといって世界に変革が訪れるなどとは思っていないのだ)

主人公のKは、その希望の源泉である「奇跡」に限りなく接近する。ある手がかりにより、自分がその奇跡そのものであるということを、疑いつつもやがて確信するのだ。この時世界の全てが変化する。無意味であった世界が初めて意味を持ったかのように。

しかし、その確信は偽の確信だったことが明らかになる。Kはこれまでに自分が考えていた以上のものではなかったことが判明する。何も変わらない。何も解決しない。何も見つからない。そしてそのまま映画は終わる。

 

いや、厳密に言えば、Kは何も見つけなかったわけではない。彼は「奇跡」が存在することを確認した。彼自身は何者でもなかったが、奇跡は起こっており、それは実在するのだ(前述の通り、それは無意味な奇跡かもしれないが)。Kはそれを見届ける。それを見届けることだけが、Kにできたことだ。

かつての『ブレードランナー』においても、主人公は見届けるだけの存在だったと思う。確かに、主人公デッカードレプリカントレイチェルと恋に落ち、共に過ごすことにはなる。ある意味でそれは、デッカードがレイチェルを手に入れる物語だ。

しかしこの映画で最も印象深いのはそこではない。デッカードの前で短い寿命を迎えて死んでいくレプリカントたちの方だ。人間のように生きようとあがき、しかし果たせずに消えて行く彼らの姿を、デッカード見ていることしかできない。(そしてその姿はレイチェルの未来をも予感させる)

ふたつの『ブレードランナー』に共通しているのはこの無力感だ。主人公たちは何もできない。確かに彼らはその時自分に与えられた役割を果たし、そのことによって誰かを救い、物語は一応の解決を見せる。しかしそのことよりもずっと印象に残るのは、彼らが変えられなかったことの方である。これが『ブレードランナー』の寂しさであり、メランコリーだ。

ブレードランナー2049』は、この部分を前作から過たず引き継いだ。そして、まるでレプリカントを演じるために生まれたのではないかと思ってしまうライアン・ゴズリングの演技と佇まいは、それを完璧に表現している。

もちろんこの映画は数多くの挑戦と創意と技術によって作られた傑作であり、そのことは前作とはあまり関係がない。『2049』は前作が傑作だからではなく、それ自身の力で傑作であると思う。だがそれはそれとして、『2049』は、私が『ブレードランナー』にとって最も大切だと思っていた部分を継承しているのだ。

 

過去と未来が交錯する「寂しさ」のイメージ

 

ブレードランナー2049』は全編が寂しく美しいイメージで彩られた映画だが、その中で最も寂しいと思うのは、砂漠化したラスヴェガスに打ち捨てられたカジノホテルのシーン、照明の落ちた真っ暗な劇場で、壊れたリールが巻かれる音とともにきれぎれに再生されるエルヴィス・プレスリーマリリン・モンロー立体映像だ。美しい過去、輝ける過去(しかしその背後にはもちろん暗い部分がある)を象徴するそれは、我々にとっての過去であり、『ブレードランナー』にとっての過去であり、「映画」というジャンルそのものにとっての過去である。それはハリウッドの古代の神々だ。多重の、そして両義的な過去が、ホログラムと音楽の断片となって廃墟の暗闇に束の間現れ、そして消えて行く。

他にもこの映画には、どこまでも続く瓦礫の台地、不毛の地に一本だけ残る枯れ木、Kの拠り所であるホログラムの女性、広告に溢れた街並み、レプリカントを製造するウォレス社の水紋が揺れる内部空間など、荒廃と虚像、美と権力をはらんだイメージが充満している。

そのこともまた、その斬新なイメージによって一時代を築いた前作の美意識を、形を変えて受け継いでいると思う。

 

そのうち読みたい

そのうち読みたいというか価格が税込14300円なのですが、関連書としてはこれが決定版なんだろうなと思う。日本語版の特典として「SFマガジン ブレードランナー2049特別版」という16ページ小冊子が付いているそうです。

 

次の一本

完全に前作を見ている前提で書いておりましたが、もし見てない方がいらっしゃいましたらぜひリドリー・スコット監督の前作もどうぞ。寂しくてメランコリックなSF映画の金字塔です。

 

ヴィルヌーヴ監督がテッド・チャンの名作短編を映画化したこちらも良かったです。原作本もすごい短編集なので合わせてどうぞ。ちなみに原作短編のタイトルがあなたの人生の物語で、その映画化タイトルが「Arrival」で、その邦題が「メッセージ」です。ややこしい。

 

でもって『2049』の後にヴィルヌーヴ監督の超出世作になったのがこちら。今回は打って変わって明快なエンタメ大作ですが、巨大帝国の権力を表現する美と暴力のイメージは圧巻です。全二部作。未読ですが原作もかっこいい新カバーで新訳復刊。

 

『2049』はとにかく映像が死ぬほど美しくてカッコよくて寂しいのですが、この映画でアカデミー撮影賞を受賞したロジャー・ディーキンスが同じく手掛けたのがこちら。この映画も大好きで何度も見てます。ダニエル・クレイグ版007の中で一番好きですし、007というシリーズに対する自己批評的な作品なので、むしろシリーズをよく知らない人に勧めやすい気がします。