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米田翼『生ける物質』 なぜ生命は生まれ、進化するのかを問うベルクソンの哲学

博士論文を書籍化した、著者のデビュー作

 

フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンについては、ドゥルーズの本に名前がよく出てくるなあという程度の知識しか無かったのだが、今年はなぜか面白そうなベルクソン関連本が相次いで刊行されるという小ブームが起こっており、いい機会だから入門しようと手に取ったのが米田翼『生ける物質 アンリ・ベルクソンと生命個体化の思想』である。帯で紹介文を書いているのが檜垣立哉千葉雅也という大変に見知った名前だというのも後押しになった。

米田翼は1988年生まれのフランス哲学研究者で、博士論文の書籍化となる本書が初の単著となる。

 

本書はベルクソンの哲学の中でも、主著のひとつ『創造的進化』に現れる、生物進化の哲学を扱う。著者によれば、ベルクソンは19世紀末から20世紀初頭という時代において、当時の最先端の生物学と互いに影響を与えながら、生命の誕生、生命の進化についての哲学を編み上げた。当時、ベルクソンは哲学の先端であると同時に生物学の先端でもあったのだという。

さて、当然のことだが、生物学は20世紀初頭から現在までの間に大きく進歩している。分子生物学が発達し、DNAの複製機能などが解明されるにつれて、20世紀初頭の科学に基づいたベルクソンの哲学は無用になったという見方もあるという。

しかし著者はこれに異論を唱える。なぜなら、もともとベルクソンが考えた生命進化についての学は、いわゆる生物学のような「科学」とは別の枠組みによるものだからだ。

 

私にとっては、本書の最大の醍醐味はこの部分にある。つまり、同じように生命の進化について考えていても、科学と哲学はそれぞれ別の枠組みで考えており、別の図式によってそれが捉えられるのだ。

それを著者は、科学と哲学それぞれの「説明図式」、また「心理学的図式による進化の説明と、数学的図式による進化の説明」などと区別する。そして、同じように生命の進化について考える場合にも、「心理学的図式」で考える場合と「数学的図式」で考える場合には、コミットする存在論的枠組み」が違うのだという。この違いこそ、ベルクソンの生命進化の哲学が、現在においても顧みるに値する理由であると著者は言う。

この「存在論的枠組みの違い」という視点そのものが、すでに哲学的なものでもあるだろう。つまり科学と哲学は、前提とする「存在論」、つまり存在そのものに対する態度が違うのだ。

 

「数学的図式」というのは、基本的には私たちが抱く「科学」のイメージのことだと考えていいと思う。生命についてであれば、生命とはどのような物質の働きによって生き、どのような構造で出来ているかなどということを、いわゆる科学的な方法で説明することだろう。このとき、前提とされている「存在」は、観測可能なデータや構造だ。

対して「心理学的図式」あるいは「哲学の説明図式」というのは、ざっくり言ってしまえば、科学的な観点が問題にしない部分、つまり生命進化の物理的化学的な原因ではなく、生命進化の理由そのもの、「なぜ生命は生まれ、進化するのか」という根本的な問いのことなのだと思う。こちらが哲学にとっての存在論的枠組みなのだ。

そして再度強調するが、このような哲学的な問いを、同時代の生物学と密接に結びつきながら考えたのがベルクソンなのである。

 

この本で私たちは当時の生物学の議論を追い、好奇心を刺激されるままに遺伝や進化、動物の行動などについての知見に導かれる。しかし哲学書であるこの本は、そこから大きなジャンプをするのだ。科学からはみ出した、存在論的な問いの方へである。

 

生物、すなわち「生ける物質」をめぐる二重の問い──互いに重なり合った二つの問い──に取り組むことにしたい。それは、「生命とは何か」という定義をめぐる問いと「どのようにして生命が生まれてきたのか」という生命の創発をめぐる問いである。生物は、タンパク質、脂質、多糖、核酸、水といった化学物質から構成され、物質界を支配するあらゆる物理法則に従う。だから、生物が物質の一種であることは否定できない。だが、宇宙の全域に偏在しているあらゆる物質のなかで、生物だけが「生きている」と形容される特殊な物質である。この「生ける」ということの意味は何か(生命の定義)。「生ける」という事態はどのようにして成立してきたのか(生命の創発)。本書ではこれらの問いに取り組むことにしたい。

(米田翼『生ける物質』「序章 生ける物質」)

 

