もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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『フォートナイト』 無人の街と野山を走り、偶然と反復を遊ぶ

フォートナイトをプレイするという習慣について

 

海岸にある無人のリゾート

普段あまりゲームを頻繁にプレイする方ではないのだが、ここのところフォートナイトを継続的にやっている。

数か月前ふと、毎日少しずつ、気楽にできることはないかなと思い、そういえば前に少しプレイしたフォートナイトがわりと好きだったなと思い出し、それ以降ゆるりとプレイするようになっている。(毎日ではないが)

しばらく続けているうちに、私はフォートナイトをプレイすることがある種の習慣となってきたのを感じている。決まったことを繰り返す、反復としての習慣である。フォートナイトでは毎回同じことを繰り返す。同じことを繰り返すが、そこで起こることは毎回違う。しかし本質的には同じことをやっている。毎回少し違うが根本的には同じことを、日々やり続ける。そのような習慣として私はフォートナイトをプレイしている。

 

フォートナイトってどんなゲームでしたっけ

 

こちらは公式サイト

www.epicgames.com

 

一応、フォートナイトがどういうゲームなのか説明しておこう。アメリカのエピックゲームスによる2017年発表のゲームで、だいたいのゲーム機やPC、タブレットスマホでもプレイできる。基本プレイは無料。ゲーム内で自分が操作するキャラクターのモデルを課金して買うことができるが、買わなくてもいいし、買ってもゲーム上で有利になることはない。プレイ人口は3億人を超えているらしい。

いろいろなモードがあるが、基本的にはプレイヤーは何らかのバトルロイヤルを戦う選手となって小さな島に送り込まれ、そこで落ちている武器やアイテムを拾いながら戦い、計100人のプレイヤーの中で生き残りを目指す個人戦もチーム戦もある。この島はそこそこ広いが、ストームと呼ばれる謎のフィールドが徐々に周囲から迫って来て、行動可能範囲がだんだん狭くなっていく。最初は島の各地に散らばったプレイヤーたちも、このストームに追われて互いに近づけられ、生き残りをかけて戦うわけだ。1プレイにかかる時間は、最後まで生き残った場合でも30分程度だろうか。

 

ゲームの設定は(敢えて)詳しく調べてはいないが、この試合のようなものの舞台となる島は無人である。しかしそこには街や家、工場や鉱山施設などがあり、ついさっきまで人が住んでいたように見える。海辺にはリゾートハウスが、山には山小屋が、のどかな丘の上には瀟洒な邸宅が建ち、我々は土足でそこに踏み込んで、何故か落ちているライフルやショットガンを拾う。

その島でバトルロイヤルを繰り広げる我々は、どうやら生身の肉体ではないらしい。戦って敗れると、そのプレイヤーの頭上に何かの機械が現れ、プレイヤーの姿は光となってそこに吸い込まれる。何らかの仮想的な身体が、この島に送り込まれて戦っていたようだ。

我々は丸い小さな島に空から降り立ち、山や丘を走り、川を渡り、打ち捨てられた無人の街をさまよう。誰もいないガソリンスタンドで、豪華な別荘で、何者かの秘密基地で我々は武器と弾薬、各種アイテムを探し回り、不意に誰かと出会えば、拾った武器で即座に攻撃する。

 

風景の中の移動と、偶然の出来事

日没を見ながら島へ降下する

 

私がこのゲームを好きなのは、プレイ時間の大部分はのんびりしていられるからだ。似たような形式のスプラトゥーンなどは、片時も休まずに塗装と戦闘に明け暮れることになるが、フォートナイトはどちらかというと大規模なかくれんぼのようなゲームであり、目立たず行動すれば誰にも会わずに終盤まで島の中をうろちょろすることができる。

島への着地点は自分で選ぶことができ、街に降りるとたくさんのプレイヤーと出くわしがちだが、島の端の方に降りればしばらくはゆっくり散策できる。ストームから逃れるように森や丘を走っていると、日が暮れたり昇ったりして、空の色が刻々と変わっていく。時には霧が立ち込め、雪の積もった地域もある。そんな風景の中を、プレイヤーは銃器を構えながら静かに走っていくのだ。この「風景の中を移動すること」そのものが、まずはこのゲームの重要な本質だと思う。移動の中で、やがて我々は他のプレイヤーと出くわして銃撃戦となり、あるいは遠くから見つけて尾行して狙撃し、あるいは背後からいきなり撃たれて何が起こったかもわからず脱落するだろう。

 

フォートナイトでは、移動の過程でのそれらの全てが偶然に起こり、全てが15分から30分ほどで終わる。小さいがそれなりに広い島は、いつも同じ島ではあるがそれぞれ違う表情を見せる。どんなアイテムを拾えるか、どんな熟練度のプレイヤーと出くわすかは全く予想ができない。我々は淡々と島に降下し、落ちていた銃を拾い、出くわしたプレイヤーと撃ち合う。誰もいない海岸のリゾートを通過する。放置された車やモーターボートを乗り回す。雪の積もる丘の上に身を潜め、通る者を狙撃してやろうとスコープを覗き込む。言葉はなく、たまに遠くで銃声が聞こえるだけだ。

最初は戦っても全く勝てないので、ひたすら隠れて走り回り、なるべく誰とも会わずに終盤まで残るのを目標にしていた。しかしそんなプレイを続けているうちになんだかんだで慣れるもので、だんだん弾が相手に当たるようになってくる。3ヶ月もやっていると、ときどきは最後の一人として勝ち残ることもできるようになった。しかしそれも、大部分が偶然に由来することだ。

 

仮想の身体となって小さな島に降り立ち、森や野原、人の住まない街をさまよい、偶然に身を任せ、たまさか出会った、誰とも知らない者と撃ち合う。勝っても負けても、戦わなくても30分で終わり。そのような、偶然に支配された、しかし基本的には同じ行為の絶え間ない反復として、私はフォートナイトというゲームをやっている。そこには、「いつも同じであること」「毎回変化すること」、あるいは「ルーティンをこなすこと」「状況に応じて判断すること」との間の、奇妙だが落ち着いたバランスがある。それが、フォートナイトを繰り返しプレイするという習慣の内実だと思う。刻々と色を変える風景の中を移動しながら、私はそれを淡々とやっている。