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ガンダム『水星の魔女』の世界は、はたして「全然アリ」であったか

『水星の魔女』の結末と、第1話で示されていたもの

 

g-witch.net

 

(ネタバレがあります)

アニメ機動戦士ガンダム 水星の魔女』が最終回を迎え、2シーズン計24話の放送を終えた。

おそらくアニメとしては成功の部類なのだと思う。最後まで各種SNSでは話題になっていたように見えたし、プラモデルや各種グッズもよく売れたのではないか。(ガンダムという作品はもともと、「玩具を売る」という至上命題のために製作される)

物語にもそう大きな破綻はなく、なにがしかの問題が提示され、ある程度の部分まで解決の努力がなされた。また多くの魅力的なキャラクターが登場し、それぞれに成長し、未来を向いた歩みを見せて物語を閉じた。このような、順当で過不足のない着地に失敗する作品も多い中、『水星の魔女』はよくできたアニメということになるのだろう。

 

しかし私が──そしておそらくは、決して少なくはない視聴者が──このアニメが始まった時に抱いた期待は、そのようなものではなかった。

誰もが指摘するように、『水星の魔女』の第1話は明確に少女革命ウテナから多くの要素を引用して始まっている。学園における決闘と、それによって奪い奪われる花嫁。女性主人公と、その花嫁となるヒロイン。そのあからさまな、しかし非常に巧みな引用もしくはオマージュには多くの『ウテナ』ファンも盛り上がり、何かこれまでとは違うガンダムが始まったらしいというムードが作り出され、それなりの新規視聴者を呼び込むことになったと思う。

また序盤において提示された作品世界においては、舞台となる学校は軍需産業の連合体によって運営され、そこでは教育と市場原理および兵器開発が不可分であり、そしてその世界全体が宇宙に住むスペーシアンと地球に住むアーシアンとの間の社会的経済的格差の上に成立していることが示される。このガンダムは学園ものの群像劇なのだが、その学園生活そのものが社会的搾取の構造と直結しているのだ。

初の女性主人公、示唆される同性婚、そして格差と搾取というリアルな問題を抱えた世界の提示。このような要素をYOASOBIの主題歌に乗せて、『水星の魔女』は鮮烈に始まった。

決定的だったのは、ヒロインのミオリネによる第1話ラストのセリフだろう。水星出身の主人公スレッタは成り行きでミオリネの婚約者となり、自分も女だと狼狽える。そのスレッタに対してミオリネが放つ、「水星ってお堅いのね。こっちじゃ全然アリよ」という言葉だ。多くの──どの程度多いのかは、人によって見え方が異なるだろうが──視聴者が、この言葉に希望を見出しただろう。現実世界では性的マイノリティーの権利に関する諸問題が一進一退の緊迫した展開を見せる状況において、このセリフのインパクトは非常に大きかった。世界はいまだ格差と搾取に満ちているが、それでもここは少なくとも「お堅い」世界ではない。「こっち」では「全然」「アリ」なのだ。それを描くのが新しいガンダムなのだと、第一話と序盤の展開は告げていたと思う。そのような期待とともに、『水星の魔女』は始まったのだ。

そしてその期待は、第2期において徐々に萎んでいくことになる。
 

戦争アニメにおいては、全てが戦闘と死に収斂する

 

『水星の魔女』の第1期前半においては、企業活動および兵器開発と深く結びついたものとしての学園生活が描かれ、その過程で、成り行きから婚約者同士となったスレッタとミオリネの関係が徐々に深まり成熟していく様が描かれていた。

そして第1期終盤において、それまで息を潜めていた世界の歪みが噴出するように、このアニメは(ガンダムシリーズにとってはいつものように)戦争アニメとなる。

3ヶ月のインターバルを経て始まった第2期では、この世界が抱える格差の構造にフォーカスが当たり、地球に住むアーシアンの反乱やテロが描かれ、また一方で主人公の母プロスペラの陰謀が徐々に明らかになる。親子・兄弟間の執着と確執、アーシアンスペーシアンの対立、企業の思惑と主人公たちの思いなどの要素が交錯し合い、戦争アニメとしてのドラマが盛り上がっていく。

 

しかしその過程において、主人公たち二人の関係についてのシーンは奇妙なほどに少ない。

第1期のラストにおいてスレッタとミオリネの間にある試練が生じるのだが、そのことについてろくに対話する間もないまま戦況は緊迫し、二人は隔絶されたまま、より大きな状況に巻き込まれていく。

この辺りで、我々はふと気づく。そういえばこの世界は、果たして本当に「全然」「アリ」だったか?

