もう本でも読むしかない

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佐藤亜紀『吸血鬼』 われらの凡庸さという怪物

英雄的でない「歴史」について書くということ

 

入手困難だった佐藤亜紀の傑作、『吸血鬼』が待望の文庫化である。私が読んだ佐藤亜紀作品の中では一番好きな作品なのでとても嬉しい。ぜひ多くの人に読んでもらいたい。

舞台は19世紀のポーランドの僻地の村である。しかし実のところ、19世紀にポーランドという国は存在しない。プロイセンオーストリア、ロシアの三国による三度にわたる「ポーランド分割」により、ポーランドという国は消滅していたのだ。再度の独立は第一次世界大戦終結を待たなければならない。

この作品の舞台となる村は、上記のうちオーストリア帝国領に位置する。村に新任の役人として、主人公ゲスラとその妻が赴任して来るところから物語は始まる。ゲスラーは善良な、理想に燃える役人だ。帝国の名代として、村人をよく統治し、帝国臣民に相応しい健康で秩序だった暮らしをさせたいと願っている。また文学好きの彼は、詩人であるこの地の領主クワルスキとの交流も楽しみにしていた。

しかし彼が赴任してから間もなく、村では人々が奇妙な死を遂げることが相次いだ。村人たちは迷信に捉われ、吸血鬼の暗躍を恐れる。そして恐怖にかられた村人たちは、ゲスラーにとっては耐えがたい、ある慣習的な儀式を要求する……

老人の脇に坐って、役人は訊ねる。
──誰の葬式だ。
──産後の肥立ちが悪い女が一人死んだだけだ。わざわざ来てみたんだが、これじゃ無駄足だ。後でもう一度来てみるがね。
──何故。
──嫌な風が吹いてるだろう。墓の中で死人が目を覚ますにはうってつけだ。
役人は平静を繕おうとするが、目には動揺が浮かぶ。老人は憫笑する。
──勿論、お役人様は信じやしないだろうがね。
──町育ちなのでね。元はプラハだ。
──おれはクラカウだ。尤もクラカウなんて四十年も拝んじゃいないが。
老人は後ろの二人に何か叫ぶ。二人は馬車の御者に土地の言葉で保ちそうかどうかを訊ね、大声でその答を伝えてくる。老人は馬を少し急がせる。役人は両手で御者台の縁を掴む。
──まともに喋れもしない、死人が夜になるとうろつくと信じているような連中と四十年だ。まあ畑も買ったし、孫までいるんじゃ全くのどん百姓なんだが、今だに余所者だよ。渡りの仕事を引き受けてあちこち出張る方が余程いい。
──どんな仕事だね。
──墓を暴いて、死人の首を刎ねる、と老人は愉快そうに言う。──余所者の仕事さ。(「Ⅰ」より)

 

本当に恐ろしいものは何か

 

これはある程度ネタバレになってしまうかもしれないが(なので全く白紙の状態で読みたい方は先に小説を読んでもらいたいが)、この小説は怪奇小説ではない。この小説は佐藤亜紀の多くの作品と同じく、やはり歴史小説である。それも、このように「歴史」の姿を描いた小説はそう簡単には見つからないだろうと思うほどの。

この小説は怪奇小説ではないが、しかし確かに恐ろしい小説である。だが恐ろしいのは、例えばタイトルにある「吸血鬼」ではない。本当に恐ろしく、陰惨で、残酷なものは、ほかならぬ我々自身なのだ。しかも、それは例えば我々の中に秘められた「狂気」や「暗黒面」のような極端さではない。むしろ我々の誰もが持つ凡庸さ、我々の誰もが抱く恐れ、我々の誰もが克服できない弱さこそが最も恐ろしいものであり、歴史の陰惨さそのものなのだ──この小説はそのようなことを、濃密で芳醇な文章によって語っていく。

ここには痛快な物語も英雄的な登場人物も全く存在しないが、それこそが歴史に関する小説なのだということは、これまでも作者が繰り返し描いていることである。そして、痛快でも英雄的でもなく、凡庸で愚かであるがゆえに、この小説の登場人物たちはまさに生きているかのように複雑で、生命力に満ちているのだ。

 

次の一冊

 

佐藤亜紀の他の作品については、下記の記事もぜひご覧ください。

pikabia.hatenablog.com

 

この小説の舞台となっているオーストリア帝国についても、過去にブログで紹介したこの本が詳しいです。

pikabia.hatenablog.com