もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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小川洋子『寡黙な死骸 みだらな弔い』 静かな死の気配と、冷たく湿った情緒

初期に発表された連作短編集

 

ずっと気になってはいるものの読んだことのない作家、というのは無数にいるわけで、私にとってそのような作家のひとりが小川洋子であったのだが、このたびふと思い立って最初の一冊を手に取ることとなった。

というわけで読んだのが初期作であるこの『寡黙な死骸 みだらな弔い』(1998年)なのだが、作者の膨大な作品の中からこれを選んだのにはちょっとしたきっかけがある。

小川洋子の作品はいくつかが英訳されており、高い評価を得ているのだが、その中の一冊に『Revenge』というタイトルのものがあり、「小川洋子にそんな題名の小説あったかな?」と思って調べてみると、なんとそれがこの『寡黙な死骸 みだらな弔い』の英語版タイトルだったのだ。この、両タイトルの間のギャップと、そして英訳に際してのタイトル変更の大胆さに興味を惹かれ、ではこの一冊から読んでみようと思い立った次第である。

 

さて、この『寡黙な死骸 みだらな弔い』は同じ街を舞台にした11の短編からなる、いわゆる連作短編集である。しかも各短編の結びつきはかなり強く、基本的には全てをまとめて読むことが前提となっていると思う。

と言っても、それぞれの短編がそれ自体で完結していないわけではない。むしろどの短編も、単独で読んでも十分に面白い。しかしそれと同時に、それぞれの短編がしっかり関連しているのだ(後述します)。

 

海辺の街を舞台にした、11の死の物語

 

この連作短編の舞台は、広場に時計塔のある、とある海辺の街だ。そこはごく普通の日本の街に思えるが、そこここに奇妙な空間が存在する。果樹園のふもとにある、かつて郵便局だった建物には、何故か大量のキウイが積みあがっている。その果樹園の上にある住宅の中庭では、掌の形をした人参が採れる。腕自慢の鞄職人の店には、心臓が体外に露出した女性が訪れる。そしてひっそりと佇む古い屋敷は「拷問博物館」で、数々の本物の拷問器具が展示されている──

 

私はより細い道へ、細い道へと歩いていった。人とすれ違うたび、彼じゃないか······と思ってしまうことに、もう耐えられなかったからだ。図書館を過ぎ、クリーニング屋を過ぎ、 つぶれた美容院を過ぎた。ブランコと砂場だけの小さな公園があった。レッドロビンの生け垣があった。 ヨークシャーテリアが遊ぶ、芝生の庭があった。いつの間にか、時計塔は見えなくなっていた。
歩き疲れて立ち止まると、古い石造りの家の前だった。立派な樫の木が茂り、家を半分覆い隠していた。窓にはレースのカーテンが飾られ、フラワーボックスの赤い花たちはみずみずしく、玄関の扉には何か重厚な模様が彫刻されていた。
耳を澄ませたが何も聞こえなかった。人の気配もしなかった。樫の葉が風に揺れるだけだった。
「拷問博物館」。門柱の看板は錆ついていたけれど、確かにそう読み取れた。
(「拷問博物館へようこそ」より)

 

そのような謎めいた街で展開される物語はどのようなものか。それはこの本の見事な題名が指し示す通りのものだ。「寡黙な死骸」そして「みだらな弔い」。そこには常に、ひっそりと静まり返った死の影がある。この物語群の中では幾人もの人々が、誰かの死に立ち会い、あるいは自ら人を死に至らしめる。たとえ実際に人の死が描かれなくても、そこにはぼんやりとした死の予感がある。

死の理由は様々だ。不可抗力な事件の場合もあれば、恨みや執着による殺人の場合もある。しかしそのどの場合においても、描かれる情景はとても静かで、ひんやりとしている。情緒の盛り上がりよりも、切り取られた風景の絵画性や、そこに流れる時間の淡々とした様などが印象に残る。

しかし、この小説が全く無機質な静寂の世界というわけではない。そこが「みだらな弔い」というフレーズの指し示す部分だろう。それらの死に際して登場人物たちが抱く感情は、静かではあるが、しかしどこか妖しい湿り気を帯びているのだ。

 

緻密に繋がり合う短編群

 

そのような不思議な短編の数々が並んでいるのだが、しかしそれぞれの物語は、ちょっと意外なほどに連環している。ある短編に登場した人物の秘密が別の短編で明らかになったり、ある短編の出来事の原因が別の短編で判明したり、あるいはある短編の物語そのものを別の短編の登場人物が本で読んでいたりする。

耽美で幻想的な小説なのだが、このようなパズル的な構成は非常に緻密かつ几帳面で、なんなら少しミステリ的でもある。読者はバラバラのピースがどんどん繋がっていく快楽を感じられるだろう。11篇の短編で構成されたこの連作には始まりも終わりもなく、それらが微妙に繋がり合っていくのを読み進めるうちに、とある街を舞台にした、網目のように縦横に絡まり合った物語が空間的に浮かび上がるのだ。

 

次の一冊

 

かくして小川洋子、面白いな~と思って他にも読もうと思い、しかしなにせ作品数が膨大なので、とりあえず英訳されているものから試してみようと次に手に取ったのがこの『ホテル・アイリス』(1996年)だったのだが、美しく幻想的な雰囲気はそのままにより大胆にセクシュアルな物語で驚いてしまった。ちなみに明言はされていないが、この長編の舞台の街と、『寡黙な死骸 みだらな弔い』の舞台の街は基本的には同じ街だと思う。

 

そのうち読みたい

 

この本も『The Memoly Police』というタイトルで英訳され、なんと全米図書賞の翻訳部門と英国ブッカー国際賞の最終候補に残ってる。

 

こちらは小川洋子がセレクトした内田百閒のアンソロジー。確かに少し通じる雰囲気がある。小川洋子が書く物語は内田百閒と比べればだいぶ明快だが……