もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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グレアム・ハーマン『四方対象』で体験する、存在論の冒険

実在論ブームと、オブジェクト指向存在論

 

日本では2010年代の後半あたりから紹介され、一部でちょっとしたブームとなっていた哲学のジャンルが実在論である。「事物が存在する」というのはどういうことか? 我々が「存在する」と思っているものは本当に存在するのか? というようなことを考える哲学だ。(分野が分野なのでさりげないブームではあるが)

このジャンルの中で最も目立っていたのが思弁的実在論と呼ばれる潮流で、カンタン・メイヤスーがその代表的な論者である。このメイヤスーに関しては以前の記事で紹介したのでそちらを参照されたい。

pikabia.hatenablog.com

そしてまた別の潮流が、今回取り上げる対象指向存在論、またはオブジェクト指向存在論であり、その入門書がグレアム・ハーマン『四方対象』だ(原著2010年)。ハーマンは英語圏におけるこの実在論ブームの仕掛け人の一人でもある。

 

全ての「対象」は同等に扱われる!

 

さてハーマンが展開する対象指向存在論とは何か。それは一言で言えば、この世の全ての存在は「対象」として等価であるという主張である。そしてここで「この世の全ての存在」と言う時、それは(普通の言い方で)実在するものと実在しないものの双方を含むのである。少し長くなるが、冒頭から引用しよう。
 

徹底的な懐疑の代わりに、素朴な観点から議論を始めよう。哲学が、科学者や銀行員、そして動物たちの生活と共有していること、それは私たちが皆、対象(object)に関わっているという事実である。「対象」の正確な意味は以下で詳述されることになるが、(あらかじめ述べておけば)そこには物理的でない存在者や実在的でない存在者さえ含まれているはずである。ダイヤモンドやロープ、中性子と並んで、軍隊や怪獣、四角い円、そして実在する国や架空の国からなる同盟もまた、対象の内に含まれうるということだ。こうした対象は全て存在論によって説明されねばならず、その価値を貶めたり、取るに足らないものとみなしたりしてはならない。とはいえ私は──私の仕事に好意的な人と批判的な人のいずれもが繰り返すように──、全ての対象は「等しく実在的だ」などとは、一度も主張していない。ドラゴンは電柱と同じように自立的な実在性をもっているなどと言うのは誤りだからである。私の主張は、全ての対象が等しく実在的であるということではなく、全ての対象は等しく対象であるというものである。実在的なものと非実在的なものを同じ仕方で説明するより大きな理論の下でしか、妖精やニンフ、ユートピアがヨットや原子と同列に論じられることはないはずだ。(「はじめに」より)

 

うーん、名文だ……いや、いきなり詠嘆を始めてしまって申し訳ないのだが、この冒頭を読むだけで深い満足感に浸ってしまう。

ここでハーマンは、我々が見たり触れたりするものと、我々が想像したり妄想したりするものが、同等の権利を持って「対象」として説明されなければならない、と力強く断言しているのである。

しかも、それは決して、「同等の存在である」と言っているのではない。ドラゴンと電柱が同等の存在だと述べるのは単なるファンタジーである。この本が飽くまでも哲学書であるのは、ドラゴンと電柱が「『対象』という形で同等であり、同じ理論で説明できる」ということを完璧に論証することを目指しているからだ。

そして、この序文の時点ですでに、著者の軽妙な語り口と反骨精神、そして具体例の挙げ方に特に現れるユーモアを感じることができると思う。この本は本格的な存在論哲学を扱っているが、同時にとても軽妙でユーモラスな本なのだ。

 

「対象」に対する、よくある二種類の否定

 

この本ではプラトンアリストテレスカントフッサールハイデガーなどそうそうたる哲学史の偉人たちを引きながら理論を展開していくが、序盤の重要な部分だけかいつまんで挙げてみよう。

最初に著者は、自分が述べるような「対象」の存在が否定される際の二つの方向を挙げる。それが「解体」「埋却」であり、それは下への還元と上への還元だとされる。

まず「解体」だが、これは我々が捉える対象が「根本的なものではない」とする態度だ。つまりひとつひとつの対象は、より大きく根源的な存在のあらわれのひとつにすぎないという態度である。その根源的な存在とは、古代ギリシアであれば「水」や「空気」、あるいは「四大元素」などとされた。あるいは時代が下ると、それは例えば大いなる「一者」や「流れ」などと呼ばれるかもしれない。いずれにせよ、この方向は我々に、個々の対象に囚われるのではなく、もっと大きく深い根本的なものを見ろと主張する。これが「解体(下への還元)」だ。

続いて「埋却」は逆方向の批判である。例えば我々の目の前にあるリンゴは、リンゴという単一の存在ではない。それは赤さ、甘さ、固さ、冷たさ、美味しさなど、我々が感じる様々な性質の「束」にすぎないというのだ。我々は何らかの統一的対象ではなく、それが我々の感覚に与えてくる種々の性質だけを受け取っているのである。ゆえに個々の「対象」は存在しない。これが「埋却(上への還元)」である。

 

著者によれば、哲学史の大半はこのどちらかの態度によって「対象」を取るに足らないものに貶めようとしてきたとする。ゆえに著者はこの両者に反論し、「対象こそが哲学のヒーローであるべき」という主張を展開するのだ。

私はたまに趣味で哲学書を読む程度の読者だが、上記の二つの傾向がいわゆる「哲学」の主流だというのはなんとなくわかる。だからこのグレアム・ハーマンの主張には、なんというかやんちゃで反抗的な元気の良さが感じられるのだ。

ハーマンは、哲学史において取るに足らないものとされていた「対象」──それは怪獣四角い円ドラゴンも含む──こそが本質的なものだと、軽妙でユーモラスなこの本によって主張している。それはなんだか妙に勇気づけられることだ。

 

四方対象とは?

 

ここではこの本のほんの入り口だけを紹介したが、とはいえ題名である「四方対象」が何なのかについても多少は触れておこう。実はこの「四方対象」こそが、ハーマンの考える「対象」の、四種の存在のしかたである。その四種とは以下の通り。

  1. 感覚的対象──意識に現れる全てのもの
  2. 感覚的性質──意識に現れる全てのものの、実際の見え方・現れ方
  3. 実在的対象──決して直接アクセスできないが、存在しているもの
  4. 実在的性質──存在しているものの、知性によってのみ認識できる性質

ハーマンは全ての「対象」をこの四種の概念でとらえることにより、あらゆるものの存在を同等に説明できるというのである。これが一体どういうことなのかは、ぜひ実際に本を読んで体験してもらいたい。歯ごたえはあるが、波乱万丈の存在論の冒険が味わえるはずだ。

 

次の一冊

 

この本は様々なテーマに関する千葉雅也の対談集だが、思弁的実在論を始めとした近年の実在論についての対談が4本収録されており、参考になる。

 

そのうち読みたい

 

2020年に刊行された、グレアム・ハーマン本人による思弁的実在論のガイドブック。主要な思想家と著作が網羅されているようなのでぜひ読みたい。

 

 

 

 

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2023年9月に開催された「第三回かぐやSFコンテスト」に投稿した短編SF小説が、選外佳作に選ばれました。近未来のパリを舞台としたクィア・スポーツSFです。

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こちらはカクヨム公式企画「百合小説」に投稿した、ポストコロニアル/熱帯クィアSF。

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