もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

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九井諒子『ダンジョン飯』 「肉」として喰らい喰らわれる、剥き出しの世界

モンスターを喰らうことによる、肉体の存在感

 

※ネタバレあります

今でも残念に思っているのだが、九井諒子ダンジョン飯の第一話を読んだ時、私はその魅力、あるいは恐ろしさに気が付かなかった。「ああ、なんかファンタジーあるあるコメディね」というだけでだいたいわかった気になり、その後7~8巻が出る頃まで読んでいなかったのだ。私の見る目の無さを笑ってほしい。その後一気読みして打ちのめされることになった。

 

ダンジョン飯の魅力はいろいろあって語り尽くせないが、私にとっては身体性の強さ、肉の存在感が重要だ。この漫画において登場人物は常にモンスターの肉を食べる。そしてそのことは、キャラクターが肉体を持っていることを暗示し続ける。

 

漫画において、登場人物が肉体を持っていることは決して自明ではない。それは時に記号として透明な存在にもなる。ダンジョン飯の肉体はさほどリアリスティックに描かれてはおらず、絵柄としてその存在感がそう強調されるわけではないが、しかし、上記のような理由でその肉体の存在感は揺るぎないものとなり、漫画のイメージの中心となるように思う。

「肉を切り、加工し、食べる」という行為が繰り返されることによって、我々はライオスの、マルシルの、センシの「肉体が存在する」というイメージを不断に与えられる。また、ダンジョンではスライムに襲われたり、蛙のモンスターの皮を纏ったり、胞子によって肉体が変化したりと、食事以外でもモンスター/ファンタジー的存在との身体的接触が多く描かれる。ファリンの肉体はドラゴンの血肉から再生される。登場人物たちの肉体はますます物語のための記号から遠ざかり、質量と質感を持った、触れることのできる肉となっていく。

かくしてこの漫画を支配するイメージは人とモンスターの肉体となる。そして作中におけるその究極的な姿が、その両者を併せ持つキメラと化したファリンであり、確かな生命感と肉体の存在感をもって描かれたその姿は、物語の面でもイメージの面でも、この漫画の中核をなすものだと思う。

 

禁忌としてのモンスター食

 

この漫画においては人やエルフやドワーフがモンスターの肉を食べるが、この行為は一応、作中でもタブーとして扱われており、例えばエルフのマルシルは当初激しい抵抗を示す。

ということは、モンスターの肉を食べることは禁忌の侵犯である。 ダンジョン飯という漫画は、メインテーマそれ自体が、禁忌の侵犯としての怪物との一体化なのである。

禁忌の侵犯とはどういうことか。禁忌とは、つまりそれが世界の、ある種の呪われた中心であるということだ。トールキン的な定型としての西洋風ファンタジー、そのコミック・アニメ・ゲームにおけるポピュラー化、その出来事の中で禁忌として隠されていた中心が、人間と怪物との肉としての連続性だったのかもしれない。 (そのことは容易に、現実世界における人間と動物との連続性を想起させるだろう)

ダンジョン飯はコメディの形でその秘密を明らかにするところから始まった。我々は笑いながら、いつのまにか人間と怪物が互いに喰らい喰らわれる関係であるところの世界、剥き出しの肉のファンタジー世界に連れてこられてしまった。

 

ここにはもう逃げ場はないのだ。我々はモンスターという呪われた存在を食べ、時に食べられて生きていくしかない。そして、人間とモンスターは肉として連続しているのだ。(そしてその連続体の中には当然エルフやドワーフといった亜人種も含まれるだろう) 禁忌はもはや禁忌として機能しない。従来のファンタジーではダンジョンの中においてすら守られていた一線が失われ、我々は剥き出しの世界に放り出されてしまった。

ダンジョン飯という漫画の、コメディの中に時折覗くゾッとするような迫力は、おそらくこのことにも関係がある。もし世界の秘密を描くのがファンタジーであるならば、この漫画ほど恐ろしく、また核心に迫ったファンタジーはめったにないだろう

(舞台となる世界において、モンスター食が最初から特にタブーではなかったのなら、ここまでの衝撃力は無かっただろう。『ダンジョン飯』においては、モンスターの肉を食べることをタブーとして設定しつつ、しかし食べてしまう、という侵犯があえて行われている)

 

次の一冊

 

人類にとって代表的なタブーと言えば人肉食と近親婚だが、それらについての解釈は一筋縄ではいかない……ということが例えばレヴィ=ストロースなどを読むとわかる。私はこの出口顕による河出の入門書が好きなのだが値段が高騰しているようで、ちくま新書小田亮レヴィ=ストロース入門』の方が電子版もあり手軽には読める。未読だが講談社学術文庫渡辺公三レヴィ=ストロース 構造』も良さそう。

 

食べることのタブーについて、平易に、しかし複雑なことを複雑なままに語ってくれるのが檜垣立哉によるこの本。この問題もまた、すっきりした答えは得られない。

 

檜垣立哉についてはこちらの過去記事もご覧ください。

pikabia.hatenablog.com