もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

,

YOMUSHIKA MAGAZINE vol.2 SEPTEMBER 2022 特集:無機的なもの

一九七二年十一月のある日、シカゴ在住の写真家・デザイナーであるネイサン・ラーナーはウェスト・ウェブスター大通り八五一番地に行き、自分の借家人ヘンリー・ダーガーが四十年にわたって住んでいた部屋の鍵を開けた。数日前に部屋を出て老人ホームに移っていったダーガーは静かな、だが少しばかり変わった男だった。(中略)だが、ラーナーは若い学生と一緒に部屋のなかに入ると、予期せぬ発見をした。あらゆるたぐいのもの(糸玉、空になったビスマス壜、雑誌の切り抜き)の山のあいだをかきわけて進むのは容易ではなかった。だが、部屋の隅の古い大箱の上に何かが積み上げられていた。それはタイプで打たれ、手で綴じられた十五冊の本だった。そこには『非現実の王国で』という雄弁な題名の、三万ページ近くにおよぶ一種の空想小説が含まれていた。

ジョルジョ・アガンベン「ニンファ」より(高桑和己訳・『ニンファ その他のイメージ論』所収)

 

 

「YOMUSHIKA MAGAZINE」とは?

 

執筆者の息抜きと愉しみという純粋な目的のために編み出された雑誌風コンテンツ。不定期刊。

 

 

もくじ

 

What's New

 

www.youtube.com

アメリカはブルックリンのシンガー、キング・プリンセスの、7月に出たセカンドアルバム収録曲。よいビデオです。

 

www.youtube.com

ついにネトフリで配信開始された、ニール・ゲイマンのグラフィック・ノベルを原作とするドラマ「サンドマン」。原作者本人がエグゼクティブ・プロデューサーとして制作を指揮しているだけあって素晴らしい出来。原作についてはこちらの記事をどうぞ。


shonenjumpplus.com

いま一番楽しみにしてる漫画が、少年ジャンプ連載中のマポロ3号『PPPPPP』。天才7つ子、視覚化されるピアノの演奏、といった大胆な設定を上手く活かしながら細やかな物語を展開しています。とりあえず3巻くらいまで読んでみてください。

 

 

特集:無機物

 

有機的な統一性とか、有機的なつながりとか、世の中いろいろ有機的であることがもてはやされますが、やっぱり人間ときには無機的な理念に引きこもることも大事ですよね。無機的であること、断片的であること、そして孤独であること。今回は無機的な世界に浸れるあれこれを羅列してみます。

 

 

まずは理論編だが、もうタイトルと表紙だけで百点満点。ベンヤミンの唱えた概念をタイトルに引きつつ、生物ではなく「感覚するモノ」として生きていく方法を追求していく。有機的でない生き方を模索する哲学的実践。

 

 

J.G.バラードの特に初期作品には、無機的なものの美学が繰り返し描かれている。世界全体が結晶化していく長編『結晶世界』がその最たるものだが、ここではあえて短編を紹介。この第二巻にはタイトルからして無機的な表題作「歌う彫刻」ほか、精神に影響する住宅が登場する「ステラヴィスタの千の夢」、捨てられた人工衛星を砂漠から見つめる傑作「砂の檻」などを収録。

 

 

無機物特集であれば絶対に出てくると思いましたよね? 正解。近代日本文学が誇る無機物派(そんな流派はない)の巨匠、稲垣足穂。月が落ちてきたので拾ったりピストルをバンと撃ったり天体嗜好症だったりするのが世界の全てである。

 

 

稲垣足穂と言ったら鳩山郁子も挙げなければ。硬質な線と構図で描かれた、少年たちの儚い世界。この長編『カストラチュラ』では、それが歴史と死者たちに結び付く。食べることや性的なことなど肉体に関するテーマが、無機的な描線によって冷たく描かれる。

 

 

Colossal Youth

Colossal Youth

  • Domino Recording Co
Amazon

無機的な音楽だから電子音楽、というのも面白くないので、なるべく人力のものを。最低限しか弾かないギターとベースとオルガン、抑揚のないボーカルによる、底冷えのするようなミニマルなバンド音楽。

