もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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岩波文庫『カフカ短編集』で、『変身』だけじゃないカフカの魅力を堪能すべし

『変身』もいいけど……

 

カフカと言えばなんといっても『変身』が有名だが、私は他の短編の方が好きだ。

いや、もちろん『変身』は名作なのだが、なんというか……こう言ってしまっていいのかわからないのだが、その、わりと出オチっぽいというか……

こともあろうに『変身』を捕まえて出オチ呼ばわりは我ながらひどいと思うし実際には決して出オチではないと思うのだが、どうしても最初のシーンが最もインパクトがあるという点ではそんなに異論はないのではないか。いや、別に『変身』の出オチ感を語りたいわけではないのだ。当然『変身』も最高である。でももし『変身』しか読んだことがないという方がいたら、ぜひ他の短編も読んでほしいなあ、という話がしたいのである。

 

というわけで、ひとまずは定番の池内紀編訳『カフカ短編集』岩波文庫)を挙げてみよう。この一冊に20編も入っているので、それぞれは非常に短く、すぐに読める。寝る前などにちょっと読んだりするといい感じだ。

私が特に好きなのは、この中では「判決」流刑地にて」だろうか。

 

衝撃のシフトチェンジ「判決」

 

「判決」の主人公はゲオルクという若者。彼はロシアに行ったきり帰ってこない友人に向けて手紙を書いている。彼とこの友人との関係は今では微妙なものになっていて、ゲオルクはロシアで人生に失敗しているであろう友人をあれこれ思いやったり、あるいは見下したりしながら手紙の内容を思案している……

というのが前半なのだが、後半、ゲオルクが同居している老いた父の部屋に、友人に書いた手紙のことを報告に行ったところから、小説のムードや文章がガラリと変わるのだ。

これはもう本当に、驚くほどに変わる。並の小説のシフトチェンジとはわけが違う。われわれ読者はこの突然の変化と、そしてこの父親のあまりのインパクトに圧倒されたまま、このとても短い短編を一気に読み終わってしまうのだ。

このダイナミックさはなかなか味わえないほどのものなので、ぜひ体験してみてほしい。こうやって事前に種明かしをされていても、驚きはなお衰えないだろう。

 

これぞカフカ的不条理「流刑地にて」

 

次に流刑地にて」だが、個人的にはこれこそカフカの真骨頂という感じの内容だ。

「実にたいした機械でしてね」というセリフで始まるこの短編の舞台である流刑地の砂地には、あるひとつの処刑機械が置かれている。この機械こそがこの小説の主人公と言える。

機械にはまず《ベッド》と呼ばれる台座部分があり、囚人はここに寝かされて革紐で縛り付けられる。機械の上方には《製図屋》と呼ばれる動作部分があり、そしてここに設置された、《馬鍬(まぐわ)》と呼ばれる無数の針を備えた装置が、囚人の背中に判決を図面として刻み込むのである!

小説の筋は、この機械による処刑を監督する将校と、それを視察する旅行家とのやりとり、そして処刑の実行シーンからなる。この処刑機械のデザイン、それを使って行われる処刑の不条理さと、この処刑機械をめぐる奇妙な事情があいまって、不気味で強烈な印象を残す。

そしてこの短編は、『審判』『城』といったカフカの代表的な長編のエッセンスを凝縮したもののように感じられる。これらの長編で描かれる、巨大で不気味で複雑な不条理、巻き込まれた主人公を、静かな、しかし抗いがたい力によって追い込むあの不条理が、この処刑機械とそれを取り巻く一連の出来事の中に、圧縮された形で描かれているように思えるのだ。

 

この二編の他にも、様々な議論を呼び起こしている謎めいた寓話「掟の門」、そしてカフカ界随一のゆるキャラ〈オドラデク〉が登場する「父の気がかり」など、読みどころが満載の短編集である。

 

ちなみにカフカは現チェコプラハ生まれだが、当時のプラハオーストリア=ハンガリー帝国の一部であるボヘミア王国の首都であった。カフカはドイツ語を話すユダヤ人である。

 

次の一冊

 

言わずと知れたルイス・キャロル不思議の国のアリスは、時に「子どものためのカフカと呼ばれるという。確かに、一見楽しげなアリスの物語がはらむ容赦の無い不条理は、カフカの小説に通じるところがある。

種村季弘『ナンセンス詩人の肖像』ちくま学芸文庫・残念ながら新品では入手不可)に収められたルイス・キャロル論によれば、カフカとキャロルはその「裁判コンプレックス」において共通するという。すなわち、どちらも根本的な罪の意識を抱え、裁かれ罰せられることを恐れ、あるいは待ち望んでいるのだと。ここで紹介したカフカの二編も、確かにどちらも裁きに関する小説であった。

リンクを貼ったのは矢川澄子訳・金子國義新潮文庫版。とりあえず読むなら読みやすいこれか、注釈の豊富な河出文庫高橋康也がお勧め。

 

そのうち読みたい

 

絶対に読むべきだと何年も前から思っているのに読んでいないのがこのミシェル・カルージュ『独身者機械』東洋書林)である。

この本はシュルレアリスムの研究者である著者が、ある種の芸術と文学の中に連綿と受け継がれているあるイメージを、「独身者機械」と名付けて分析する。主役となるのはマルセル・デュシャン、そしてフランツ・カフカだ。

独身者機械とは、役に立たない機械、異形の人工物、人造人間、無機的で無性的な存在などのイメージにまるわる概念であり、「流刑地にて」における処刑機械はその代表例であろう。

 

 

 

 

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2023年9月に開催された「第三回かぐやSFコンテスト」に投稿した短編SF小説が、選外佳作に選ばれました。近未来のパリを舞台としたクィア・スポーツSFです。

pikabia.hatenablog.com

こちらはカクヨム公式企画「百合小説」に投稿した、ポストコロニアル/熱帯クィアSF。

kakuyomu.jp

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