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ポーの傑作「アッシャー家の崩壊」のラストシーンが好きすぎる

まずは「アッシャー家の崩壊」をネタバレなしで紹介します。

 

さてエドガー・アラン・ポーである。前回はポーの話をしようと思ったらそのあまりの邦訳のバージョンの多さについそちらをリストアップすることに熱中してしまったわけだが、今回は内容の話をしようと思う。

 

↓こちらがその前回記事です。ポーの各社文庫を比較してます。

pikabia.hatenablog.com

 

そこで「アッシャー家の崩壊」だ。私が一番好きなポーの小説である。

まずはネタバレなしで紹介するが、「アッシャー家の崩壊」は1839年に書かれた、ポーのゴシック小説を代表する作品である。ポーはゴシック・ホラー以外にもミステリやSFの元祖とも言われるわけだが、今回のブログはポーのゴシック編ということになるだろう。

今回改めて読み返してみたのだが、いやあ本当に面白いですね! 短くてすぐ読めるのに、ゴシック小説といえばこれでしょう!という要素が全部入ってて、謎めいた雰囲気、不吉な予感、先の読めないサスペンス、そしてあっと驚く結末もあってエンタメ度も抜群。そして短い文章に詰め込まれたペダンティックな情報量もすごくていくらでも深読みできてしまう。

どういう話かというと、まず語り手である「私」が馬に乗って荒野に建つ不気味な館に到着するところから始まる。「私」は旧友のロデリック・アッシャーからの手紙を受け取り、その住処を訪ねて来たのだ。ロデリックと再会した「私」は、その変わり果てた姿に驚く。彼はその家系につたわる原因不明の病によって神経を病み、死に瀕していたのだ。そしてその直接の原因は、一緒に住んでいる双子の妹マドラインもまた、病で死の床にいるからであるという。

そして館に滞在する「私」は、異様に過敏な神経と感覚を持って衰弱するロデリックと、その妹マドラインの運命を目撃することになる。

 

初読時にもとても印象に残ったのはマドラインの初登場シーンだ。ロデリックが過ごす、広く雑多な広間で変わり果てた旧友の話を聞いている「私」がふと気が付くと、唐突に現れたマドラインが、まるで幽鬼のように部屋の奥をゆっくりと横切るのだ。この、まるで映画のように空間を感じさせる、そして不気味で静かなシーンは、私にとってこの小説を象徴するものだ。(そしてもちろん、あの有名な冒頭、アッシャー家の外見を描写するシーンも)

 

ただし、と彼自身も言いづらそうに認めたことがある。いま彼を苦しめている特異な暗い影については、その大きな原因をたどれば、もっと具体性のある自然現象に行き着く──つまり長患いをしている妹が、もはや滅びの時も迫るほどの重病だという事情がある。この最愛の妹と昔から二人だけで暮らしてきた。この世にたった一人残る身内である。「もし妹が死んだら」と言った彼の苦しげな様子を、私が忘れることはあるまい。「こんな男が(絶望し、衰弱した男が)古くから続いたアッシャー家の最後になる」ということを彼が言っていると、レディ・マドライン(と呼ばれていた妹)が室内の奥まったあたりをゆっくりと通過して、私がいるとさえ気づかずに姿を消した。私はただ驚くしかなく、また恐ろしいとも思ったが、そんな心の内が自分でもわからなくなっていた。遠ざかる女の歩みを目で追いながら、茫然とするばかりだったのだ。そのうちにドアが閉まって彼女が見えなくなると、私の視線は本能に突き動かされるように兄である男の顔を求めた。だが彼は顔を両手に埋めていて、私から見るかぎりでは、痩せ細った指が尋常ならざる蒼白な色を帯び、その隙間から熱い涙が洩れているだけだった。(光文社古典新訳文庫版・小山高義訳)

 

(ここからネタバレ)圧倒的衝撃のラストシーンについて

 

さて、ここからはネタバレ込みの話をしたい。もしここまでの話で興味を持った未読の方で、ラストでびっくりしたい方は、ぜひ小説を読んでからこの先を読んでほしい。(もっとも、私自身はそんなにネタバレを気にしないし、傑作というものはどんなに結末などを知っていてもやはり十分に楽しめるものだと思っているのだが)

