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筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』 偽りの神が作った世界

原資料にもとづくグノーシス入門

 

歴史や宗教の話が好きな人なら、グノーシス主義について読んだり聞いたりしたことがあるのではないだろうか。初期のキリスト教における、代表的な「異端」である。

私などはグノーシス主義について、単に異端であるだけでなく、何か秘教的で怪しげな、それゆえ魅力的なイメージを持っていたことを正直に言っておこう。

今回紹介する筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』講談社選書メチエ)は、私のようなミーハーな読者に対しても、グノーシス主義の実際のところをわかりやすく、しかもしっかりと原資料に基づいて注意深く教えてくれる本だ。

 

まずは用語の確認をしておこう。「グノーシス」という単語そのものは、古代ギリシア語で「認識」「知識」を意味する一般名詞なのだが、古代キリスト教史の分野では、古代にキリスト教内に存在したある種の思想をキリスト教グノーシスと呼んでいたらしい。その後グノーシスという言葉の指す範囲は徐々に広がり、キリスト教とは無関係だが同じような傾向を持つ思想もグノーシスと呼ばれることがある。(マニ教など)
この本で取り扱う範囲は、基本的にはもともとの「キリスト教グノーシス」であり、これは紀元二世紀の半ばから後半にかけて最盛期を迎えた思想である。(以下単にグノーシス主義と書きます。なおこの本の著者は「グノーシス主義」と「グノーシス」を特に区別せずに使っているとのこと)

 

さて、そのグノーシス主義という思想の内容だが、まずはこの本の裏表紙に書いてある紹介文からそのまま引用しよう。

 

「人間は<偽りの神>が創造した偽りの世界に墜とされている。われわれはこの汚れた地上を去り、真の故郷である<天上界>に還らなければならない」

 

この一文だけでもなかなかのインパクトだと思う。我々の住む世界が、「<偽りの神>が創造した偽りの世界」だとする思想がキリスト教の一派として存在したというのがまず驚きである。異端とされたのも納得してしまう。

なんとグノーシス主義においては、われわれの世界を作った神と、本来の信仰の対象であるべき神とが別の存在だとされる。この世界や人間を生み出したのは「創造神(デミウルゴス)」と呼ばれる偽の神であり、真の神である「至高神」とは別の存在なのだ。しかし、そんな偽物の神に作られた人間の中にも、わずかながら至高神に由来する要素が存在するという。われわれ人間は至高神からの使者(キリスト教グノーシスの場合はキリスト)に導かれて真の「知識/認識(グノーシス)」を得ることによって救済され、偽物の世界を離れて真の神である至高神のもとに戻っていく……というのがグノーシス主義の思想の大枠だそうだ。

 

なおグノーシス主義と呼ばれる一群の運動は決して統一されたものではなく、その思想も様々なのだが、この本ではひとつの「グノーシス主義の定義」が紹介されている。この定義は1966年にシチリア島メッシーナという街で開催された国際学会で提出されたもので、上記のような内容を三ヶ条にまとめたものだ。

 

①反宇宙的二元論
②人間の内部に「神的火花」「本来的自己」が存在するという確信
③人間に自己の本質を認識させる救済啓示者の存在
(「第五章 グノーシスの歴史」より)

 

ただしグノーシス主義諸派の全てがこの三ヶ条に当てはまるというわけにはいかないらしく、この定義は飽くまでも代表的な特徴をまとめたものだと考えた方が良さそうだ。
グノーシス主義の全盛期である二世紀のローマ帝国では、平和な時代だったということもあり宗教的・哲学的な学問が大衆に広く流行したという。特に当時の学問の拠点であったアレクサンドリアを中心に様々な宗教とギリシア由来の哲学が混淆していた状況があり、その中で多様なグノーシス主義の思想も生まれていたということだ。

 

二世紀の半ばから後半にかけて、これまで見てきたような時代を背景として、キリスト教グノーシスの有力な教師たち、正統多数派教会の立場から言えば「大異端者」たちが続々と登場する。ウァレンティノスとその弟子たち、バシレイデース、そしてマルキオンがその代表格である。ウァレンティノスの弟子たちは別にして、ウァレンティノス本人、そしてバシレイデース、マルキオンという互いに直接的な関係を欠く三人がほぼ時を同じくして出現したことは、それだけでも、キリスト教グノーシスの隆盛という現象そのものが、時代や社会状況と深く結びついていたことを暗示している。
この人々こそがキリスト教における最初の神学者であり、ユスティノスやエイレナイオスをはじめとする反異端論者、すなわちグノーシスに対する反発として自分の立場を固めていった人々が、正統多数派的なキリスト教神学の始祖、後に「教父」「教会教父」と呼ばれる存在になる。この意味で、正統多数派キリスト教神学がグノーシス主義の異端を反駁したというよりは、グノーシスを反駁することを通してはじめて正統多数派の神学が形成されたという方が正確である。
(「第二章 ウァレンティノス派」より)

