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長谷部恭男『法とは何か 法思想史入門』 法と道徳との関係を、人々はどう考えて来たか

著名憲法学者による、憲法と法思想の入門書

今回紹介する『法とは何か 法思想史入門』は、法学者である長谷部恭男による法学・法思想の入門書である。長谷部恭男は1956年生まれの憲法公法学を専門とする法学者であり、政府の会議等にも出席することが多く、日本を代表する憲法学者としてニュースやメディアで目にすることも多い人物だ。

本書は憲法についてだけではなく、法や国家のそもそもの成り立ちから、法とは一体何なのか法について人々はどのように考えて来たのかといったことを、平易な言葉遣いながら一歩も二歩も踏み込んで教えてくれる。

もともと2011年に河出ブックスより刊行されていたが、現在流通しているのは2015年の増補新版である。

 

本書は、タイトルになっている「法とは何か」という問題を、特に「法と道徳との関係」という観点から考察していく。著者はここでいう道徳を、まず社会通念としての道徳(勤労道徳、性道徳など)や特定の信条に由来する道徳(キリスト教道徳、仏教道徳など)と区別し、以下のように述べる。

 

本書で扱う道徳は、人としてどう生きるか、いかに行動すべきかをその理由に照らして吟味する作業とその成果を指すものです。実践理性の働きと言い換えることもできます。人は生きていく上で、どう生きるか、いかに行動するかをその理由に照らして考えるものでしょう。人である以上は、こうした道徳と離れて生きることはできません。これに対して、キリスト教道徳に従うかどうかは、あなたがキリスト教徒であるかどうかに依存する問題ですし、勤労道徳にいたっては、普通そう言われていますね、という程度の話です。金利で生活していて働かない人を強制労働させるわけにはいきません。
道徳という、人である以上離れては生きることのできないはずの問題と法とがどのように関わっているかを考えるのが、本書の目的だということになります。
(「はしがき」より)

 

これはわれわれ市井の人間には意外と難しい話ではないだろうか。キリスト教道徳はともかく、勤労道徳のような「普通そう言われていますね、という程度の話」と、人にとって普遍的なものであるような道徳を区別しなければならない、と著者は言っているのだ。

本書はこのようなデリケートな問題を、法思想の歴史を辿りながら考察していく。
 

国家に従う必要はあるのか?

 

三部構成である本書の第一部「国家はどのように考えられてきたか」では、まず国家の意義が問われる。法を執行するのは当然国家なのだが、そもそも皆が国家に従う必要があるのかどうかという問題だ。

ここでは、多くの政治学や法思想の本と同じように、ホッブズ、ロック、ルソー、カントという、現在の国家観を形作った近代の思想家たちの考えが紹介される。そこで提出される国家の目的とは、例えば人々の自己防衛であり、個人の権利や自由の保障といったものだ。彼らが生きた時代のヨーロッパは宗教改革につづく激しい宗教戦争の只中にあり、人々は分裂してしまった教会にかわる新たな秩序を打ち立てることを必要としたのだ。

第一部の議論は、最後に立憲主義という概念に辿り着く。

 

善悪の判断に関する激しい衝突があるにも関わらず、人は自分の命が惜しいし、できれば安楽な、人間らしいと言える生活を享受したいと思うものですから、社会の平和の実現を求めて国家の設立に協力するはずだというのが、社会契約論者の想定です。とはいえ、もともと根底的に異なる、比較不能とも言いうる世界観を抱いている人たちの集まりですから、その間に平和を維持しうる秩序を設けるには、工夫が必要です。この工夫の核心にあるのは、公のことがらと私のことがらを区分すること、つまり公私の区分です。

立憲主義は、大雑把に言えば、憲法を通じて国家を設立すると同時に、その権限を限定するという考え方です。限定することがなぜ必要かと言えば、多様な世界観を抱く人々の公平な共存を可能にするために、公私を区分し、国家の活動範囲を公のことがらに限定するためだと言うことができます。
(どちらも第一部第三章「人々がともに生きるための立憲主義」より)

この観点からすれば、例えば日本国憲法基本的人権(思想・良心の自由、信教の自由、プライバシーの権利)や政教分離という観念も、公私の区分を守るためにある。

 

法と道徳は同じものなのか?

 

つづく第二部「国家と法の結びつきは人々の判断にどう影響するか」においては、まず「法とは何か」というそもそもの議論が紹介される。ここでも特定の結論は導かれず、代わりに歴史上重要ないくつかの対立点が以下のように提示される。(かなり単純化して書いています)

 

法はなぜ成立するのか?

  • ハンス・ケルゼン「法は、法に従うべきだという前提を人々が頭の中に持っているから成立する(根本規範)」
  • H.L.A.ハート「法は、公務員集団がそれを受け入れ、実践しているからこそ成立する(認定のルール)」

 

法と道徳の関係は?

  • ハンス・ケルゼン「何が道徳的に正しいかを客観的に判断することはできないので、法そのものの規範性(根本規範)に従うべき」
  • ロナルド・ドゥオーキン「困難な法律問題を解決する際は、裁判官が整合性のある道徳原理を構築しなければならない」

 

またこの第二部では、「法の支配」や「国民の代表」といった観念がもつ限界や、法と国家はどちらが先なのか(憲法はいつ誰が制定するか)という問題など、法と国家の関係についての、容易に答えを出すことのできない論点が次々に挙げられる。法という問題、法と社会の関わりという問題の複雑さの一端を窺い知ることができる部分だ。

なお著者は前述のケルゼンのような、道徳について完全に相対主義的な立場はとらない。「裁判官の良心」と題された節で、著者は以下のように述べる。

 

裁判官である以上は、実定法に従うのが当然でしょうが、ときには実定法の基準通りに結論を出すと、道理に合わない、きわめておかしな結論になることもあります。そうしたときには、実定法に従うべきだという一般的な理由づけの背後に遡って、この場合は法律を字義通りには解釈・適用すべきではないと考えることもあるでしょうし、コンピュータではなく、生身の裁判官に裁判を委ねているのも、それを期待しているからでしょう。

 

そうした意味では、実定法秩序もここでいう広い意味での道徳の一部ということになります。(略)ここで述べたことは、そうした広い意味での道徳について、人々の意見は必ず一致するとか、多くの場合は一致するものだということまでは意味していません。一致しないこともしばしばあるでしょう。それでも、人はいかに行動すべきか、その理由は何か、という問いを避けて通ることはできません。それは裁判官であっても同じことです。
(第二部第八章「法と道徳の関係──ハートとドゥオーキン」より)

 

 

この後本書は、第三部「民主的に立法することがなぜよいのか」において、多数決という方法にまつわる数々の問題点を指摘する。そして終章では古代アテネで死刑判決を受け入れたソクラテスへと遡り、「法に従う義務はあるか」という問題を検討する。

多くの観点からの多くの問題を取り上げながら、著者は常に最初に提示した「法と道徳との関係」というテーマに立ち戻り、人にとって普遍的なものであるような道徳は存在するのか、であればそれはどのようなものか、という問いに関連付けていく。

ここまで列挙してきたどの話題も、非常に困難な問いでありながら、私たちの生活と社会に深く関わるものだ。本書はそのような困難な問いについての、答えではなく、歴史的な議論の積み重ねを教えてくれる。折にふれて読み返したい一冊だと思う。

 

そのうち読みたい

 

長谷部恭男の代表作はどれも題名に迫力があって気になります。安価な新書などもいろいろ出ています。


次の一冊

 

法学に関する本を他にもいくつかブログで紹介しております。
 

pikabia.hatenablog.com