この「アッシャー家の崩壊」、とにかくあらゆる要素がハマりにハマっていて、どこを切っても歴史的傑作という感じがするのだが、個人的に大好きだし初読時にすごく驚いたのはやはりラストの部分である。

いや、いくら題名が「アッシャー家の崩壊」だとしても、まさか実際に館が崩壊するとは思わないわけですよ。これは本当に驚きました。

まあ確かに伏線はある。冒頭、館に到着した語り手がちゃんと屋根から地面まで走る亀裂を目に留めているし、また象徴的な部分では、ロデリックが自身の精神状態と館そのものに何らかの影響関係があるという考えを述べているシーンがある。つまり住人の精神と館がシンクロしているので、住人の精神が崩壊すると館も崩壊するというわけだ。筋は通っている。

それにしても、この「ラストで館が崩壊する」というカタルシスには、何か特別なものがあるような気がする。言ってみれば、この巨大な館の物理的な崩壊が、この古典的なゴシック小説に、何か現代的な要素を与えているような気がするのだ。まるで、小説が「古典」という枠からいきなり飛び出して暴れ始めるような。

この館の崩壊は、古典的なゴシック小説だと思って読んでいたら急にハリウッド映画のようなスペクタクルが発生するという感じで、異質なものが合体しているような、中世的な世界にいきなり現代的なスペクタクルが発生するような、そういう驚きと魅力がある。(ゴシック小説に詳しいわけではないので、ゴシック小説でどの程度館が崩壊するのかはよく知らないです。万が一頻繁に崩壊してたらすみません)

そもそも私はあまり人間関係の話に興味がない。いや、ないわけではないが、フィクションを摂取する以上、何かしらのアクションやスペクタクルや宇宙観の更新、あるいは語りの技巧などがほしい(そしてポーの小説にはだいたいそれがある)。そういうこともあって、この小説のラストでアッシャー家が派手に崩壊した時は「うおおおー!!やったぜ!!」みたいに喝采してしまうのである。

他にもポーは、推理小説の元祖と名高い「モルグ街の殺人」においても、「えっ!?推理小説の元祖、犯人がそれなんですか!??」と驚愕せずにはいられない部分がある(このオチを幸運にもまだ知らない方は、ぜひ知らないまま読んでください!)。様々なジャンルの元祖や代表と言われながら、どこか過剰な部分があるのだ。その辺に、ポーという作家の面白さと凄さがあるかもしれない。

 

次の一冊

 

「次の一冊」と言いながら挙げているのがルー・リードの2003年のアルバム『ザ・レイヴン』なわけだが、これはまさに「聴く一冊」という感じのアルバムである。晩年のルーがポーをテーマに製作した、朗読と歌が混在したコンセプト・アルバムだ。(2000年に製作したオペラが元になっているらしい)

ポーの作品をテーマにした曲や詩の朗読が、デヴィッド・ボウイローリー・アンダーソンスティーブ・ブシェミアントニー・ヘガティ、ウィリアム・デフォー、オーネット・コールマンなど豪華ゲストとともに披露されている。異色作だが名曲揃いでとてもよい。

とりあえず、冒頭を飾るその名も「Edgar Allan Poe」という曲が、ルーが「エッガー・アラン・ポー!!」と連呼するアップテンポのロックンロールで意外すぎるのでぜひ聴いてみてください。

 

アッシャー家のオマージュと言えば、もちろんタイトルもズバリの津原泰水『芦屋家の崩壊』。豆腐好きで意気投合した「おれ」と作家のコンビが数々の事件を解決するような解決しないような、ミステリ・怪奇・幻想短編集。作者の人を食った圧倒的技巧とめくるめくビジョン、そして絶対に豆腐が食べたくなる豆腐描写が楽しめます。「猿渡シリーズ」として『ピカルディの薔薇』と『猫ノ眼時計』の計三冊出ているのですが全部品切れなので復刊してほしいですね。

 

 

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ポストコロニアル/熱帯クィアSF

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