 

 

ダダイズムの一員として、機械をモチーフにした絵を多く描いたのがフランシス・ピカビア。そして共通するモチーフを描いていたマルセル・デュシャンの作品はやがて工業製品そのものになっていき、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」ではガラス板の上に機械的イメージが妖しく散りばめられる。20世紀初頭に訪れたマシン・エイジの美学を象徴する芸術家たち。

 

 

デュシャンと同じものを不条理文学として表現したのがカフカ。「流刑地で」に代表される機械と死のイメージは戦慄的な美をもたらす。こちらの記事も参照。

 

 

www.youtube.com

キュビズムから出発したフェルナン・レジェが1924年に発表した、マシン・エイジを象徴する映像作品、その名も「バレエ・メカニック」。メタリックで狂騒的な不条理のイメージに、ジョージ・アンタイルの荒れ狂うピアノが花を添える。津原泰水による同名の都市SF『バレエ・メカニック』もおすすめ。

 

 

宮崎駿は偉大なアニメ監督だが、その映像のあまりに完全な有機的全体性には多少の息苦しさを感じてしまう。無機的で断片的なのは、やはり押井守だ。人間とも人形ともつかない登場人物たちの微細な動きを追求したこの「スカイ・クロラ」はその到達点だと思う。(物語はわりとグロい)

 

 

科学技術と生命の関係について、主にドゥルーズフーコーを引きながら縦横に検討する檜垣立哉の大著。ドゥルーズが論じる、マイナーテクノロジーとしての冶金術、国家の外部としての冶金術師についての議論が面白い。同著者の文庫『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』の後半増補部分でもその概要を読むことができる。

 

 

尾崎翠のこの代表的小説は、作中で苔を育てたりもしているものの、一助、二助、三五郎といった登場人物の記号的な名前や、深くは説明されない「第七官」という感覚にはやはり近代の無機的な要素を感じる。

 

 

有機的なものも無機的なものも全てを描いたと言えそうな手塚だが、この初期傑作『メトロポリス』にはその都市の情景、そして両性具有の人造人間ミッチイの存在によって鮮烈な無機物のイメージがある。ミッチイへの別れを、本人の代わりに動かぬ天使像に向かって告げるラストは忘れがたい。言うまでもなく着想源のこちらも合わせてどうぞ。『メトロポリス 完全復元版

 

 

 

Random Pick Up:ジョルジョ・アガンベン『ニンファ その他のイメージ論』

 

政治哲学の分野で有名なアガンベンだが、もともとは芸術や美学の分野が専門だったという。この本はその芸術論、イメージ論を集めた日本独自の論集。まず表紙がとても良い。

表題論文「ニンファ」は10の断章に分かれ、様々な絵画、映像作品、舞踏などのイメージを巡り、様々な芸術家や批評家の言葉を引用しながら、人間とイメージとの関係の、微妙で繊細な、時に危うい感じのする襞を描写していく。

博覧強記のアガンベン古今東西の理論や作品をこれでもかと引用しながら、しかしだいたい、いつも同じような話をする。それは何かと何かのあいだ、「閾」の話だ。もはやAではなく、しかしまだBではない、どっちつかずの領域。アガンベンはいつもその領域の話をする。芸術や絵画が出現させるイメージもまた、そのようなどっちつかずの場所にあり、我々の眼をすり抜け続ける。

 

 

あとがき

 

ブログを始めてはや10ヶ月ほど経ったが、リアクションはよくわからないものの、新しい記事や古い記事が読まれた形跡のみが数字として見えるのはなかな面白い。

しかし、誰かに読まれることのほかに、ブログを書くもう一つの大きな目的がある。自分で読み返すためだ。一度書いてしまった文章は自分のものではなくなる。それはもう半分くらい他者だ。「こいつ、話が合うな~」と思いながら自分で自分の書いた記事を読む。書いた内容をだいたい忘れているので、たいへん面白く読める。

(2022/9/5)