物質と生命の間の「暫定協定」、そして「持続」
 

ではベルクソンの生命の哲学の内容を、少しだけ具体的に見てみよう。

本書のタイトルである「生ける物質」というのはもちろん生命のことなのだが、いかに生命と言えども、その身体を構成している原料は、石や金属と同じ物質であることは自明だろう。ではなぜ物質の中に、生命を持つものが現れるのか。

ベルクソンによれば、「物質」と「生命」とは、二つの逆向きの運動のことだという。「物質」はエントロピーを不可逆的に増大させ、全てが弛緩した機械的な状態へと向かう運動であり、「生命」はそれを遅らせ、緊張を保ち、自由と意志をもたらす運動である。ベルクソンにとって生命個体とは、この「物質」と「生命」という逆向きの運動が出会う場所でひととき結ばれる「暫定協定」であるという。物質と生命という二つの相反する力の流れが、束の間形成した妥協点が生命個体なのだ。ここで起こっていることは「組織化・個体化」と呼ばれ、本書全体のテーマとなる。

ベルクソン自身の言葉ではこうだ。

ひとつの世界を形成する物質は不可分な流れであり、物質を横切りながら物質のうちで数々の生物を切り抜く生命もまた不可分な流れである。

(『創造的進化』)

「生命」という力の流れは、生のない物質から「生物を切り抜く」のだ。これが「組織化・個体化」と呼ばれる出来事であり、本書のタイトルである「生ける物質」が指すものだろう。

(なお同じ生物の中でも植物は、動物と比べて機械的・静的に生きており、ここでは「物質」の運動が優勢である。このように、種々の生物種の特徴はせめぎあう二つの運動のバランスによって捉えられる)

 

もう一点、重要なキーワードとして「持続」を挙げておく。ベルクソンの言う「持続」というのは「時間とともに変化し続けること」なのだが、ベルクソンにとっては、この「時間とともに変化し続けること」こそが生命の定義なのだ。

ここは順番が大事なのだが、我々の普通の感覚では、「生命は、時間とともに変化し続けるものだ」という言い方をしたくなるのではないだろうか。しかしベルクソンが言うのは逆のことである。「時間とともに変化し続けることが、生命の条件なのだ」という順番なのだ。生きているから変化するのではなく、変化するものを生命と呼ぶのだ。(哲学を読んでいると、このような転倒に出会うことがよくある)

またこの「持続」は、決して未来や結果が決まっておらず、永遠に完成しない変化であるとされている。生物個体の生、そして生命の進化は、ある地点に向かって決まった道をたどる変化ではなく、常に現在そのものの中にしか存在しない、予測不可能な「持続」なのだ。「生命の諸特性は、決して完全には実現されず、絶えず実現の途中にある」ベルクソンは言う。これはベルクソンの進化論にとって、とても重要な考え方である。

 

重厚だが、この上なく丁寧な入門書

 

本書の著者、米田翼によって整理された、ベルクソンの生命の哲学のいくつかの部分を、ほんのさわりだけ抜き書きしてみたが、博士論文である本書はこれらの概念をじっくりと深く掘り下げていく。

単にベルクソンが書いたことを読むだけではなく、それが同時代のいかなる生物学の知見に由来しており、いかなる主張と共鳴しまた対立していたのか、そのようなことを丹念に追うことで、ベルクソンの哲学が立体的に浮かび上がってくるだろう。

そして、この専門的な話題を扱う著者の手つきは、驚くほどに丁寧で親切だ。初めに見取り図を示し、つねに議論の目的と方法を確認し、途中で何度も振り返ってそれまでの要点をまとめてくれる。内容は本格的で専門的だが、同時に親切な入門書でもあるのだ。

また、先ほどかいつまんで取り上げた例は、この本で触れられる話題のほんの一部にすぎない。著者がベルクソンの哲学を素描するために取り出してくるのは、有機物と無機物の違い、生物の遺伝と老化の関係、生物の行動における刺激と反応の関係、そして知性と本能の違いなどなど、生物全般に関する多岐にわたる問題であり、いずれも大変興味深い話題ばかりだ。動物好き、生き物好きにも読んでほしい一冊だ。

 

次の一冊

 

同時期に刊行されたベルクソン入門書。『生ける物質』のテーマが「生命」だとすれば、こちらは「時間」である。ともにベルクソンにとって中核的なテーマを、別々の角度から掘り下げてくれるこれらの本を比べて読むのは楽しいだろう。

 

そのうち読みたい

 

『生ける物質』で主に参照される、ベルクソンの主著のひとつ。文庫で買えます。

 

 

本書の帯に推薦文を寄せている二人の本を紹介した記事はこちら。合わせてどうぞ。

pikabia.hatenablog.com

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