 

この本の中では、その様々なグノーシス主義の分派の中で代表的な三つが紹介されている。それぞれが主張する世界の成り立ちや、創造神と人間、そして至高神との関係にまつわる神話はどれも独特で魅力的だ。ぜひ本文にあたってみてほしい。

 

正統多数派教会への影響

 

さて、そのように生まれたグノーシス主義は、後に正統派のキリスト教会によって異端とされてしまうわけだが、しかしこの本によればグノーシス主義キリスト教そのものの発展に大きく関与してもいるという。

例えば、神が何もないところから世界を創造したとする「無からの創造」という概念がある。旧約聖書の創世記が書かれた時点ではまだ存在しなかったというこの観念が成立する過程で、グノーシス主義の一派が大きな役割を果たした可能性があるという。世界の成立条件を問題にするギリシア哲学(プラトンなど)に刺激されて、後にキリスト教神学は神の創造以前には世界には何も存在しなかったと主張することになるのだが、その主張を最初期に行ったのがパシレイデースというグノーシス主義神学者ではないかと言われているそうだ。

またグノーシス主義は、旧約聖書新約聖書といった教典の成立にも影響を与えているという。これらの聖書は当時広く読まれていた文書を集め、選定してまとめたいわばアンソロジーだが、このような形の教典をいち早く編纂していたのがグノーシス主義のマルキオンという人物だということだ。マルキオンは自ら「マルキオン聖書」というものを編纂し、自分の教えにとっての正典とした。のちの旧約聖書新約聖書は、この方法を踏襲して編まれている。

 

文献学としての古代研究

 

と、ここまでは面白い部分だけ抜き出してきたわけだが、実はこの本の内容の半分ほどは、もっと地道かつ実直、そして重要な事柄である。

それは、まさに今まで拾い読みしてきたようなグノーシス主義についてのあれこれが、一体どのような資料に基づいており、そしてそれらの資料はどのような由来のもので、どれほど信頼できるのか、という文献学的な記述だ。

考えてみれば当然のことながら、2000年近く以前のことを伝える資料は少ない。しかもグノーシス主義は後に異端とされた思想なので、原テキストはますます残っていない。古代の思想や出来事を研究するということは、まずは少ない資料から確定できることの限界を確認することから始まるのだ。なのでこの本の記述もまた、非常に慎重なものである。現在発見されている資料でわかるのはどの範囲で、わからないのはどの範囲か、常に確認しながら話は進む。この記事で紹介した内容も、飽くまでも「今のところ確からしい説」にすぎず、新資料の発見によっていつ覆されるかわからないのだ。(そもそもこの本が刊行されたのが2004年なのだが、とりあえず軽く検索した限りではその後画期的な新資料の発見はなさそう)

また面白いのは、キリスト教の異端であるグノーシス主義の思想を知るための重要な資料の多くが、正統多数派教会側によって書かれた異端反駁文書だということだ。グノーシス主義を異端と主張するまさにその文書によって、私たちはグノーシス主義の思想の多くを知ることになったのであった。

 

次の一冊

pikabia.hatenablog.com

今回紹介した『グノーシス』の巻末にも参考文献として紹介されていたのがこの学術都市アレクサンドリア(新書で出ていた当時のタイトルは『謎の古代都市アレクサンドリア』。文庫化に際し改題)。グノーシス主義を始めとする様々な思想が発展する場となった古代都市を詳細に解説した本だ。また、古代研究における文献の扱いをとても重視した本であることも共通する。

 

そのうち読みたい

今回紹介した『グノーシス』でも何度も紹介されている、グノーシス主義の数少ない原テキストであるナグ・ハマディ文書」の抄訳が2022年になんと文庫で刊行。『グノーシス』の著者である筒井賢治も編訳者のひとりです。こういう書物が安価に手に入るのはすごいことだなあと思います。