確かに、スレッタとミオリネが婚約していることについてとやかく言う者はおらず、誰もがそれを当たり前のこととして受け止めている。しかしそれだけだ。他に一組の同性カップルが登場するわけでもない。

むしろ物語がクライマックスに近づくにつれて、昔ながらの(ガンダムシリーズでよく見るタイプの)「男と女」の物語がしばしばクローズアップされていく。

物語が終盤を迎える頃、我々は理解するだろう。例え結末においてスレッタとミオリネの心が再び通じ合い、実際に結婚したとしても、それ以外には何も起こらないだろう。なぜなら、現時点で何も起こってはいないからだ。世界そのものを、結末から遡行的に描くことはできない。我々は、この世界は特に「全然アリ」なようには見えないということ、第1話のあのセリフの内実が結局は描かれなかったことに、この辺りで気づいてしまうのだ。確かに「アリ」は「アリ」だが、「全然」というほどではない。

 

そしてそのことと軌を一にするかのように、物語は失われた家族に執着するプロスペラによる巨大な企みに収斂し、企業連合体の問題、地球と宇宙の格差の問題は後景へと退いていく。消えてなくなるわけではないが、単なる背景に過ぎなくなる。

今や、第1話で鮮やかに示された新たな要素の多くは影を潜めてしまった。そして代わりに現れたのは、今までのシリーズで何度も見たような戦いと悲しみのドラマだ。あらゆる問題は生死を懸けた戦闘として現れ、そこでの死と悲しみが視聴者の心を揺り動かそうとする。初の女性主人公、示唆された同性婚、リアルな格差と搾取、それら全てを、まるで「ガンダム」の名のもとに宿命的に到来したかのような戦争エンターテイメントが呑み込み、ほとんど無意味化していく。

そして訪れるクライマックスにおいて、スレッタとミオリネは多くの死に背中を押されるようにして再び手を取り合い、人類を危機に陥れる凶悪な兵器を激闘の末に停止させ、親たち兄弟たちはその執着を弱め和解する。

おそらく、これは「ガンダム」としては成功なのだと思う。確かに、私が今まで見て来たガンダムも、おおよそこのようなものではあった。

ただ私が──そしておそらくは決して少なくはない人々が──あの第1話に見た光景が、それとは少し違うものだったというだけのことだろう。

 

革命と祝福

 

『水星の魔女』第1話で引用されたアニメ、『少女革命ウテナ』は、文字通り「少女」と「革命」についてのアニメだった。とはいえ『ウテナ』において、必ずしも革命が描かれたわけではない。むしろ革命の困難さ、革命を阻むものの強大さの方が強く印象に残ったと思う。

『水星の魔女』においても、別に革命が起こってほしかったわけではない。むしろそう簡単に革命が実現してしまったら、作品世界の苦いリアリティは台無しになってしまっただろう。

ただ私が期待したのは、ただ革命への意志と言おうか、世界はこのままでいいわけではない、他に道が無いわけではない、私たちはもっと自由であってもよいはずだという願いのようなものであり、主題歌に戻ればそれこそが「祝福」であったはずだと思う。

 

第1話が放送された頃、多くの人々が主役モビルスーツであるエアリアルのプラモデルを買い求め、一時は市場から在庫が消え去った。

その時にエアリアルを求めたうちの少なからぬ人々が、このロボットを何か新しい自由の象徴、ほんの少しでも好ましい変化を遂げた世界を表す姿として捉えていたのではないかと私は思う。それは美しい光景だった。

今、人々はエアリアルの姿に何を見ているだろうか。

 

 

アニメの終盤、そして終了後に、何人かの論者が、例え期待通りの作品ではなかったとしても、この作品で女性同士のカップルが当たり前のものとして描かれ、実際に結婚を示唆されて終わったことは、社会的に重要な意味を持つだろうと発言しているのを見た。私もそう思うし、その点を過小評価すべきではないと思う。

またあまり楽しくない想像としては、「ガンダム」という枠の中で表現できることは、実はこれが限界だったのではないか、これが最大限の挑戦だったのではないか、という気もしなくはない。

2023年7月28日追記:

2023年7月26日に発売された雑誌「ガンダムエース」9月号のインタビューにおいて、出演声優がスレッタとミリオネの結婚について言及したが、電子版は28日に更新され、その部分が削除されるという出来事があった。記録として追記しておく。

2023年7月30日追記:

上記の件について公式発表があり、様々な点で不可解な内容ではあったが、バンダイナムコから文言の削除指示があったことは明言された。

https://twitter.com/G_Witch_M/status/1685628114125340672?t=_3nBppXIquUnWChXVCqeww&s=19

 

 

祝福

祝福

  • YOASOBI
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YOASOBIによる第1期主題歌。ある意味、とても数奇な運命を辿ることになった曲であるとも言える。

 

 

 

 

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2023年9月に開催された「第三回かぐやSFコンテスト」に投稿した短編SF小説が、選外佳作に選ばれました。近未来のパリを舞台としたクィア・スポーツSFです。

pikabia.hatenablog.com

 

こちらはカクヨム公式企画「百合小説」に投稿した、ポストコロニアル/熱帯クィアSFです。

kakuyomu.jp

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